村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

二十六帖・常夏

2019-10-31 18:38:07 | 源氏物語五里霧中
常夏
(源氏36歳6月)

夏のある日、
源氏は夕霧や若公達を招き、
内大臣が玉鬘に対抗して
最近引き取った娘・近江の君の
悪趣味や無風流を揶揄し、
その後撫子(常夏)の咲き乱れる
御殿に玉鬘を訪ねるのだった。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)

源氏と内大臣の
それぞれが引き取っている娘のお話
内大臣が引き取っている近江の君
その
見た目は良いのに
態度は落ち着きがないまして
やたら早口
本人が言うにはお産のときに
祈祷した僧侶のせいだ
と人のせいにする


ひとのせいにしたり
愚痴をこぼしたり
落ち着きのない態度
それから早口には
くれぐれも
気をつけようっと

写真は今日の夕方の空
ベッドの頭の方を少しだけ上げると
青空が見える
白い雲が止まっているのか
動いているのか
ゆっくり動くのを眺めていると
飛行機がゆるゆる右から左手に
引っ張られるように消えた
得難い時間だ
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二十五帖・蛍

2019-10-30 18:38:14 | 源氏物語五里霧中

(源氏36歳5月)

玉鬘タマカズラは鬱々として楽しまないが、
源氏は彼女に好意を持つ公達をからかって楽しむ。
弟・兵部卿宮が来訪すると、
源氏は御簾の中に蛍を放って、
玉鬘の美貌を彼に見せつけるのであった。
六条院では五月雨のつれづれに
絵物語がはやり、
源氏と玉鬘が物語論を交わす。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)

さみだれの頃
王朝の姫君たちは読書にいそしむ
本と言うものは
ある程度の身分と財力のある
教養圏に入っていなけらばよめなかったようだ
玉葛は光源氏から六条院に引き取られ
漸く本を読める境遇を得たのだ
幼きを地方に過ごした玉葛にとって読書とは
夢のように読みふけり
また書き写す
必須の教養源だった

源氏が御簾の中に蛍を放つ
これは王朝の美と言われる
「おぼろ」
「うつろい」
「まぎらわし」

「まぎらわし」とは
光源氏が放った蛍の
その後始末を玉鬘に使える女たちが
慌てず騒がず無かったかのように始末した
さりげない振る舞いと所作の美
急な事態にもかからわず
何事もなかったかのようにする
それが「王朝の美」だと言うが
これは茶の湯にも通ずるのでは
慌てず
騒がず

人生にも 通ずか


茶花の写真を送ってくれた
見かえりそう、糸ススキ、なでしこ、水引、数珠サンゴ
Natural様 コメント有難う御座いました

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二十四帖・胡蝶

2019-10-29 19:44:21 | 源氏物語五里霧中
胡蝶
(源氏36歳3月から4月)

三月、
秋好中宮の宿下りにあわせて
六条院では船遊びが行われ、
その後も様々な行事が続く。
玉鬘のあまりの魅力に、
源氏までが冗談めいた想いを打ち明ける。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)


「春秋シュンジュウの争い」
「春秋論争」ということばがある
春と秋とを歌を以て競い合い
優劣つけることで
古代からの伝統の儀式でもあった
天皇家では
農耕民族にとって重要な芽生えの春
実りの秋に宴をもち
天智天皇が
藤原鎌足に命じ
「春山の万花の艶」と「秋山の千葉の彩」と
古くはこれ以前に「古事記」にもある
秋の兄と春の弟が一人の女性をめぐって争い
春の弟が勝ったと
源氏物語の頃は
春秋の争いは「遊び」としてとらえられ
春の紫の上と
秋好中宮の春秋の歌の贈答があった
贈答した和歌

紫の上
「花ぞのの
こてふをさへや下草に
秋まつむしは
うとく見るらむ」

秋好中宮
「こてふにも
さそはれなまし
心にありて
八重山吹を
へだてざれせば」

私めは三月の生まれゆえ
何となく春の草花が芽生えゆく様を熱望するが
実際は体調や情緒に変動が起き
自律神経乱れ飛ぶ
辛い春でもある
今10月は名残り
芸術の読書の秋みのりの秋
食欲の秋であれば
どうして春に勝てようか
四季のない入院生活
秋を
羨ましく思っている
でもあと一週間
耐え忍ぶのだ
自由が待っている

写真は
サントリーウェルネスから
送られてきた四つ葉のクローバー
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二十三帖・初音

2019-10-28 19:17:58 | 源氏物語五里霧中
初音ハツネ
(源氏36歳正月)

年明けて
六条院の優雅な初春の情景が描かれる。
しかし源氏の元に年賀に来る若公達は、
玉鬘タマカズラの噂に気もそぞろである。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)


 初音ハツネ
デジタル大辞泉の解説
はつ‐ね【初音】
鳥や虫の、その年、その季節の
最初の鳴き声。
特に、鶯ウグイスの鳴き声にいう。


 明石の君→姫君に
 新春のお手紙
年月を 
まつにひかれて 
経フる人に 
今日鶯の 
初音きかせよ

 姫君→明石の君
引き分かれ 
年は経フれども 
鶯の 
巣立ちし松の 
根を忘れめや

六条院の広さは一万八千坪
四季を象徴した、四つの町それぞれに
寝殿や対の屋があり、
壁で仕切られ、
廊下で繋がってもいる

辰巳(東南)の町が春、
春の町は源氏と紫の上、明石の姫君が住んだ。

丑寅(東北)の町が夏、
夏の町は花散里と夕霧が住み、
後に玉鬘が西の対に加わる。

未申(西南)の町が秋、
秋の町は秋好中宮の里邸

戌亥(西北)の町が冬。
冬の町は明石の君が住む

六条院に皆が移り年が変わった元旦
光源氏は四季の町へそれぞれへ年賀に訪れる
正月の行事に
齢ヨワイの文字は歯と書くので
長生きするように
堅いものを食べる
「歯固めの式」があり
またその年は元日が子の日だったので
「子の日の小松引き」をしていた
松の根が伸びる
ねのびを
初子の日に野に出て
小さい松を引いて帰り
家に植えたり梅の枝を添えて柱に掛け
鶯を待ったりした
その根の長さで長寿を願うものでもあったようだ
それが今の門松へと続いているのかも
丸い餅を重ねた「鏡餅」に願いを掛ける
風習もあるらしい
鏡餅が願いをかなえてくれるとは
知らなかった
源氏物語文学セミナーの先生のお話は
勉強になる

写真は今日のおやつ
封を開けたら今日中に食べろとある
言うとおりにした
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二十二帖・玉鬘

2019-10-27 18:51:28 | 源氏物語五里霧中
玉鬘十帖
これより玉鬘十帖
「玉鬘」より「真木柱」まで。
源氏35-36歳

夕顔と頭中将の子・玉鬘は、
運命のめぐり逢わせによって源氏に引きとられ
六条院に住まうことになる。
彼女は源氏、
源氏の弟・蛍兵部卿宮、
柏木(異母兄にあたる)
などから求婚されるが、
結局はもっとも無粋な髭黒大将が
強引に彼女と結婚してしまう。
玉鬘十帖は彼女をめぐる物語を中心に、
「初音」から「行幸」で
六条院の一年を優雅な筆致で描く
短い帖によって構成されており、
話の運びよりも風情が主体となっている。

玉鬘 タマカズラ
(源氏35歳3月から12月)
夕顔の死により、
玉鬘は乳母に連れられて大宰府へ移り、
美しく成人する。
父・内大臣に一目逢わせたいと願う乳母と共に
初瀬に参籠した折、
かつての夕顔から今は源氏に仕えていた女房・右近と
偶然めぐり逢い、
源氏に養女として引き取られる。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)


玉鬘とは多くの玉を糸に通した
古代の髪飾りのこと
またかつら・かもじの美称。
とあるが
先生は玉鬘とはサネカズラのことと仰る

真葛サネカズラとも実葛サネカズラとも書く
モクレン科の蔓性 の常緑低木。
暖地の山野に自生。
葉は楕円形で先がとがり、
つやがある。
雌雄異株で、夏、黄白色の花をつけ、
実は熟すと赤くなる。樹液で髪を整えたので、
美男葛 ビナンカズラともいう。さなかずら。《季 秋》

源氏物語では玉鬘の母親は夕顔
夕顔も蔓性
玉鬘も蔓性
自立せず他に巻きつき成長する
野性の逞しさを内包している
それを書いた
紫式部は凄い


写真は氷嚢
可愛い氷嚢だ
氷を入れて
リハビリの後は必ずアイシング
冷やして熱を取らねば
入院したては
何回も替えて貰ったが
今は下のタオルを冷やして膝に当てる
氷嚢の替えは日に二回位になった
回復している
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二十一帖・少女

2019-10-26 19:56:10 | 源氏物語五里霧中
少女
(源氏33歳4月-35歳10月)

葵の上との子・夕霧が元服する。
源氏は思うところあって、
彼を大学に学ばせるが、
貴顕の子弟として夕霧はこれを恥じる。
恋仲の幼馴染・雲居雁の父は
かつての頭中将であるが、
今や内大臣であり源氏の政敵として、
彼女との仲を塞えており、
夕霧は鬱々とする。
翌々年、源氏の邸宅・六条院が完成する。
院は四季の町に分けられており、
春に紫の上、
夏に花散里やその他の人びと、
秋は斎宮女御の宿下りの町
(このために秋好中宮と呼ばれる)、
冬に明石の上が住まいする。
末尾に、紫の上と秋好中宮の春秋の争い歌がある。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)


春秋の争い歌とはこれかしら
 秋好中宮
心から 
春待つ園は 
わが宿の 
紅葉を風の 
つてにだに見よ


 紫の上
風に散る 
紅葉は軽し 
春の色を 
岩根の松に 
かけてこそ見め



いくつもの台風や豪 雨
千葉方面のお弟子様
福島のかつてのお弟子様
どうしてるかと
思い切ってメールと電話をした
みな無事と

今朝は窓から焼けるような朱色から茜色
オレンジ色
自然は美しい
そして残酷だ
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二十帖・朝顔

2019-10-25 17:39:07 | 源氏物語五里霧中
朝顔
(源氏32歳秋から冬)

かつて源氏が深い想いを寄せていた
朝顔の斎院が退下した。
世人の噂が高いために、
紫の上は不安の色を隠せなかったが、
朝顔は源氏の求婚を拒み通した。
源氏は紫の上に女君たちのことを語ったが、
その夜夢に藤壺が現れ、
罪が知れたと言って源氏を恨んだ。
(ほぼウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)


源氏物語巻名歌
というのがある
『源氏物語』の巻名を詠み込んだ和歌、
あるいはそのような和歌を
集めた歌集を言う。
源氏物語巻名和歌、
あるいは単に
巻名歌や巻名和歌などとも呼ばれる。


朝顔の帖の和歌

 光源氏
見しおりの
つゆわすられぬ
朝顔の
花のさかりは
過ぎやしぬらん

 朝顔
秋はてて
露のまがきに
むすぼほれ
あるかなきかに
うつる朝顔

夕顔は庶民の垣根
朝顔は貴族の庭

病室の外は雨
大きなガラス窓の上のサッシ枠から
大きな雨粒が窓を伝う
風も強い

源氏物語の書かれたころは
地球は温暖期で日本の四季は
自然界と調和してはっきりと分かれていたようだ
穏やかな季節の移ろいが
漢字から仮名へ
漢詩から和歌へ
また源氏物語のような稀有な
女房文学を育んだのやもしれない
平安後期
平家など武士が活躍し始める頃は
地球の気候も変化し始めたようだ
現在も普通でない気候変動で
今日のテレビニュースは恐ろしい

コンコンとカーテンを開けて
別の部屋の知り合いがお菓子を届けてくれた
以前チョコレートを差し入れした
お返しだそうだ

お菓子とは
なんと美しいのだろう
食べる事を想像すると
陶酔してしまう
並べると卵やバターの香りがして
虹色の夢のようだ
バクバク食べはしない
飾って眺めて
あとで
ほんの少し食べるのを
許そう
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十九帖・薄雲

2019-10-24 19:15:38 | 源氏物語五里霧中
薄雲
(源氏31歳冬-32歳秋)

明石の姫君が源氏の元へ引きとられ、
大堰の別邸では親子の悲しい別れが繰り広げられる。
翌年の春、藤壺が薨去し、
源氏の悲哀はかぎりない。
一方で冷泉帝はふとしたことから
みずからの出生の秘密を知ってしまい、
実の父である源氏を皇位につけようとするが、
源氏はこれを諌め、
秘密を守りつづける。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)

源氏物語では
もの悲しい秋に
みなお亡くなりになる
夕顔
六条御息所
紫の上
でも
藤壺だけは春に亡くなり
多くの恋人達の中でも
光源氏にとって特別なひと
と印象つけるための
紫式部の意図だろうと
先生は仰る

この帖に相応しと
私の書いた漫画
僧正遍昭
816~890 平安時代前期の僧・歌人。
俗名は
良岑 宗貞(よしみね の むねさだ)。
大納言・良岑安世の八男。
官位は従五位上・左近衛少将。
花山僧正とも号す。
六歌仙および三十六歌仙の一人。

桓武天皇の孫という高貴な生まれ
であるにもかかわらず、
出家して天台宗の僧侶となり
僧正の職にまで昇ったこと、
また、歌僧の先駆の一人であることなど、
遍昭は説話の主人公として
恰好の性格を備えた人物であった。
在俗時代の色好みの逸話や、
出家に際しその意志を妻にも告げなかった話は
『大和物語』をはじめ、『今昔物語集』
『宝物集』『十訓抄』などに見え、
霊験あらたかな僧であった話も
『今昔物語集』『続本朝往生伝』に記されている。
江戸時代に製作された歌舞伎舞踊
『積恋雪関扉』では良岑宗貞の名で登場。
(ウイキペディヨアリ)

ただ者ではないね
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十八帖・松風

2019-10-23 19:39:47 | 源氏物語五里霧中
松風
(源氏31歳秋)

源氏は明石の御方に上洛をうながすが、
身分を恥じる彼女は
なかなか肯んじえない。
入道の薦めによりやっと
大堰川あたりの別邸へ
忍んで上京した彼女を
源氏は喜び迎え、
姫君とも親子の対面を果たす。
源氏に事情を聞いた紫の上は
みずからに子のないことに引きくらべ
嫉妬を覚えるが、
ゆくゆくは姫君を紫の上の養女としよう
という源氏の言葉に喜ぶ。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)


明石は
源氏の形見の琴の絃イトを鳴らしてみた。
非常に悲しい気のする日であったから、
人の来ぬ座敷で明石がそれを少し弾ていると、
松風の音が荒々しく合奏をしかけてきた。

 明石の母尼君
身を変へて
一人帰れる山里に
聞きしに似たる
松風ぞ吹く

 
 明石
変はらじと 
契りしことを 
頼みにて 
松の響に 
音を添へしかな

「松風」というと
琴の音に
峰の松風かよふらし
いづれのをより
しらべそめけむ

が浮かぶ

これは野宮歌合で斎宮女御が詠った
有名な「松風入夜琴」
977年、円融天皇の制止を振り切って
娘の斎宮と共に伊勢へ下向し、
前例のないこととして人々を驚かせた。
(この時の逸話は後に『源氏物語』で
六条御息所・秋好中宮親子の
もとになったと言われる)
と ウィキペディアの
斎宮女御のところに書いてあった


入院時に持ってきた本の中に
歌仙絵があった
見るだけで疲れないし
綺麗で楽しい
ちょっと真似して描いてみたら
やっぱり漫画
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十七帖・絵合

2019-10-22 20:46:30 | 源氏物語五里霧中
空白部分
(源氏30歳)
この年は物語のなかに記述がない。

絵合
(源氏31歳春)

冷泉帝の後宮に
時めく六条御息所の娘・
斎宮女御(梅壺女御。後の秋好中宮)と
権中納言の姫君・弘徽殿女御は、
それぞれかつての親友であった源氏
と頭中将(ここでは権中納言)が
後盾となって寵を競っている。
宮中に絵合が行われることになり、
二人はおのおの
みずからの姫君を勝たせるべく
絵巻の収集に余念がない。
絵合の当日、
源氏が須磨流浪の折の自筆の絵巻が
藤壺と冷泉帝に賞賛され、
斎宮女御方の勝ちとなった。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)


絵合エアワセは
歌合ウタアワセのように絵を左右に分け
優劣を決める

与謝野晶子の源氏物語に

左の
紫檀の箱に蘇枋の木の飾り台、
敷き物は紫地の唐錦、
帛紗は赤紫の唐錦である。
六人の侍童の姿は朱色の服の上に
桜襲の汗袗カザミ、
袙アコメは紅の裏に藤襲の厚織物で、
からだのとりなしがきわめて優美である。
右は
沈の木の箱に浅香センコウの下机シタヅクエ、
帛紗は青地の高麗錦、
机の脚の組み紐ひもの飾りが
はなやかであった。
侍童らは青色に柳の色の汗袗カザミ、
山吹襲の袙アコメ着ていた。
双方の侍童がこの絵の箱を
御前に据すえたのである


とまあ
しつらえの様子
侍童の装束の美しさが伝わってくる
雅の世界
今日は天皇陛下の
「即位礼正殿の義」
平安時代さながらの美しい装束
源氏物語の時代もかくやと想像
目が喜んでいる

今日で28日め
入院の前に切ってきたのだが
苦労をしてないからか
やけに爪が伸びる
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十六帖・関屋

2019-10-21 19:27:34 | 源氏物語五里霧中
関屋
(源氏29歳9月)

夫に従って常陸に下っていた空蝉が帰京する。
石山寺参詣の途次、
その行列に行合わせた源氏は
思わず歌の贈答を行う。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)


逢坂は関の清水も恋人の
あつき涙もながるるところ(与謝野晶子)

関屋とは
関所の番小屋のこと

源氏が京に戻ると
光源氏は石山詣でに出向く
ぐうぜん常陸国から戻ってくる空蝉と
逢坂の関ですれ違うのだ

と言っても
光源氏は大行列
道を譲るくらいでは済まない人数だ
関山で常陸の一行は皆下馬し、
あちらこちらの杉の下に
車などをかつぎおろす
そっと木の間にかしこまりながら
源氏の通過を目送しようとした。
女車も一部分はあとへと残し、
一部分は先へやり
などしてあったのであるが、
なおそれでも族類の多い
派手な地方長官の一門と見えた。
空蝉の一行だ
その時光源氏と空蝉とは
歌の贈答はあったが
結局再会はしなかった
その後常陸介(元伊予介)が亡くなり、
尼になった空蝉は
源氏の二条院の東の院で
暮らすようになる



関屋は源氏絵によく取り上げられる
関所らしき門が描いてあり
光源氏の豪華な牛車と従者達
留まってもいるような
空蝉の女車
人物も何人も描いてある

静嘉堂に 
宗達の六曲一双の襖絵
「源氏物語関屋澪標図屏風」がある
国宝だ
右隻が「関屋図」
「風神雷神図屏風」と並んで、
宗達最高傑作との評価が高い。
法橋宗達の落款があることから、
寛永七年以降の、
宗達の後期を代表する作品である。

何度か拝見したことが有るが
ただ琳派の美麗情趣にうっとり
次の機会には
空蝉と源氏の気持ちを汲んで
物語として眺めてみよう

写真は練切製の菊
昨日はサカチカさんの茶事
今年は還暦なので何度も茶事をした
今回が今年最後の還暦茶事
茶事のあと水屋の森金さんと
二人で夜七時過ぎて来てくれた
面会は八時までだが
その一時間のお喋り密度の濃いこと
楽しかったのだろう
お菓子をお裾分け頂き
今日の三時にしみじみと味わうが
飲み物は
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十五帖・蓬生

2019-10-20 20:55:25 | 源氏物語五里霧中
蓬生
(源氏28歳秋から29歳4月)

源氏逼塞の間、
ほかに頼るものとてない末摘花は
一途に彼を待ち続け、
落魄の生活にも耐えていた。
帰京した源氏は彼女を訪れ、
その純情に心を動かされる。
(ほぼウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)


精選版 日本国語大辞典の解説によると
【純情】
〘名〙 (形動) 純真でまじりけのない心。
すなおできれいな心。
また、そのような心を持っているさま。

また大辞林などは
純粋で邪心のない心。
世慣れしていず、
すなおなさま。
とある

では邪心とは何か
悪いことを考える心
よこしまな心

邪心の権現
あらゆるサギの蔓延する昨今だ
素直で綺麗な心
純情の持ち主では
生きていけないだろう

わがお弟子様達は
稀に見る素直で
綺麗な心の持ち主であり
皆さん姿もお顔も美麗だと
私は思っている
何しろ贔屓してるからだが

写真は
頂き物ですが
食べませんかと
私はぐっと飲み込んで
食べませんとお返ししたのに

夜の時間に気が緩み
ついつい甘いもの
食べてしまった
これじゃ痩せない
またも反省
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十四帖・澪標

2019-10-19 18:44:54 | 源氏物語五里霧中
澪標
(源氏28歳10月-29歳冬)

帰京後、
源氏は順調に政界に復帰し、
栄耀の道を歩みはじめる。
年変って、
朱雀帝退位。
実は源氏と藤壺の子でありながら
東宮であった冷泉帝が即位する。
秋、源氏は須磨明石の流浪を
守護してくれた住吉明神に詣でる。
明石の御方もたまたま
これに来合わせていたが
再会はできなかった。
また新帝即位により斎宮が交替し、
六条御息所とその娘の斎宮が帰京。
間もなく御息所は病死する。
源氏は御息所の遺言にしたがって
彼女を養女とし、
冷泉帝に入内させて
斎宮女御とする。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)


みを-つ-くし
【澪標】
往来する舟のために
水路の目印として
立ててある杭。
土佐日記
「みをつくしの
もとより出でて、
難波に着きて」

[訳]
みをつくしのところから
船出して、
難波に着いて。


「水脈ミオつ串クシ」の意。
「つ」は
「の」の意の古い格助詞。
難波の淀川河口のものが有名。
昔、淀川の河口は
非常に広がっていて浅く、
船の航行に難渋したことから
澪標が設けられた。
歌では、
「わびぬれば
今はた同じ難波なる
みをつくしても逢はむとぞ思ふ」
『後撰和歌集』

澪標=身を尽くし→難波
となるようだ

外は雨
うちの森金さんは
「薄茶待ち」の茶事に参加している
私は一度も経験がない
後日話しを聞くのが楽しみだ
写真は現在あるチョコレート
一粒を大事大事に食べていたが
こんなにあると
目の毒だポンポンと五個は食べてしまい
反省した
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十三帖・明石

2019-10-18 18:55:43 | 源氏物語五里霧中
明石
(源氏27歳3月から28歳8月)

父帝の夢告により源氏は須磨を離れ、
明石入道がこれを迎え入れる。
入道の娘・明石の御方と源氏は関係し、
やがて妊娠の兆候があらわれる。
一方都では朱雀帝の夢に
桐壺帝があらわれ、
源氏は無実の旨を告げて叱責する。
帝は源氏追放を悔いて勅旨によって
帰京を命じる。
源氏は明石の御方に心を残しつつ、
京へと戻る。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)

明石海峡はいにしえより
ことのほか夕陽が美しく
瀬戸内の島々を遠くに
淡路島近景に臨む
風光明媚な所
またその近辺の海流が速く
汐待の地としても重要故
『万葉集』
『古今集』
『新古今集』
多くの歌人・俳人などに
その地を歌われてきた

光源氏が隠遁した須磨では突然なる春の嵐
暴風雷雨が11日から12日も続くのだ
そのうえ渡り廊下に落雷炎上
恐ろしさに震えた光源氏や従者たちは
ただただ住吉の神に必死に祈るのみだ
と光源氏の夢に故父桐壷院があらわれ
住吉の神の導きのままこの浦を去りなさい
と宣う
それより
不遇なる今の光源氏の運命は
驚愕的に好転し始めたのだ


住吉神は
大阪住吉大社の祭神
海の神とともに
歌の神として
古くから崇敬された
Amazonで
金運・仕事運・商売運なら
『「住吉の神さま」にまかせなさい』
という本を売っていた
一応
買ってみた



写真は
今朝ほど病室のカーテンを
看護師さんが開けにきて
端にカーテンを寄せたのだが
寝たままベットから見ると
ぽかんと口をあけた
鯉かなにかの魚のように私はみえる
ちょっと癒される
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十二帖・須磨

2019-10-17 19:03:08 | 源氏物語五里霧中
須磨流寓~都へ

須磨
(源氏26歳3月から27歳3月)

罪せられそうな気配を敏感に察し、
源氏は先手を打って須磨に隠遁する。
関わりのある女君たちに別れを告げ、
紫の上の身上を心配しつつ
京を去る源氏の姿は、あわれぶかい。
翌年春、
海辺に源氏が上巳の禊を行うと
天に嵐がおこる。
一方で隣国の明石入道は、
須磨に源氏が仮寓することを知って
娘との結婚を画策する。
(ウイキペディア源氏物語あらすじヨリ)


「須磨帰り」とよくいう
源氏物語を読み始め
須磨の帖あたりで
やめてしまう
続かなくなる人が
昔からいたのだろう
私も何度も途中でくじけ
また読み始める
それを繰り返した

石山寺観月の図という
紫式部が石山寺から二月堂を前に
月を眺めている図が有名だ
この時
紫式部は琵琶湖に映る満月を見て
不思議と物語が湧き出て
源氏物語の
須磨の帖から
書き始めた

物の本に書かれているそうな

在原行平は文徳天皇のとき
須磨に蟄居を余儀なくされ、
謡曲『松風』は行平の和歌や、
須磨漂流などを題材としている。


写真は私の普段の手帳
今日は3時に
上用饅頭とチョコレートを三個
食べてしまった
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