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◆今は聖徒たちと同じ国民であり……。

2018年07月10日 08時01分15秒 | 聖書
(エペソ二・一九)
私たちが天国の市民であることは、私たちが天の支配下にあることを意味する。天国の王であるキリストは、私たちの心の中にあって、支配しておられる。私たちの日ごとの祈りは、「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように」である。栄光の御座からの布告を、私たちは何のためらいもなく受け入れ、大王の命令に喜んで従う。
私たちは新しいエルサレムの市民として天国の誉れにあずかる。世を去った聖徒たちが受けている栄光は、私たちのものでもある。私たちはすでに神の子であり、王族であり、すでに汚れのないイエスの義の衣をまとっているからだ。すでに天使を従者とし聖徒を友としている。キリストは私たちの長兄であり、神は父であり、朽ちない冠は私たちの報酬である。私たちは市民の誉れをになう。天に登録されている長子たちの教会の会員となったからである。また市民として天国のすべての財産に対して共同の権利をもつ。天国の真珠の門と碧玉の城壁も、ろうそくの光も日の光もいらない天国における明るい光も、私たちのものである。いのちの水の川、またその対岸のいのちの木に結ぶ十二種の実も、私たちのものである。天上にあるもので、私たちのものでないものはない。「現在のものであれ、未来のものであれ」すべて私たちのものである。
さらにまた、天国の市民として私たちは天国の喜びを味わう。天国にいる者たちは、罪人が悔い改めた時――放蕩息子が帰ってきた時喜ぶであろうか。そうだ。私たちもまたそれを喜ぶ。彼らは勝利の恵みの栄光をたたえて歌うであろうか。そうだ。同じように私たちも歌うのである。彼らは、自分の冠をイエスの足もとに投げ出すであろうか。私たちもまた自分のもっている誉れを御前に投げ出す。彼らはイエスのほほえみに心を奪われるか。地上に住む私たちにとっても、イエスのほほえみはそれに劣らず美しい。彼らは主の再臨を待ち望むか。私たちとてそうである。
このように天国の市民ならば、私たちの歩みや行動が、それにふさわしいものであるよう心がけよう。
 

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