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●有期雇用契約に関する法律規定(その2)●

2013年01月31日 11時09分02秒 | 労働法

 労働契約法19条では、「雇止め法理」の適用を受ける有期労働契約の二つのケースを規定しています。その一つは、
「当該労働契約が過去に反復して更新されたことがあるものであって、その契約期間の満了時に当該有期労働契約を更新しないことにより当該有期労働契約を終了させることが、期間の定めのない労働契約を締結している労働者に解雇の意思表示をすることにより当該期間の定めの無い労働契約を終了させることと社会通念上同視できると認められること」としています。
 つまり、期間満了で契約を終了させることが、解雇することとニアリーイコールである場合を指しています。この考え方の基となった判例は、東芝柳町工場事件ですが、その内容は次のようなものです。
 期間2ヶ月の契約を反復更新してきた臨時工を期間満了を理由に雇い止めしたもので、裁判では、更新手続がルーズで、自動更新のような状況になっていたとして、期間満了による更新拒否は解雇と同様に考える必要がある、とするものです。
 このように更新手続がルーズで、更新契約書面を事後的に取り交わしたり、契約が更新されることが当たり前のような状況になっているような場合には、この労働契約法19条1号の規定によって、雇止め法理の適用を受けることになります。
 しかし、この判決の後に、期間契約の労働者に対しては、更新手続きを厳格に行うことが重要であるという認識が拡がり、現在では更新手続がないというケースはほとんど無いと思われますが、更新手続きがきちんと行われているケースでも、雇止め法理の適用を受ける場合があります。それが労働契約法19条2号に規定されています。これがもう一つのケースです。

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申命記14章28-29節

2013年01月31日 11時06分33秒 | 聖書

14:28 「三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を全部持ち出し、あなたの町囲みのうちに置いておかなければならない。」


ここでは、3年が終わるごとに民がなすべきことを語っています。

それは、毎年捧げる収穫の10分の1を、今回は神殿に持って行くのではなくて、町囲みのうちに、すなわち自分たちの町の中に置きなさいというのです。

何のためであるのかと言いますと、レビ人だけにではなくて、今回は、在留異国人やみなしご、やもめの人々などに、その食を分配するためであるというのです。

レビ人は毎年与えられておりますので、3年の終わりごとには、こうしたあり方をとりなさいと言われるのです。

貧しい者、また弱い人たちに対する主の配慮です。

 教会では執事の方々が選ばれることがあります。

この方々は、単に教会の会計や事務をするということのみではなくて、こうした教会内におられる弱い方々、また助けを必要としている方々に、教会全体としてどのように配慮するのかを考えて、事をなす人々でもあるのです。

こうすることによって、主の恵みの分配がなされるのです。


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◆うるわしい首飾り

2013年01月31日 10時59分45秒 | 聖書

わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、
これらを見失うな。
それらは、あなたのたましいのいのちとなり、
あなたの首の麗しさとなる。         (箴言三21―22)

あなたの魂にいのちがみなぎり、あなたの首には美しい首飾りが輝いていますか。――つまり、あなたは美しく魅力的でしょうか。
私の妻は、少女時代に、妹のほうが美人で自分はそうではないという劣等感に悩まされたそうです。この世には自分の容貌もさることながら、生き方にも仕事にも人間関係にも、自信が持てないで悩んでいる人が実に多いのです。
私と結婚してからというのでもないでしょうが、今の妻には劣等感のかけらもありません。私も、妻を不美人と思ったことがないのです。
神に愛されていると知ること、これこそすぐれた知性・すばらしい思慮です。心に神の愛が満たされると、もう小手先細工をしなくてもよくなります。神が心をいのちで満たすばかりか、首には美しい首飾りまでしてくださいます。そこに、何ともいえない自分だけの持ち味・魅力がただよいます。
ですから、神の愛を知る知恵を見失わないように見張れと聖書は言うのです。
「わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。それらは、あなたの頭の麗しい花輪、あなたの首飾りである」(箴言一8―9)。

 

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◆主は私たちの正義。

2013年01月31日 10時55分15秒 | 聖書

(エレミヤ二三・六)

クリスチャンがキリストの完全な義を考える時、いつも深い落ち着きと、静けさと、安心と、平安をいただく。神の聖徒たちも、しばしば気落ちしたり、悲しんだりすることがあるが、それではいけないと思う。もし彼らが、キリストにある自己の完全を常に見ることができるなら、そうはならないであろう。
ある人々は、常に自分の心の腐敗堕落や、たましいの生来の悪い性質を口にする。それは真理ではあるが、なぜ一歩進んで、私たちが「キリストにあって完全な者」であることを考えないのか。自分の腐敗のみを見つめている人に元気がないのは当然である。しかし、もし私たちが「キリストは、私たちにとって……義となられた」ことを思い起こすなら励まされる。困難が私を悩まし、サタンが私を攻撃し、天国に到達するまでには多くの経験が必要だとしても、それらは神の恵みの契約によって私のためになされている。
私の主には欠けたところが一つもない。キリストはすべてを成就された。もしすべてが成就されているなら、私は主にあって完全であり、「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどって」いる。「律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる」のである。
あなたは、この地上の天国において、キリストの義の奥義を心に受けた人々よりも聖なる者を見いだすことはないであろう。信者が「私はキリストの中にのみ生き、その救いにより頼み、自らは価値のない者であるが、イエスによって救われていることを信じる」と告白する時、感謝に満たされて次のような思いが起きてくる。「私たちはキリストのために生きるべきではないか。キリストにのみ仕えるべきではないか。」「キリストの愛が私たちを取り囲んでいる。」「生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」
もし転嫁された義によって救われたのなら、この与えられた義を高く評価すべきである。

 

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緊急院内集会

2013年01月30日 11時48分15秒 | セーフティーネット

「生活保護の引き下げは何をもたらすのか」


 
生活保護基準引き下げの流れが鮮明になってきています。
 
今年1月18日、厚生労働省の社会保障審議会・生活保護基準部会は報告書を発表。子どものいる世帯や20~50代の単身世帯などにおいて、一般低所得世帯(最も所得の低い10%の層)の消費実態が生活保護基準を下回るという検証結果を示しました。
 
この報告書を受けて、田村憲久厚労相は生活保護基準の引き下げ方針を明言しています。
 
しかし、報告書には「今般、生活扶助基準の見直しを具体的に検討する際には、現在生活保護を受給している世帯及び一般低所得世帯、とりわけ貧困の世代間連鎖を防止する観点から、子どものいる世帯への影響にも配慮する必要がある。」という文言も盛り込まれており、安易な引き下げに警鐘を鳴らしています。
 
基準部会の検証結果を機械的にあてはめると、「夫婦と子ども2人の世帯」では14.2%も生活保護基準が引き下げられることになり、生活保護世帯の子どもたちが最も深刻な影響を受けることが懸念されています。
 
また、生活保護基準は就学援助など他の貧困対策の基準とも連動しているため、基準引き下げは社会保障水準全体の引き下げに直結します。
 
果たして、下位10%の一般低所得世帯の消費実態との比較という手法は妥当なのか。引き下げが行なわれた場合、生活保護世帯や低所得世帯全体にどのような影響があるのか。
 
当事者の方々の声を聞きながら、一緒に考えていきたいと思います。
ぜひご参集ください。
 
 

開催概要

 
<日時> 2013年2月1日(金) 12:00~14:00
<場所> 衆議院第1議員会館 多目的ホール(地下鉄・国会議事堂前駅すぐ)
 
 ★一般参加の方は、11時45分から上記会館1階ロビーで通行証を配布します。
 
 

プログラム 

(敬称略・順不同)
 
<進行>稲葉剛(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい)、雨宮処凛(作家)
 
1.基調講演
 
  基準部会報告書を検証する 吉永純さん(花園大学)
 
2.特別報告
 
  ◆生活保護基準と子どもの貧困 山野良一さん(千葉明徳短期大学、元・児童福祉司)
 
  ◆福祉事務所から見た生活保護制度の「見直し  田川英信さん(元ケースワーカー)
 
 
3.生活保護利用当事者の方々の声
 
 
 
 

主催

「STOP!生活保護基準引き下げ」アクション
  <連絡先>
  〒530-0047 大阪市北区西天満3-14-16西天満パークビル3号館7階
   あかり法律事務所  弁護士 小久保哲郎
   TEL : 06-6363-3310
   FAX : 06-6363-3320
 
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申命記14章22-23節

2013年01月30日 11時19分32秒 | 聖書

14:23 「主が御名を住まわせるために選ぶ場所、あなたの神、主の前で、あなたの穀物や新しいぶどう酒や油の十分の一と、それに牛や羊の初子を食べなさい。あなたが、いつも、あなたの神、主を恐れることを学ぶために。」


主は、主の民が収穫した穀物の10分の1、あるいは、羊などの初子を主の前に捧げなさいと言われました。

それは、神殿で仕えるレビ人への生活の糧とされました。

 今ここで、それらを神殿に持って行ってあなた方が食しなさいと言われるのは、捧げた人々が神殿で食しなさいということではありません。

捧げたものを持って、主が御名を置かれたところで、レビ人に食させなさいというのです。

つまり、それによって捧げた人々も、主の恵みを感謝する時を一緒に持つのです。

主に捧げるということは、主に奉仕する人々と共に、喜びの時を主に対して持つということでもあるのです。

それは、自分たちの収穫は、主が与えてくださったものであるからです。

ですから、その主に仕える人々と分かちあうことによって、その感謝を主に表しているのです。

また、こうした戒めを守ることが、主を恐れることでもあったのです。

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◆神の造られた世界

2013年01月30日 11時10分46秒 | 聖書

主は知恵をもって地の基を定め、
英知をもって天を堅く立てられた。       (箴言三19)

私の家の八十二歳のおばあちゃんのところへ、数年前、七十七歳のおばあちゃんが訪ねてこられました。駅に着いたら車でお迎えに行きますからということだったのに、重い小豆島そうめんのおみやげをぶらさげて歩いてこられたのです。汗びっしょりでした。「まあまあ、どうして電話をかけてくださらなかったのです。」「石油ショックで、ガソリンを節約しなけりゃならないでしょう。」真剣な顔で言われたのには、びっくりするやら笑うやらでした。
たくさんの人が、この世界について不安を覚えています。世界中の学者も技術者も、「この地球はどうなるのだろう」と考えています。しかし聖書は、「神が知恵をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた」と書いています。
旧約の詩人は、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」(詩篇一九1)と歌いました。広大な宇宙にも神の英知が見られます。しかし、小さな野の花にも、一ひねりでつぶれる小さな羽虫の生き方にも、確かな神の英知が見られます。実に巧妙に世界は造られ、すべてに調和があります。神の英知という法則に従って、花は咲き鳥はさえずっているのです。岩陰の岩ダヌキも一羽の雀も一匹の蟻も、保たれ養われています。
ところが、人間の社会を見ると問題ばかりです。これは神にすばらしく造られた私たち人間が神を拒否し、神の英知に逆らっているからです。神の英知と愛を知り、これと合わせて生き始める時、神は全天地を支える力をもって私たちを守ってくださいます。すべての思想の及びもつかない神の平安で守られます。信仰と従順こそ、神の知恵を知る方法なのです。

 

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◆バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、

2013年01月30日 11時09分04秒 | 聖書

そのとき、あなたは攻め上れ。(Ⅱサムエル五・二四)

キリストのからだである教会に加わる者は、祈り深く、常に聖霊の油がその心に注がれ、キリストの王国が実現されて、「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように」と求めなければならない。しかしまた、神が特別にシオンに幸いを与えられる時がある。そのような時期が、ここに言う「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」時である。この時には私たちはこれまで以上に祈り深くなり、熱心になり、さらに御座の前で祈りをもって争わなければならない。活動は迅速で活発であるべきである。潮は満ちてきた。私たちは元気よく、岸辺に向かってこいで行こうではないか。ああ、ペンテコステの日の御霊の傾注と、その目覚ましい働きよ。
主にある友よ。あなたにも、「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」時がある。祈りに特別の力を感じ、神の御霊が喜びと楽しみを与え、聖書があなたに開かれ、約束が実現され、神の御顔の光の中を歩み、個人礼拝において特別の自由を感じ、キリストとの交わりがこれまでになく密接な時がある。このように、あなたの「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」ような喜びの時こそ、あなたが攻め上る時である。この時こそ聖霊があなたの弱さを助け、すべての悪い習慣に勝たせられる時である。あなたの帆を広げよ。しかし次の歌を覚えておけ。
 私は帆を広げることができるだけです
 神よ。追い風を送ってください
あなたは帆を上げることを怠ってはならない。準備のないために、追い風を見逃すことのないように。あなたが信仰的に強くなった時には、義務においてもいっそう熱心になることができるように。御座に近づくことができる恵みが加えられれば加えられるほど、ますます祈ることができるように。あなたがキリストに近く生活をすればするほど、ますますその語るところも神聖になり得るように。あなたはこのような助けを神に求めよ。

 

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●有期雇用契約に関する法律規定●

2013年01月29日 12時14分54秒 | 労働法

 期間の定めの無い正社員に対して、雇用期間の定めのある、いわゆる契約社員については、その期間が満了するときに、契約を終了するのか、更新するのか、を決定することになります。しかし大半の有期雇用契約は、契約期間満了によって契約が終了することを想定していないため、引き続き契約を更新するようになっています。
 このように契約期間と業務の継続する期間が一致していないことが多く、期間契約は柔軟に人材を活用できるようにするための契約形態となっているのが実態です。こうした契約にメリットもありますが、一方で労働者にとっては、契約期間が満了する度に、更新か、雇い止めか、の判断にさらされることになります。
 期間契約であっても、その契約が反復更新され、その後も契約が更新されるだろうという期待が生まれることが通常想定される場合には、期間が満了したことのみを持って雇い止めが認められるものではなく、「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないとき」でなければならないという、解雇に準じた考え方(いわゆる(雇止め法理)が適用されることになります。
 労働契約法19条は「有期労働契約であって…契約期間が満了する日までの間に労働者が当該有期労働契約の更新の申込みをした場合又は当該契約期間の満了後遅滞なく有期労働契約の締結の申込みをした場合であって、使用者が当該申込みを拒絶することが、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないときは、使用者は、従前の有期労働契約の内容である労働条件と同一の労働条件で当該申込みを承諾したものとみなす。」と規定しています。
 この労働契約法19条は平成24年8月10に施行した新しい規定ですが、その考え方はこれまでの裁判での考え方をトレースしたもので、判例法理を法律として明文化したものです。ですから、この規定の考え方を理解するためには、その基となった判例を検討することが大切になってきます。

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申命記14章21節

2013年01月29日 12時10分18秒 | 聖書

14:21 「あなたがたは自然に死んだものを、いっさい食べてはならない。あなたの町囲みのうちにいる在留異国人にそれを与えて、彼がそれを食べるのはよい。あるいは、外国人に売りなさい。あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。」


主は天と地を創造された時、人に食べ物として、神様が作ってくださったものを与えてくださいました。

従って、その時に食物で禁じられていたものは、エデンの園の中央にある木の実のみでした。

ところが、罪が人の世界に入ってきた時に、状況は変わりました。

主を知らない民は、どれを食べても特別に禁じられませんでした。

ここでも、外国人が死んだ動物を食べることを何も禁じておりませんし、また彼らにそれを売ることも禁じておりません。

しかし、主の民は「自然に死んだものは食べてはならない」と厳しく禁じられたのです。

 その理由は、彼らが主にとって御自分の民であり、清い民であるからと言われたのです。

主の側につく者とされたので、主の命令に従いなさいと言われたのです。

それによって彼らは、知らないうちに守られたのです。


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◆金銀にまさる知恵

2013年01月29日 11時59分59秒 | 聖書

幸いなことよ。知恵を見いだす人、
英知をいただく人は。
それの儲けは銀の儲けにまさり、
その収穫は黄金にまさるからだ。(箴言三13―14)

現在、物価がジリジリ上がっているようです。そこで、もうお金の値打ちに信用がおけず、金や銀や宝石類に換えて取っておこうとしている人が多いと聞きます。しかし、ちょっと考えただけでも宝石類には問題があります。
・ にせものとほんものの区別がつかず、うっかりにせものをつかまされる。
・ いつ盗まれるか分からない。
・ いざという時、金銀宝石は煮ても焼いても食べられない。
・ 金銀宝石を子孫に残すと、争いが起こったりなまけ者ができたりして、よいことがあまりない。
ところが、宝にもまさってすばらしいのは、神を知る知恵・英知です。
・ これは目べりもしないし、盗まれもしない。
・ 神を知る知恵は、どんな苦しい時でも悲しい時でも、心の中からわきあがる力を与えてくれる。
・ 子孫に伝えれば、どんな遺産を残すより確実に子孫を幸いにする。
・ 神の知恵は、その人にいつも上を向いて希望に満ちて生活させるだけではなくて、他の人にまで恵みと力を与える。
神を知ることによって得るもうけは、神がすべてを支配していて、神に従う者に最善を与えてくださるという確信です。それは、神があなたを愛していてくださり、慰め・力・希望をいつも満たしてくださるという確信です。また神の知恵は、いつもほんものとにせもの、一時的なものと永遠のものを見分けさせてくださるのです。
心を尽くしてこの知恵を自分のものとすべきです。

 

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◆私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。

2013年01月29日 11時57分48秒 | 聖書

(Ⅱコリント四・一八)

クリスチャンの歩みにおいて、前を見つめていることはよいことである。冠は未来にあり、ゴールは前方にある。それが希望であろうと、喜びであろうと、慰めであろうと、私たちの愛を奮い立たせることであろうと、信仰の目をもって見る主な対象は、未来でなければならない。前途を望んでこそ、私たちは罪をきよめられ、罪と死のからだが滅ぼされ、たましいが完全な者とされ、光の中にある聖徒たちの資産を受け継ぐにふさわしいものとされるのを見ることができる。
さらに前方を眺めるなら、信者の輝いた目は死の川を横切り、悲しみの川を渡って、天の都の建てられている光の丘に到達する。彼は真珠の門をくぐり、圧倒的な勝利者として歓呼を受け、キリストの手から冠を授けられ、その腕に抱かれ、イエスとともに栄光を受け、共に王座に座る。それはちょうどイエスが勝利を得て、父なる神とともに御位に着かれた時のようだ。
このすばらしい未来を考えると、過去の暗黒も現在の憂いも消えてしまう。天上の喜びは地上の悲しみを償って余りあるものである。恐れの思いよ、静まれ。この世はつかの間であり、まもなくそれを通過することになる。疑いよ、退け。死は狭い流れにすぎず、すぐにそれを横切ることになる。時はいかに短く、永遠はいかに長いことであろう。死は瞬間であり、永遠のいのちには限りがない。私は思う。私はすでにエシュコルの谷のぶどうを食べ、天国の門の内にある泉をくんで飲んでいるのである。目標は近づいた。まもなく私はそこにたどり着くであろう。
 この世にあって私の心が
 憂いの嵐に悩む時
 思いははるか天を駆けて
 嘆きも消える避け所を見つける
 この世での巡礼が終わるまで
 輝く幻が私を支える
 憂いに悩み、困難が私を責めるとも
 ついに私は天の家に帰るだろう

 

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申命記14章11-20節

2013年01月28日 07時57分07秒 | 聖書

14:11 「すべて、きよい鳥は食べることができる。」


ここでは、「きよい鳥」と「きよくない鳥」とが区別されています。

きよいと鳥というのは、その鳥自体が清潔であるというようなことを語っているのではありません。

主が、人が食べてもよいものとして認めてくださったものを「清いもの」と呼び、食べることを禁じられたものを「清くない鳥」と言っているのです。

その区別は、人の側にあるのではなくて、主の側でなされた区別によるのです。

人がその戒めに従って生きる時に、清い者としての生き方を学ぶことができたのです。

 空の鳥と言いますのは、人が仰ぎ見ることが多いことでして、自分たちではその様な行動をとることができません。

このことから異邦人の中には、鳥を神として祭る人々も、当時は多くいました。

従って、その様な関わりの中で、ここで「食してよいもの」と「よくないもの」との区別がなされたようです。

偶像のいかなることにおいても、関わりを持たない。

これが主の聖なる民であり、また、主の宝の民であるという印であったのです。

それをこれらの食物の面でも、示したのです。

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◆神の愛を知る

2013年01月28日 07時51分06秒 | 聖書

わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。
その叱責をいとうな。
父がかわいがる子をしかるように、
主は愛する者をしかる。       (箴言三11―12)

「健康な生き方」とは何でしょうか。
・ 愛されているという満足・喜び・平安に満ちている。
・ 愛するという力・希望・忍耐にあふれている。
この二つのことは、ぜひ必要です。これは神からだけ来ます。神は愛だからです。
この神の愛を知る一つの大きな方法は、人生の苦しみの中に、私たちが神の愛の涙と血を知ることです。
新聞の「父の日」特集の中に「父を語る」として、「私のお父さんはよく叱る人だった。もうその叱る人はない。今になって父の愛をしみじみ感じている」と記されていました。
また、ある人は告白しています。とんでもない踏みはずしたことをした時、お父さんが烈火のように怒ったそうです。自分を引きすえて、お前のようなものは死んでしまえと涙ながらに言って、ナイフを渡しました。そしてもう一本のナイフを取り出すと、お父さんは手のひらをたたみについて、ぐさっとその手にナイフを突き刺したそうです。「さあ死ね」と。血があふれ流れました。その父の愛と力に私の心は粉々にくだけたと、その方は述べていました。
キリストの十字架の血潮は、これではないでしょうか。罪とわがままに満ちた自分勝手な私たちは、十字架に引き立ててこられました。しかし、「キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ五8)。
神は愛しているので、叱り、苦しめ、こらしめます。ですから、しらけてはならないのです。その前に引きすえられ心をくだいて神の愛を受け止め、神の愛に満たされる時、人は変わります。

 

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◆キリストにあって完全な者……。

2013年01月28日 07時49分39秒 | 聖書

(コロサイ一・二八欄外注)

あなたは、自分のうちには完全がないことを、たましいのうちに感じないだろうか。日々その感じを深くしないだろうか。両の頬をつたう涙の一滴ごとに、「不完全」という嘆きを聞かないだろうか。ため息をつくたびに、「不完全」という叫びを聞かないだろうか。あなたのくちびるから荒いことばが出るたびに、「不完全」という思いがしないだろうか。あなたは心で夢見つつ、自分自身の中に完全を得ようとしばしば考えた。だが、この悲しむべき不完全の自覚のうちに、あなたに対する慰めがある。あなたは「キリストにあって完全な者」である。神の目から見れば、あなたはキリストにあって満たされているのである。
今もあなたは、愛する御子によって受け入れられている。しかし、まだこれから実現される第二の完全がある。それはすべての信者に保証されているものである。信者からすべての罪の汚れが取り去られ、しみや、しわのようなものの何一つない、聖く傷のない者となって立たせられる時を待ち望むのは、喜ばしいことではないか。キリストの教会は、その時、神の全知の目でさえも、なんらの傷もしみも見いだせないほど純潔な者となり、神聖で栄光に輝く。そのためハート氏の言った次のことばも決して言いすぎではない。
 私の救い主の衣をまとい
 聖者のように聖くされる
その時私たちは「キリストにあって完全な者」という短い聖句の喜ばしい意味を理解し、また体験する。その時までは、私たちはイエスの救いの高さ、深さを完全に理解することはできない。このように考える時に、あなたの心は喜びに躍りはしないか。黒いあなたがいつか白くされ、汚れたあなたがいつかはきよめられる。ああ、なんという驚くべき救いであろう。
キリストは黒い傷のある者を取り、栄光のうちにきよい無比の者とされる。その美において並びない者、天使セラフィムの友としてふさわしい者とされる。ああ、私のたましいよ。立って、このキリストにある完全という喜ばしい真理を賛美せよ。

 

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