座間コミニティー

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出エジプト記34章10-節

2012年01月31日 07時31分30秒 | 聖書

34:10 主は仰せられた。「今ここで、わたしは契約を結ぼう。わたしは、あなたの民すべての前で、地のどこにおいても、また、どの国々のうちにおいても、かつてなされたことのない奇しいことを行なおう。あなたとともにいるこの民はみな、主のわざを見るであろう。わたしがあなたとともに行なうことは恐るべきものである。」
  モーセは先に、主に対して、自分たちに恵みを与えて下さるのでしたら、主が私たちと共にいて、私たちと共に進んで下さいと願いました。
 主はこのモ-セの願いに対して、今ここで契約を結ぼうと語られました。
契約というのは、通常、互いが権利と義務を負うような形をなされるのが普通です。
しかし、ここでは、両方に権利と義務を負わせるのではなく、主の方で一方的に義務を負って下さる、そうした契約を結んで下さるというのです。
片務契約であり、主からの約束です。
その約束は、主がどんな時も、また、どこにいても、主は主の民を祝福し、守り、奇跡を持って豊かな恵みを注いで下さるというのです。
具体的には、恵みによって、約束の地を獲得する実現を図って下さるというのです。

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◆うるわしい首飾り

2012年01月31日 07時20分00秒 | 聖書

わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、
これらを見失うな。
それらは、あなたのたましいのいのちとなり、
あなたの首の麗しさとなる。         (箴言三21―22)

あなたの魂にいのちがみなぎり、あなたの首には美しい首飾りが輝いていますか。――つまり、あなたは美しく魅力的でしょうか。
私の妻は、少女時代に、妹のほうが美人で自分はそうではないという劣等感に悩まされたそうです。この世には自分の容貌もさることながら、生き方にも仕事にも人間関係にも、自信が持てないで悩んでいる人が実に多いのです。
私と結婚してからというのでもないでしょうが、今の妻には劣等感のかけらもありません。私も、妻を不美人と思ったことがないのです。
神に愛されていると知ること、これこそすぐれた知性・すばらしい思慮です。心に神の愛が満たされると、もう小手先細工をしなくてもよくなります。神が心をいのちで満たすばかりか、首には美しい首飾りまでしてくださいます。そこに、何ともいえない自分だけの持ち味・魅力がただよいます。
ですから、神の愛を知る知恵を見失わないように見張れと聖書は言うのです。
「わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。それらは、あなたの頭の麗しい花輪、あなたの首飾りである」(箴言一8―9)。

 

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◆主は私たちの正義。

2012年01月31日 07時18分32秒 | 聖書

(エレミヤ二三・六)

クリスチャンがキリストの完全な義を考える時、いつも深い落ち着きと、静けさと、安心と、平安をいただく。神の聖徒たちも、しばしば気落ちしたり、悲しんだりすることがあるが、それではいけないと思う。もし彼らが、キリストにある自己の完全を常に見ることができるなら、そうはならないであろう。
ある人々は、常に自分の心の腐敗堕落や、たましいの生来の悪い性質を口にする。それは真理ではあるが、なぜ一歩進んで、私たちが「キリストにあって完全な者」であることを考えないのか。自分の腐敗のみを見つめている人に元気がないのは当然である。しかし、もし私たちが「キリストは、私たちにとって……義となられた」ことを思い起こすなら励まされる。困難が私を悩まし、サタンが私を攻撃し、天国に到達するまでには多くの経験が必要だとしても、それらは神の恵みの契約によって私のためになされている。
私の主には欠けたところが一つもない。キリストはすべてを成就された。もしすべてが成就されているなら、私は主にあって完全であり、「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどって」いる。「律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる」のである。
あなたは、この地上の天国において、キリストの義の奥義を心に受けた人々よりも聖なる者を見いだすことはないであろう。信者が「私はキリストの中にのみ生き、その救いにより頼み、自らは価値のない者であるが、イエスによって救われていることを信じる」と告白する時、感謝に満たされて次のような思いが起きてくる。「私たちはキリストのために生きるべきではないか。キリストにのみ仕えるべきではないか。」「キリストの愛が私たちを取り囲んでいる。」「生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」
もし転嫁された義によって救われたのなら、この与えられた義を高く評価すべきである。

 

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暮らしに役立つ制度

2012年01月30日 18時08分39秒 | 公共・政策

世帯分離で非課税世帯へ

著作権の問題で全文掲載できません。

問合せ 大西 080-3244-1573

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ゴンザレスです。

2012年01月30日 16時51分13秒 | 日記

                      

今日は少し暖かいので瞑想していました。

最近閲覧者が増えているので嬉しいです。

熱々のたいやきが食べたいですね。

甘いものが大好きです。

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レター・泉教会120130

2012年01月30日 16時48分55秒 | 聖書
横浜から相鉄線に乗り、大和を過ぎた辺りに、米軍厚木基地があります。その名前を、私たちは今言ったようにいつも厚木基地とか厚木飛行場とか言っていますが、あるとき、教えてくれる人がいて、正式な言い方は「米海軍厚木航空施設所」と言うことが分かりました。 ところで、そのことがわかってから、何やら不自由になって仕方がないわけです。たとえば、厚木基地と言う時、「厚木基地…ん? いや厚木飛行場だ…いや違った、航空施設所だった」という具合に、今まで何でもなく厚木基地と言ってきたものが、どうも、すんなりいかないわけです。地元で通じる、今までの言い方のままでもいいか、正式には厚木航空施設所なら、そう言うべきか… という具合で、どうもぎこちないことになってしまったわけです。本当のことというのは、なかなかやっかいなものだと思います。 本当のことを知ることは大事なことですし、正しいこと、筋道というものは、曲げるわけにはいきません。しかし、ただ自分だけが、そのことにこだわっていることがあるかも知れません。それを話すことで、周りが不自由になるような、そういうこだわりが、私たちには、あるかも知れないのです。もしかしたら、自分は「どうでもいいこと」にこだわっているのかもしれません。そして、自分のこだわりのために、周りの人はどんな窮屈な思いをしているかもしれないのです。そういうことは、ないでしょうか。 小さなこだわりが、意外と大きなつまずきになることも起こります。私たちは、まず、自分のこだわりに気付いていることが大事なことのようです。 聖書の言葉「たとえ天使たちの言葉を語ろうとも、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、完全な信仰を持っていようとも、全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、そしてわが身を死に引き渡そうとも、─ 愛がなければ、何の益もない」。
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●労働協約が失効した場合●

2012年01月30日 10時10分04秒 | 労働法

 労働協約の期限が切れたり、あるいは解約によって失効した場合に、次の新たな労働協約が締結されたり、就業規則や個別の労働契約によって新たな内容の労働契約が合意されるまでの間は、失効した労働協約の労働条件が尊重されるという考え方があります。
 また労働協約が失効した場合でも、同様の内容の就業規則が存在するときがあります。もし、失効した労働協約の労働条件と、就業規則が規定する労働条件が異なる場合に、就業規則のないように合理性が認められるときには、就業規則の規定によることになります。 ただし労働組合を脱退した場合には、その労働組合と会社との労働協約は適用されないことになります。

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出エジプト記34章11-16節

2012年01月30日 07時08分28秒 | 聖書

34:14 「あなたはほかの神を拝んではならないからである。その名がねたみである主は、ねたむ神であるから。」
  主は十戒の中で、民に対して、偶像を造ってはならないということと、それを礼拝することを禁じられました。
その理由は、主はねたむ神だからだ、と言われています。
ねたむと言いますと、私たちが持つねたみということを思って、嫌な感じがします。
それは、ねたみが、私たちがそれに値しないものを持とうとする思いから来ることであるから、そう感じるのです。
しかし、主がねたみと言いますのは、主が持っておられる権威を当然に守ることから来ている姿勢でした。
ただ一人の神であるお方が、その神としての権威を守ろうとしておられる、その当然の態度であられることを見るのです。
  私たちはここで主が、ご自分のことをねたむ神であると言われている点に、よく注意をしたいと思うのです。
主はそれほどまでに、神であることの権威を、絶対に譲らないお方であることを見るのです。
その権威は、他に比べることが出来るものがないのです。
だからこそ、このお方のみを神として、礼拝することが大切なのです。

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◆神の造られた世界

2012年01月30日 06時52分01秒 | 聖書

主は知恵をもって地の基を定め、
英知をもって天を堅く立てられた。       (箴言三19)

私の家の八十二歳のおばあちゃんのところへ、数年前、七十七歳のおばあちゃんが訪ねてこられました。駅に着いたら車でお迎えに行きますからということだったのに、重い小豆島そうめんのおみやげをぶらさげて歩いてこられたのです。汗びっしょりでした。「まあまあ、どうして電話をかけてくださらなかったのです。」「石油ショックで、ガソリンを節約しなけりゃならないでしょう。」真剣な顔で言われたのには、びっくりするやら笑うやらでした。
たくさんの人が、この世界について不安を覚えています。世界中の学者も技術者も、「この地球はどうなるのだろう」と考えています。しかし聖書は、「神が知恵をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた」と書いています。
旧約の詩人は、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」(詩篇一九1)と歌いました。広大な宇宙にも神の英知が見られます。しかし、小さな野の花にも、一ひねりでつぶれる小さな羽虫の生き方にも、確かな神の英知が見られます。実に巧妙に世界は造られ、すべてに調和があります。神の英知という法則に従って、花は咲き鳥はさえずっているのです。岩陰の岩ダヌキも一羽の雀も一匹の蟻も、保たれ養われています。
ところが、人間の社会を見ると問題ばかりです。これは神にすばらしく造られた私たち人間が神を拒否し、神の英知に逆らっているからです。神の英知と愛を知り、これと合わせて生き始める時、神は全天地を支える力をもって私たちを守ってくださいます。すべての思想の及びもつかない神の平安で守られます。信仰と従順こそ、神の知恵を知る方法なのです。

 

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◆バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは攻め上れ。

2012年01月30日 06時50分22秒 | 聖書

(Ⅱサムエル五・二四)

キリストのからだである教会に加わる者は、祈り深く、常に聖霊の油がその心に注がれ、キリストの王国が実現されて、「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように」と求めなければならない。しかしまた、神が特別にシオンに幸いを与えられる時がある。そのような時期が、ここに言う「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」時である。この時には私たちはこれまで以上に祈り深くなり、熱心になり、さらに御座の前で祈りをもって争わなければならない。活動は迅速で活発であるべきである。潮は満ちてきた。私たちは元気よく、岸辺に向かってこいで行こうではないか。ああ、ペンテコステの日の御霊の傾注と、その目覚ましい働きよ。
主にある友よ。あなたにも、「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」時がある。祈りに特別の力を感じ、神の御霊が喜びと楽しみを与え、聖書があなたに開かれ、約束が実現され、神の御顔の光の中を歩み、個人礼拝において特別の自由を感じ、キリストとの交わりがこれまでになく密接な時がある。このように、あなたの「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」ような喜びの時こそ、あなたが攻め上る時である。この時こそ聖霊があなたの弱さを助け、すべての悪い習慣に勝たせられる時である。あなたの帆を広げよ。しかし次の歌を覚えておけ。
 私は帆を広げることができるだけです
 神よ。追い風を送ってください
あなたは帆を上げることを怠ってはならない。準備のないために、追い風を見逃すことのないように。あなたが信仰的に強くなった時には、義務においてもいっそう熱心になることができるように。御座に近づくことができる恵みが加えられれば加えられるほど、ますます祈ることができるように。あなたがキリストに近く生活をすればするほど、ますますその語るところも神聖になり得るように。あなたはこのような助けを神に求めよ。

 

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出エジプト記34章1-9節

2012年01月29日 11時53分27秒 | 聖書

34:1 主はモーセに仰せられた。「前のと同じような二枚の石の板を切り取れ。わたしは、あなたが砕いたこの前の石の板にあったあのことばを、その石の板の上に書きしるそう。」モーセは、民が偶像を作ってそれを拝むという、神の御心に背く行為をしたために、激しい憤りを持って、主から与えられた、十戒が記された石の板を、粉々に砕いてしまいました。
そのことによって民は、自分たちが主の御心を無にした事実を、強く覚えさせられました。 ところが、今、モ-セの執り成しと主の憐れみによって、一部の人々が裁きのために滅ぼされましたが、残された人々が神様によって罪の赦しを受けて、主の祝福の内に置かれるようになりました。
その時、モーセは、主からの招きの声を聞いたのです。
それは、主が再び、十戒を石の板に記して下さるということでした。
 十戒が与えられるということは、神様の御心を知らされるということです。
また、石の板に記されるということは、それをいつでも知ることが出来るということです。それは、主の民にとって、真に祝福です。
それは、私たちが、神のことばである聖書を与えられるような祝福と、同じです。

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◆金銀にまさる知恵

2012年01月29日 11時45分15秒 | 聖書

幸いなことよ。知恵を見いだす人、
英知をいただく人は。
それの儲けは銀の儲けにまさり、
その収穫は黄金にまさるからだ。(箴言三13―14)

現在、物価がジリジリ上がっているようです。そこで、もうお金の値打ちに信用がおけず、金や銀や宝石類に換えて取っておこうとしている人が多いと聞きます。しかし、ちょっと考えただけでも宝石類には問題があります。
・ にせものとほんものの区別がつかず、うっかりにせものをつかまされる。
・ いつ盗まれるか分からない。
・ いざという時、金銀宝石は煮ても焼いても食べられない。
・ 金銀宝石を子孫に残すと、争いが起こったりなまけ者ができたりして、よいことがあまりない。
ところが、宝にもまさってすばらしいのは、神を知る知恵・英知です。
・ これは目べりもしないし、盗まれもしない。
・ 神を知る知恵は、どんな苦しい時でも悲しい時でも、心の中からわきあがる力を与えてくれる。
・ 子孫に伝えれば、どんな遺産を残すより確実に子孫を幸いにする。
・ 神の知恵は、その人にいつも上を向いて希望に満ちて生活させるだけではなくて、他の人にまで恵みと力を与える。
神を知ることによって得るもうけは、神がすべてを支配していて、神に従う者に最善を与えてくださるという確信です。それは、神があなたを愛していてくださり、慰め・力・希望をいつも満たしてくださるという確信です。また神の知恵は、いつもほんものとにせもの、一時的なものと永遠のものを見分けさせてくださるのです。
心を尽くしてこの知恵を自分のものとすべきです。

 

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◆私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。

2012年01月29日 11時43分47秒 | 聖書

◆私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。(Ⅱコリント四・一八)

クリスチャンの歩みにおいて、前を見つめていることはよいことである。冠は未来にあり、ゴールは前方にある。それが希望であろうと、喜びであろうと、慰めであろうと、私たちの愛を奮い立たせることであろうと、信仰の目をもって見る主な対象は、未来でなければならない。前途を望んでこそ、私たちは罪をきよめられ、罪と死のからだが滅ぼされ、たましいが完全な者とされ、光の中にある聖徒たちの資産を受け継ぐにふさわしいものとされるのを見ることができる。
さらに前方を眺めるなら、信者の輝いた目は死の川を横切り、悲しみの川を渡って、天の都の建てられている光の丘に到達する。彼は真珠の門をくぐり、圧倒的な勝利者として歓呼を受け、キリストの手から冠を授けられ、その腕に抱かれ、イエスとともに栄光を受け、共に王座に座る。それはちょうどイエスが勝利を得て、父なる神とともに御位に着かれた時のようだ。
このすばらしい未来を考えると、過去の暗黒も現在の憂いも消えてしまう。天上の喜びは地上の悲しみを償って余りあるものである。恐れの思いよ、静まれ。この世はつかの間であり、まもなくそれを通過することになる。疑いよ、退け。死は狭い流れにすぎず、すぐにそれを横切ることになる。時はいかに短く、永遠はいかに長いことであろう。死は瞬間であり、永遠のいのちには限りがない。私は思う。私はすでにエシュコルの谷のぶどうを食べ、天国の門の内にある泉をくんで飲んでいるのである。目標は近づいた。まもなく私はそこにたどり着くであろう。
 この世にあって私の心が
 憂いの嵐に悩む時
 思いははるか天を駆けて
 嘆きも消える避け所を見つける
 この世での巡礼が終わるまで
 輝く幻が私を支える
 憂いに悩み、困難が私を責めるとも
 ついに私は天の家に帰るだろう

 

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●有利性原則の問題●

2012年01月29日 11時42分15秒 | 労働法

 労働協約は、会社と労働組合との合意による契約でありながら、そこで規定された労働条件がその組合員個人の労働条件を規定するという「規範的効力」があります。
 しかし、もし個人の労働条件が労働協約よりも有利である場合には、その有利な部分は無効となり、労働協約の条件になると考えられています。これは就業規則とは大きく異なる点です。
 就業規則の規定よりも有利な個別の労働契約の内容は、その有利な部分については個別の労働契約が適用されます。これを有利性原則といいます。労働協約と個別の労働契約の関係では、この有利性原則が否定されています。
 労働協約は、労使の交渉による合意によって締結されます。つまりたとえ不利な労働条件であったとしても、それが交渉の結果であって、不利な労働条件の一部分だけをみて、単純に不利か、有利かを判断することはできない可能性が高いからです。
 労働協約の規定する労働条件に関しては、その内容の合理性判断というよりは、交渉過程が問題となるものです。結果としての条件内容はともかく、その結果に至ったプロセスが、果たして労使対等の立場で、適切な議論を経たものかどうか、という点が最も重要ではないかと思います。

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●協約自治の原則●

2012年01月28日 10時36分18秒 | 労働法

 これは労使が交渉を通じて労働協約を締結することによって、労働条件を決定し、その内容を尊重するというものです。労働条件が労使の対等な立場から話し合いによって決定しているのならば、その合意した労働条件に対しては、法的にどうこう言う筋合いのものではない、ということです。
 これが就業規則の場合には、会社が一方的に作成できるものなので、果たしてこれが適切なものなのか、法的に「合理性」の有無を確認し、その労働条件が有効なのかどうかを判断する余地がありますし、その合理性判断そのものに意味があります。
 しかし労働協約は、両者が合意しなければ締結できない点で就業規則とは異なります。とはいうものの、労基法などの強行法規や公序良俗に反する場合には、無効となる可能性もあります。

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