座間コミニティー

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◆ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。

2013年11月30日 16時39分50秒 | 聖書

それで、竜とその使いたちは応戦したが……。(黙示録一二・七)

二つの大いなる主権の間には絶えず戦いがあり、どちらかが打ち滅ぼされるまでこの戦いは続く。善と悪との間には平和はあり得ない。平和が来たように見えるならば、それは実際には、やみの力が勝利しているのである。ミカエルは常に戦う。彼の聖なる霊は罪を憤り、罪を許さない。
イエスは常に竜の敵であられる。イエスは静的な意味においてではなく、積極的に力強く、悪を根絶しようとする決意に満ちておられる。
すべての主のしもべは、天にある御使いでも、地にある使者でも、戦うのであり、また戦わなければならない。被らは戦士として生まれてきた。――十字架の下で、彼らは決して悪と休戦しないことを誓った。彼らは勇敢な仲間である。守る時は堅固であり、攻める時は勇敢である。主の軍隊のすべての兵士の任務は、日ごとに、全心全霊全力を傾けて竜と戦うことである。
竜とその使いたちは戦いをやめない。彼らは絶えず猛襲をくり返し、武器も手段も選ばない。私たちがもし何の反対も受けずに神に仕えることを期待しているとするならば、それは愚かである。私たちが熱心であればあるほど、必然的に地獄の軍勢の攻撃にさらされる。教会は怠慢になるかもしれない。しかし、教会の大敵サタンはそうではない。彼の気持ちは落ち着かず、決して戦いをやめない。彼は女のすえを憎み、教会をむさばり食うことを願っている。サタンの手下どもは、常に活動的である。戦いは至る所でなされ、平和を夢見ることは危険であり、無益である。
しかし、栄光神にあれ。私たちは戦いの結末を知っている。巨大な竜は投げ落とされ、永遠に滅ぼされる。主と主に伴う者は冠を受ける。
今夜、私たちの剣をとぎ、戦いのために腕を強くされるように聖霊に祈ろうではないか。この戦いほど重要な戦いはなく、この冠ほど栄光に満ちた冠はない。十字架の戦士よ。部署につけ。遠くないうちに、主がサタンを足下に踏みにじってくださいますように。

 

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◆思  い  や  り

2013年11月30日 09時38分13秒 | 聖書

正しい人は
寄るべのない者を正しくさばくことを
知っている。
しかし悪者はそのような知識をわきまえない。(箴言二九7)

上に立つ人・人を治める人に欠くことのできない資格の一つは、人への思いやりです。
自分に反対する敵に対してさえ、王は、思いやりがなければならないと聖書は言うようです。イエス・キリストは、こう言われました。「わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです」(マタイ五44―45)。
私たちは、目に見える区別にばかり気をとられます。金持ち・教養のある人・知恵のある人・力のある人、こんな人ばかりに注目します。そして、年寄り・女子ども・貧しい人・力のない人・知恵のない人を、見くだしたり無視したり忘れたりしやすいのです。
養わなければならない子どもを、やっかいがってはなりません。次の世代を構成する人たちです。老人――それは、何年か後のあなたなのです。
発想を換えてみてください。
死を前にして、神のさばきの前に立って考える時、私たち一人一人は何とむなしく弱くけがれた者でしょう。金や肩書きや免状などは、何でもありません。すべてが平等です。死よりも強い神の愛・神の力の前に、自分を置いてごらんなさい。一羽の雀すら野の一本の花すら、神のみこころによって歌い、美しく咲いています。まして、神に愛されていない人は一人もいないのです。上に立つ者は、すべての人に公平な思いやりがなくてはなりません。

 

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◆アマツヤは神の人に言った。

2013年11月30日 09時37分14秒 | 聖書

「では、イスラエルの軍勢に与えた百タラントはどうしたらよいのか。」神の人は答えた。「主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。」(Ⅱ歴代二五・九)

この質問は、ユダの王にとって非常に重要なものと思われる。また試練に会い、誘惑にさらされているクリスチャンにとっても、おそらく、さらに重要なものであろう。金銭において損することは、どのような場合でも快いものではない。正しい目的の場合でも、肉はその犠牲をいつも喜んでささげるわけではない。「有効に使用できるものをなぜ失うのか。真理の価はあまりにも高すぎるのではないか。あの金を失えば、私たちはどうすればよいか。子どもたちや、少ない収入のことを考えたらどうだ」と。このようなことがクリスチャンを誘惑して、正しくないことに手を出させるのだろう。あるいは、重大な損失をもたらすことが明らかな時、良心的な行動をちゅうちょさせるのだろう。この問題を信仰の光に照らして見ることは難しい。イエスに従う人々にとってさえ、「私は生きなければならない」という原則が大きな比重をもっている。
「主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。」これは私たちの心配への完全な解答である。私たちの父は全世界の財宝の管理権をもっておられる。そして私たちが主のために失うものを、千倍にもして返される。主のみこころに従うのが私たちのなすべき分であり、従う時、主は必ず私たちのために備えられるのである。主は何びとに対しても債務者の地位には立たれない。
聖徒たちは、一粒の平安が一トンの黄金よりも尊いことを知っている。真実な心は、たとえ牢獄であろうと、神のほほえみさえあれば満足する。祝福に満ちたたましいは、宮殿にあっても神の不興にあえば地獄にいるように感じる。最悪の事態がやってこようと、すべての金銭を失おうと、私たちは自分の宝を失うことはない。神の右に座するキリストのもとにあるからである。現在においても、主は柔和な者に地を相続させ、正しく歩む者に良いものを拒まれることはない。

 

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士師記11章12-25節

2013年11月30日 09時35分51秒 | 聖書

11:12 それから、エフタはアモン人の王に使者たちを送って、言った。「あなたは私と、どういうかかわりがあって、私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするのか。」


エフタはギルアデの町の長老達と契約を結び、自分がアモン人と戦って勝利を得たならば、その後、彼をギルアデの人々の頭とするという保証を確保しました。

そして、彼等の要請に応えて一緒に戻っていきました。

 エフタが最初にしたことは、アモン人が何故ギルアデの人々との戦いにでてくるのかと言うことを聞くことでした。

彼等の王に使者を送りました。

その結果、彼が聞いたことは、イスラエルの民が来て、自分たちの土地を奪ったのだから、それを返せということでした。

アモン人の王の言葉には、正当性があるように見えます。

しかし、エフタは返事をします。

当初、イスラエルの民がこの地に来たのは、穏やかに通過させてもらうためであった。

しかし、あなた方がそれを拒否して戦いに出てきたために、自分たちの先祖は戦ってこの地を確保したのではないかと言ったのです。

正当な反論です。


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ペテロの手紙 第一 3章7b節(ミカ書5章)

2013年11月30日 09時33分33秒 | 聖書

★  いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。

■O:今日のコラム

半年ほど前から次男に買ってほしいとせがまれていたものがあったのですが、高価なものだったので、私はずっとそれを保留にしていました。先日いよいよ切に子供にせがまれたのですが、あと1ヶ月待てば1万円をセーブする事が出来たので、それまで待つように言いました。
   
でも本人の中ではこれ以上待てないところまで我慢したと言わんばかりに、神様に祈り求め、聖書を開き、示された御言葉を私のところへ持ってきたのです。(ネブカデネザル王が夢を解き明かしたダニエルを高い位につけ、高価な品々を送ったというところでした。ダニエル書2章48節)

ハッとして私は祈りの中で神様に伺ったところ、「惜しまずに買ってあげなさい。」と語られたので、「え?なんで、ダディ? あと1ヶ月待たせるべきではないの? あなたはいつも忍耐を教えられる方なのに・・・」と今度は私の方が納得いかずに、それでも渋々買いに行きました。

これ以上の喜びを見た事がないというほどの幸せそうな息子の顔を見た時、ダディの声が心に響きました。「私があなたの父親だからといってこの子が私の孫ではないのだよ。」
   
「この子もまた大切な私の子供なのだから。彼が私に願い求めた時から、私は彼に与えてあげたいと思っていたのだよ。あなたが知らない所で彼はもう十分忍耐していたんだよ」

ヤコブがおじいちゃん(アブラハム)とお父さん(イサク)の神と初めて個人的に出会い、その神を自分の神とした時のように、次男もいつのまにかお母さんの神を自分の神としていたのだとわかり涙が溢れました。

それ以来、子供達に対しても、いのちを恵みをともに受け継ぐ者として、霊のダディに愛されているものとして尊敬しなければならないと思うようになりました。

それは、「あなたがたの祈りが妨げられないため」と御言葉が示しているように、私たちのトップ・プライオリティは「祈り」でなければなりません。

祈りに始まり、祈りを武器として仕事をし、祈りで終わる。
家族内でつまらない事で言い争ってこの大切な時間を妨げてしまう事のないように、お互いを神様に愛されているものとして尊敬しあっていきましょう

■A:考えてみよう

祈りの時間を妨げているものはなんだろう?

■P:祈り

家族や、兄弟姉妹、周りの人たちを尊敬することができるように私を今日へりくだらせて下さい。

そしてあなたとの交わりである祈りの時間を無駄なことで妨げられるようなことがないよう守って下さい。

イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン。

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稀代の悪法を絶対許さない!いま行動を!

2013年11月29日 22時08分07秒 | 平和・基地
 

画期的!12.1日弁連が街宣行動

12月1日(日)日弁連街頭宣伝 新宿アルタ前 13時〜14時半
    ★12時半ころから集まって場所を確保しましょう。
    「秘密保護法」廃案へ!実行委員会 後援  応援しましょう!
 
与党の暴挙をとめ、「秘密保護法」を廃案にするために国会前でさまざまな行動を予定しています。
実行委員会では、以下の行動を呼びかけます。ぜひ集まって国会に民意を届けましょう。
       
 
  12月2日(月)国会前キャンドル行動 
          18時〜19時半(衆院第二議員会館前)

● 12
月4日(水)国会ヒューマンチェーン
12時〜13時半(衆院第二議員会館前)
 
●  12月6日(金)「秘密保護法」廃案へ!12.6大集会
        18時半 日比谷野外音楽堂  *日弁連後援 
 詳細は添付チラシをご覧ください。     
 
主催:「秘密保護法」廃案へ!実行委員会
11.21日比谷野音1万人集会を敢行した、宗教者を含む幅広い実行委員会です。)
 


--
~~~~~~~~~~~~~~~~
平和を実現するキリスト者ネット<cpnet@mica.dti.ne.jp>
℡&Fax 03-5272-8312

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違憲判決

2013年11月29日 16時45分35秒 | 政治
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最賃全国統一

2013年11月29日 16時41分17秒 | セーフティーネット
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◆そそぎの油とかおりの高い香のための香料……。

2013年11月29日 16時32分43秒 | 聖書

(出エジプト三五・八)

この注ぎの油は律法の下で多くの用途をもち、福音の下でも最も重要なものを代表している。もし私たちが受け入れられる奉仕をしようとするならば、すべての聖い奉仕のために油を注がれる聖霊は、私たちにとって欠くことができない。聖霊の助けがなければ、私たちの信仰上の奉仕はむなしい儀式にすきず、私たちの内なる経験は死んだものである。聖霊の油を注がれない時、私たちの伝道はなんとみじめなものになることだろう!
私たちの祈り、賛美、黙想、クリスチャンとしての個人的努力においても同様である。聖い油を注がれることは、敬虔への道のたましいであり、いのちである。それを欠くことは、すべての不幸のうち最大の不幸である。油注ぎを受けないで主の御前に出るのは、あたかも普通のレビ人が祭司の務めをするようであり、それは奉仕というよりむしろ罪である。どうか、私たちが聖なる油注ぎを受けずに、あえて神聖なるわざに携わることのないように。油は私たちの栄光のかしらなるお方から、私たちの上にしたたる。主に油が注がれることにより、主の衣のすそである私たちも、その豊かな油注ぎにあずかる。
精選された香料は、薬剤師の巧妙な技術によって調合されて注ぎの油となり、私たちに聖霊の感化の豊かさを示す。すべてのよいものは、神である慰め主の中に見いだされる。たぐいない慰め、誤りない教え、不滅のいのち、霊の力、神の聖潔、これらのすべてが、他の高貴なものと結合されて、聖霊の天来の注ぎの油の中に見いだされる。これを注がれる人は、その品性の上に快い香りを受ける。富む者の財宝の中にも賢者の知恵の中にも、これに比すべきものは見いだされない。それは模倣できるものではない。それは神のみから来て、イエス・キリストを通して、すべての待ち望むたましいに無代価で与えられる。
私たちは、それを求めようではないか。なぜなら私たちはそれをもつことができるからである。今夜でも、おお主よ。あなたのしもべに油を注いでください。

 

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◆喜びの三条件

2013年11月29日 09時53分46秒 | 聖書

悪人はそむきの罪を犯して自分のわなをかける。
しかし正しい人は喜びの声をあげ、楽しむ。(箴言二九6)

世の中のあらゆる罪は、背きの罪です。神はあなたを愛し、あなたのために最善の計画を立て、あなたに最善のことをしてくださろうというのに、それを踏みにじり、自分勝手な恥ずかしいつまらないことをしてしまうエゴイズム。――それが罪であり、背きです。また、罪の大部分は神の愛への背きであるばかりか、人の愛・信頼・期待への裏切りなのです。罪こそは、人間関係を壊すナンバーワンの元凶です。
ところが、神に対しても隣人に対しても正しい関係にある人、つまり正しい人は、「喜びの声をあげ、楽しむ」といわれます。「喜び」は、楽しみとか幸せとかいう以上に、生き生きした健全な生き方のシンボルみたいなことばです。幸せは、めぐり合わせのよい時のもの、楽しみは、楽しいことをしている時のものです。しかし、貧しい時・病む時・苦しい時も、そして楽しくない時にもわきあがってくるものこそ、「喜び」です。
人生の最も深い喜びの土台に、三つのものがあると思います。
・ 愛し愛されている、受け入れられ受け入れているという確信。
・ 進んで喜んで語り合うコミュニケーションの道が、まっすぐ開けていること。
・ 自分のためでなく、相手のために仕えるという心の姿勢があること。
この三拍子がそろえば、「喜びの声をあげて楽しむ」ことのできる人間関係に太鼓判が押されます。まずキリスト・イエスを通して、私たちに対して三つの条件を整えてくださった神は、私たちを待ち構えていらっしゃいます。私たちがその愛に応答していくところに、何ものにも侵されない「喜び」の人生の出発があるのです。

 

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◆人々の間を歩き回って、人を中傷してはならない。……

2013年11月29日 09時52分52秒 | 聖書

あなたの隣人をねんごろに戒めなければならない。そうすれば、彼のために罪を負うことはない。(レビ一九・一六、一七)

人の悪口を言う者は三重の毒を流す。悪口を言う者と、聞く者、話題に上っている者を害するからである。その悪口が真実であるかどうかにかかわりなく、私たちはみことばによって、それを禁じられている。
主の民の名声は非常に尊いものである。私たちは悪魔を助けて教会を辱しめ、主の御名を汚さないように心しなければならない。ある人々の舌には、拍車よりもむしろくつわが必要である。多くの人々が、兄弟を引きずり下ろすことによって、あたかも自分の地位が高められたかのように思って得意になっている。
ノアの賢い息子たちは、裸の父に着物をかけた。そして、父の裸を暴露した子どもは恐ろしいのろいを受けた。私たち自身この暗黒の時代に住んで、自分たちの兄弟が寛容であり、沈黙を守ってくれることを望んでいる。私たちも喜んで、今それを必要とする者に同様の態度をとろうではないか。人の悪を語るな。これを私たちの家憲とし、誓いとしよう。
しかし聖霊は、私たちが罪をとがめ、それに対して適当な処置をとることを許しておられる。だが、それは陰で兄弟をあざ笑うのではなく、相対して戒めることによってなされなければならない。これは雄々しく、兄弟愛に満ちた行いであり、キリストと同じ方法である。これは神の祝福を受け、効果を上げるであろう。
肉はそれを恐れるか。それなら私たちはさらに良心を励まし、ぜひともそれを実行しなければならない。それは友人の罪を見過ごすことにより、私たちが共犯者とならないためである。誠実な牧師や主にある兄弟たちの時宜を得た、賢明な、愛のある警告によって、幾百という人々が重大な罪から救われている。私たちの主イエスはペテロに警告を与え、またそれに先立って祈り、彼が高慢にもそれを無用だとして拒んだのに、優しく耐え忍ばれた。そして、罪を犯した友をどう扱うべきかという、いつくしみ深い模範を示されたのである。

 

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士師記11章4-11節

2013年11月29日 09時51分16秒 | 聖書

11:8 すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。「だからこそ、私たちは、今、あなたのところに戻って来たのです。あなたが私たちといっしょに行き、アモン人と戦ってくださるなら、あなたは、私たちギルアデの住民全体のかしらになるのです。」


ギルアデの町の長老達は、指導者が見つからないものですから、彼等はエフタの所にやってきました。

そして彼に、自分たちの上に立って戦ってくれと頼んだのです。

エフタにとっては、それは不愉快なことでした。

自分のことを追い出しておきながら、今になって民の所に来て、民の指導者になれとは、調子が良すぎると思ったからです。

そこで彼は、何故あのようなことを行いながら、今さら自分の所に来たのかと尋ねたのです。

彼等の返事は、「だからこそあなたの所に来たのです。」ということでした。

つまり彼等は、エフタが自分たちに対して反感を持っていることを知っていました。

そこで、そうした激しい怒りを再び起こすことがないようにするために、「だからこそ」契約を結ばせて戴くといったのです。

ですから、是非戦ってくださいと語ったのです。


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ペテロの手紙 第一 2章9節(ミカ書4章)

2013年11月29日 09時49分39秒 | 聖書

 ★  しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

■O:今日のコラム

今日の箇所には主イエスの十字架によって贖われた私達の重要なアイデンティティーが記されています。
   
それはただの「罪赦された罪人」でも、「弱くて何も出来ない者」でもなく、「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」という非常に力強いものです。

我が家では3歳の息子にこの御言葉を教えました。すると彼はこの御言葉を暗唱して告白する事が出来るようになりました。この御言葉を絶えず私達の告白としましょう。そうすれば、人生に主にある使命を持って生きて行く事が出来ます。

この世の中で多くの人の悩みは「自分は何の為に生きているかわからない。」というものです。しかし、御言葉は「あなたがたは、選ばれた種族」だと言っています。私達は主に選ばれ、御国の目的に生きるようにと召された者達です。

さらに御言葉は「王である祭司」だと言っています。たとえ私達がどんな立場にあったとしても、学生であっても、従業員であっても、社長であっても、主婦であっても、アルバイトであっても、主の目にはそれぞれが置かれた場所で「王である祭司」としての権威が与えられています。

ある二人の大学生は最近、大学の校内の一室を使い「祈りの家」の働きをスタートしました。

現在週に一度数人の大学生がその祈りの家に集い、主を求めて礼拝し、大学全体のリバイバルを覚えて祈っています。さらにこれから、毎日授業のある時間に交代で、授業に入っていない学生が絶え間ない祈りを捧げる事を計画しています。そのように私達が「王である祭司」としてそれぞれの遣わされた場所に御国を運んで行く権威が与えられているのです。

さらに「聖なる国民、神の所有とされた民」だと御言葉は言っています。この御言葉を理解し、啓示を受け取る時、日常生活の歩みや、誰も見ていないプライベートの時間の使い方が変わります。私達の身と心、目や口や思いや手足を、もはやこの世の罪や快楽、実を結ばない欲望や汚れの為ではなく、主の栄光と聖さの為に用いたいという願いと共に、積極的な祈りや礼拝などの行動へと導かれて行く事となります。

この御言葉を握り生きる時、私達は暗闇の中に主の光を輝かせ、大胆に主を証しする生き方をする事が出来るのです。

■A:考えてみよう

今日の御言葉を、声を出して告白し、暗唱し、日々自分の宣言としよう。

■P:祈り

主よ。あなたの御言葉は真実です。どうかあなたの御言葉の通りに生きる者とさせて下さい。あなたを心から愛し、主の御言葉に従います。あなたが私に与えて下さった驚くべき使命を心から感謝します。主の御心を行う事が出来るように聖霊様たすけ、導いて下さい。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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◆それはユダヤ人モルデカイが……

2013年11月28日 15時45分58秒 | 聖書

自分の民の幸福を求め……。(エステル一〇・三)

モルデカイは真の愛国者であった。そのため、アハシュエロス王によって最高の地位に上ったが、その高い地位を、イスラエルの繁栄を促進するために用いた。この点において彼はイエスに似ている。イエスは、栄光の御座にあって、ご自身のことを求めないで、その御力をご自身の民のために用いておられる。
もしクリスチャンが、教会に対してモルデカイのようになり、能力に応じて教会の繁栄のために尽くすならば、それはよいことである。ある人たちは豊かであり、権力のある地位についている。彼らに、この地上の高い位において、彼らの主をあがめ、人々の前でイエスのために証しをさせよ。他の人々ははるかによいものをもっている。それは、王の王なるお方との親密な交わりである。彼らに日ごとのとりなしをさせよ。主の民のうちの弱い者、疑う者、誘惑のうちにある者、慰めのない者のために。もし彼らが、暗やみの中にあって恵みの御座に近づくことのできない者たちのために多くのとりなしをするなら、それは彼らの名誉となるだろう。教養ある信仰者が、その才能をよい事のために用い、人々に神のことを教えることによって、彼らの天の学問の富を人々に与えるならば、彼らは主のために力のある奉仕をすることができる。私たちイスラエル人のうちで最も小さい者も、神の民の幸いを求めることができる。そして彼の願いは、ほかに何もすることができなくても受け入れられる。
信者が自分のために生きることをやめるのは、キリストに最も近いことであり、しかも最も幸いな道である。他の人々に祝福を与える者は、必ず自らも祝福を受ける。それに反して、自分自身が大きくなろうと求めるのは、邪悪で不幸な人生の計画であり、その行路は悲痛、その終局は致命的である。
友よ。あなたに問う。あなたは教会が富むことを求めて、最善を尽くしているか。友よ。主にある貧しい者と一体となり、彼らの十字架を負い、できる限りの益を与えよ。その報いをあなたが失うことはない。

 

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★★★緊急集会!!★★★

2013年11月28日 14時11分27秒 | 平和・基地

民主主義社会に「秘密保護法」はいらない!!

何が秘密かも、秘密!?
 いま、私たちの民主主義と自由は、大きな危機に直面しています。
 憲法で禁じられているはずの軍事力強化、私たちの暮らしをまるごと多国籍企業に明け渡すTPPの推進、福島の被害を考えれば言い出すことさえできないはずの原発再稼動と輸出、そして、憲法の改悪。
 こうした「危険すぎる政策」を強行しようとする安倍政権は、特定秘密保護法によって、私たちから情報を奪おうとしています。情報こそ民主主義になくてはならないものです。私たちは主権者として、政府が何をしようとしているか、私たちの税金が何に使われているかを知る権利と責任があります。「何が秘密かも、秘密。」という秘密保護法は、民主社会を死に至らせる最悪の法律です。
 人権の尊重に裏付けされた公正な社会、市民の連帯による参加型の民主主義社会をつくっていくために、私たち主権者もまた、ともに考え、ともに動き出すときです。ぜひお集まりください!!


【日時】2013年12月1日(日) 18:30~20:30(開場18:15)
【会場】連合会館2階 大会議室
    東京都千代田区神田駿河台3-2-11 T)03-3253-1771
【参加費】500円 ※申込不要

【プログラム】司会:木内みどり(女優)
○あいさつ 実行委員長  宇都宮健児(弁護士・反貧困ネットワーク代表)
○問題提起
 ・秘密保護法:田島泰彦(上智大学教授・監視社会を拒否する会共同代表)
 ・原発:海渡雄一(弁護士・脱原発法制定全国 ネットワーク事務局長)
 ・解釈改憲:高田健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)
 ・メディア:東海林智(毎日新聞記者・元新聞労連委員長)
 ・TPP:内田聖子(PARC事務局長・STOP TPP!! 市民アクション)
 ・市民活動:満田夏花(FoE Japan理事・原子力規制を監視する市民の会)
○ディスカッション

【主催・呼びかけ】「民主主義社会に秘密保護法はいらない!」実行委員会
        T)03-3571-8051(東京市民法律事務所内)

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