稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

ハンセン病の悲劇から何を

2019年07月01日 | 日々
 去る6月28日、熊本地裁の判決。
 ハンセン病の元患者たちの家族の訴えを認め、国に賠償を命じた。

 患者だけでなく、その家族が被った苦しみを考えれば当然であり、
国は控訴せず、受け入れてほしい。

   
 
 伝染病あるいはそれに類する病。
 それが未解明なうちは社会の混乱も避けられない。

 けれどもそれが解明されれば、国あるいは医療関係者はそれに即応して啓蒙、
制度改正等々に着手しなければならないはず。

 ハンセン病についてはそれが遅れた、
といよりも長期にわたって放置されてきたのが実情だ。

 加えて言えば、ぼくら国民一人ひとりは風評にまどわされず、
冷静な対応に努めることだろう。

 過去の「無らい県運動」などに代表されるヒステリックな住民運動などがその典型だ。

     

 ハンセン病をめぐる教訓は重い。

 ぼくらがいつかまた似た局面に遭遇したとき、
どれだけ成熟した態度で向き合えるだろうか?

 新たな伝染病あるいはそれらしき病は繰り返し現れるはずなのだから。
コメント
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