彼女は夏の暑さと夜の雨露とを受けて戸外で過ごした。眠りは彼女の泣きはらした目から去り、彼女の胸は少しもまどろむことがなかった。見よ。彼女がいかに子どもたちを愛していたかを。リツパはこのように耐えていたのに、私たちが些細な不都合や試みに驚いていてよいだろうか。主と共に苦しむことができないほど私たちは臆病でよいのか。
彼女は勇気をふるって野獣すらも追い払った。私たちはイエスのために、すべての敵と戦う準備ができていないのか。この息子たちは、彼女にではなく、他の者の手によって殺された。にもかかわらず、彼女は泣きながら見守った。では、自分たちの主を自らの罪によって十字架につけた私たちはどうすればよいのか。
私たちの義務は無限であり、愛は熱烈であり、悔い改めは徹底的でなければならない。主と共に目を覚ましていることが私たちの務めであり、主の誉れを守ることが私たちの仕事であり、主の十字架の下にいることが、私たちの慰めでなければならない。死体は、特に夜など、リツパを恐れさせたことであろう。しかし、主の十字架の下に座す私たちにとって、いやなものは何もなく、心を引きつけるもののみである。十字架上の救い主は生ける美の極みであられる。
イエス様。私たちはなおしばらく、あなたと共に見張りをいたします。すると、あなたはあわれみによってご自身を現してくださいます。その時、私たちはもはや荒布の下に座らず、王の幕屋の中に座するのです。