都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
節分には、柊(ひいらぎ)の枝にいわしの頭を刺したものを軒先にかけるという風習があるそうです。一種の魔よけのしるしです。
鰯の頭を焼いて臭いを強くしたものを柊の枝に刺し、それを玄関先につけて、鬼が入ってこないようにする風習があります。これを「鰯柊(いわしひいらぎ)」「柊鰯(ひいらぎいわし)」「柊刺し(ひいらぎさし)」「 焼嗅(やいかがし)」などというそうです。
柊は棘(とげ)のある葉が邪鬼を刺すので、その進入を防ぎ、いわしの頭は邪鬼がその臭気を嫌がるところから、追い払うのに役立つのだとか・・・。
逆に、鰯の臭いで鬼を誘い、柊の葉の棘が鬼の目をさすとも説明される場合もあるようです。
このため、別名を「オニノメツキ(鬼の目突き)」というそうです。
ひいらぎ〔ひひらぎ〕【×柊/×疼木】
モクセイ科の常緑小高木。山地に自生。葉は卵形で厚く、縁にとげ状のぎざぎざをもち、対生する。雌雄異株。10、11月ごろ、香りのある白色の小花を密生し、楕円形で黒紫色の実を結ぶ。生け垣や庭木とされ、材は器具・楽器・彫刻などに用いられる。節分には悪鬼払いとして、枝葉にイワシの頭をつけて門口に挿す。ひらぎ。《季冬》「―の花にかぶせて茶巾(ちゃきん)干す/みどり女」
大辞泉
生垣や庭木として広く利用されますが、魔除けとして鬼門の方向に植えたり縁起木として玄関脇に植えたりしたそうです。
名前の由来は葉の縁のトゲ状のぎざぎざに触れると痛いので、古語で「ずきずき痛む、うずく」と言う意味の「ひいらぐ」から「ひいらぐ木」、それが転訛して「ヒイラギ」となったようです。漢字では「柊」と書くのが一般的ですが、「痛む・うずく」と言う意味の「疼」の字を当てた「疼木」でも「ヒイラギ」と読みます。
平安時代には、正月の門口に飾った注連縄(しめなわ)に、柊の枝と「なよし(ボラ)」の頭を刺していたことが、紀貫之作、承平5年(935)成立の『土佐日記』の中に出ているそうです。
この「鰯柊」の風習は奈良中心に現在も残っているそうです。
私の祖父は宮城県の出身のため、そのような風習は知りませんでした。
★ おまけ★
昔から多獲魚で、鮮度落ちが早く生臭みが出るので、下賎な魚として扱われてきたようです。平安時代の貴族は鰯を食べなかったが、「紫式部(藤原香子)」※は鰯を好んだという事です。ある日、夫の藤原宣孝に隠れて食べていたのを見つけられ、抗議したそうです。
このときに作った歌が「日のもとにはやらせ給ふいはし水まいらぬ人はあらじとぞ思ふ」だそうです。この歌は、「日本中で流行している岩清水八幡宮に、参拝しない人はいないと思います。」と解釈できます。
しかし、実は「岩清水八幡宮」と「鰯」を掛けて、「日本中のほとんどの人々は、鰯を美味しいと食べているのに、これを食べないのは口惜しいと思います。」ということを歌ったとされています。(この歌は「和泉式部」の作という説もあります。)
この逸話から「女房詞(にょうぼうことば)」で「鰯」を「御紫(おむら)」、「紫(むらさき)」と言うようになったそうです。
※「紫式部」は日本人初の「ペンネーム」といわれています。
したっけ。