正しい者の頭には祝福があり、
悪者の口は暴虐を隠す。 (箴言一〇6)
暴虐と祝福、何というコントラストでしょう。
自分の運転手を次々と殺して保険金をごまかしていた会社社長の犯罪が、新聞に出ていました。海に連れていき、酒を飲ませて水の中で殺し、事故に見せかけたのです。ブラジルまで逃げて、とうとう警官隊に射殺されました。
暴虐な世相になってきました。自分の子を伸び伸び遊ばせられないような寂しい冷たい世の中です。
しかし私は、あるクリスチャンを知っています。その人は、金持ちでも有名でもありません。小ぢんまりした家に住んでいます。ところが、近所の人は、悩み事があるとこの家を訪ねていきます。この人の前に出ると、何でも打ち明けられるのです。話をよーく聞いてくれます。いけないことは、それはいけないとはっきり言ってくれるけれど、励まして自信を持たせてくれます。相談に来た人は心の重荷がおりて、ほっとして帰っていきます。まわりの人は、この家を尊敬をもって見ています。この家から祝福が流れてくるからです。神がその方の頭に祝福を注ぎかけ、その祝福が流れ出して、ご近所の人々までうるおしています。
神は、あなたを祝福の泉とされたいのです。そのためにイエス・キリストは十字架にかかり、あなたの罪をゆるされました。そのために、イエス・キリストはあなたを造り変えてくださいます。あなたを祝福のもとにし、神の国の仕事のため有用な存在とするために、生まれ変わらせてくださるのです。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント五17)。