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◆その出ることは、

2017年02月27日 15時45分25秒 | 聖書
昔から、永遠の昔からの定めである。(ミカ五・二)
主イエスは民の代表として御座の前に進んで出られた。それは民が時の舞台に現れるより、はるか以前のことであった。民のために主が父なる神と契約を結ばれ、血を流さなければならない者のために自ら血を流し、苦しむ者、死すべき者に代わって苦しんで死なれることは、「永遠の昔からの定め」であった。主が頭の先から足の先まで血のしたたりにおおわれ、つばきをかけられ、四肢を釘で貫かれ、あざけられ、引き裂かれて死の苦痛の中で砕かれることは、「永遠の昔からの定め」であった。私たちの保証人として出られたのは、「永遠の昔からの定め」であった。
私のたましいよ。立ち止まれ。驚け。おまえはイエスにおいて「永遠の昔から」出ることが定められていた。この世に生まれ出た時にキリストが愛されただけでなく、人が地上に一人もいなかった時から、キリストは私たちを喜ばれた。人の子たちを絶えず心にかけ、永遠の昔から永遠の未来に至るまで、愛を注がれる。
私のたましいよ。主が永遠の昔からおまえの救いのために心を砕かれているのに、その救いを完成されないことがあろうか。私を救うために永遠の昔から出て行かれたのに、今私を見捨てられることがあろうか。山々が生まれる前から、海がまだ造られなかったころから私を選ばれたのに、今になって拒まれるだろうか。否、そのようなことは決してあり得ない。
私は堅く信じる。もし主が変わることのない愛に満ちたお方でないなら、決してそのように長く愛を注がれるはずはないということを。もし主が私を見限られるとすれば、永遠の昔からそれをなさったであろう。もし主が、地獄のように深く、死のように強い愛をもって愛しておられなかったなら、はるか以前に私に背を向けられたことであろう。なんという喜びであろう。私が、主の永遠の譲渡されることのない相続地であり、地の造られる永遠の昔に、父なる神によって主に与えられたことを知るのは。今夜、この永遠の愛を枕として眠りにつきたい。
 

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