稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

順風から逆風 そのとき人は

2022年09月29日 | 日々
 安倍元首相の国葬が終わった。

 当初からは想像できなかったような反対世論の高まりの中での国葬だった。

 報道によれば、岸田首相の国葬表明は銃撃事件から6日後の7月14日。

 これに先立ち、財界や自民党幹部からは首相あてに
「国葬にせよ」との電話が相当かかってきていたらしい。

 首相は今後の円滑な党運営からも国葬を決断したというのはすでに耳にした話。

 確かにそう決断したのは自然だったかもしれない。

 銃撃現場では献花に訪れる人が絶えず、報道でもその様子が繰り返し流された。

 国中が悲しんでいるかのように見え、
生前の安倍元首相の歩みを批判することさえはばかられるような状況でもあったのだから。

 しかし、その後旧統一教会問題などで風向きは一気に変わった。

 その結果、首相一人が批判の矢面に立たされ、
党内保守系議員らは何も言わなくなったという。(9月28日付け「朝日」)

 風は気まぐれ。いつどう吹き変わるかは誰にもわからないものだ。

     
 
 子どもの頃、ぼくらはよく野球をして遊んだ。

 時として、投げたボールが、あるいは打ったボールが近所の窓ガラスにガチャン!

 そんなとき、まわりの子どもは逃げ去るか、あるいは「知いらんで、知いらんで・・・」
など後ずさりしながらはやし立て、一方ボールを飛ばした子どもは泣きべそ、あるいは真っ青。

 そんなことがよくあった。

 なかなか「みんなで謝りに行こう」とはならなかった。

 今回の国葬をめぐる自民党内の動きを見ていると、
そんな子どもの頃の心の動きを思い出してしまう。

 長じた今、ぼく自身は「みんなで謝りに行こう」と言える大人になれたのだろうか?
コメント
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