座間コミニティー

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◆私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。

2017年01月30日 16時36分46秒 | 聖書
(エペソ一・一一)
イエスがご自身を私たちに与えられた時、ご自身に属するすべての権利と特権をも下さった。今主は、永遠の神として、どんな被造物もあえて要求することのできない至上の権利をもっておられるが、一方イエスとして、仲保者として、恵みの契約のかしらとして、主は私たちを離れては相続権をもっておられない。主が死に至るまで従い続けられたことの輝かしい結果のすべては、主にあるすべての者の共同の財産である。主は彼らのために神のみこころを成し遂げられた。
主は栄光の中に入られる。主ご自身だけのためではない。「私たちの先駆けとしてそこにはいられた」とあるからだ。神の御前に主は立たれる。「今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです」とある。
信者よ。このことを考えよ。あなたは、自分自身としては天上に何の権利もない。あなたの権利はキリストのうちにある。もしあなたが罪の赦しを受けるならば、それは主の御血によるのである。もしあなたが義とされるならば、それは主の義による。もしあなたがきよめられるならば、それは神が主をあなたの聖となされたからである。もしあなたが堕落から守られるならば、キリスト・イエスの中にあなたが保持されているゆえである。そしてもし最後の時に完全なものとされるならば、それはあなたが主にあって全うされるゆえである。このようにイエスはあがめられる。すべては主の中にあり、すべては主によるのである。こうして相続権は私たちにとって確かなものとされる。それは主にあって得られるものだからである。そのようにして祝福の一つ一つは、さらにすばらしいものとなり、天国すらもさらに輝かしいものとなる。私たちは愛するイエス「にあって」すべてを得たからである。
私たちが神から受け継いだものを見積もる人がどこにいるだろう。キリストの富を量り、その財宝を量り、聖徒に属する財産を量ることを考えてみよ。キリストの喜びの海の底にもぐり、神がキリストを愛する者たちのために備えられた祝福を理解するよう努めよ。
 

「また、わたしのことばを聞いてそれを行わない者はみな、

2017年01月30日 16時35分24秒 | 聖書

砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます」(マタイ7:26)

砂の上に家を建てた愚かな人とは、み言葉を聞くだけで実行しない人のことだ。
御言葉を聞くのは好きで、幾らでも喜んで聞く。しかし、従うことをしない。

スポーツや習い事等、習得の仕方の説明を、耳で聞くだけで身につくだろうか。
考えられない事だ。身体で実践しなければ不可能だ。
ましてや、真理の御言葉は実行する時、聞いた御言葉に従う時、初めて血となり肉とされる。

御言葉を暗唱するだけでもだめで、実行する事が大切だ。
それが御言葉を生きるという事だ。愚かな人も賢い人も共に「み言葉を聞いて」いる。

聖書を読み、説教を聞くクリスチャンだ。そこまでは同じだ。
しかし、砂の上と岩の上に分かれる。

愚かな人は、自分の顔を鏡で見て、立ち去るので「すぐにそれがどのようであったかを忘れる」ヤコブ1:24。
言葉は自分自身の真の姿を映し出す。

しかし、実行しなければ、鏡に映し出された自分の心をすぐに忘れる、すぐに御言葉を忘れ、主イエスを忘れる。

何一つ身につかず、培われれる事もなく、自分はずっとそのままで何も変わらない。
成長も無い。それは試練の時に立ち行かけず、倒れてしまう。

「自由の律法を一心に見つめて離れない」、御言葉を一心に見つめ続ける時、御霊により実行できる。今、目の前に示されている御言葉に、一歩従おう。
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御言葉により、あらわになった自分の真の姿、次になすべきことも示されているのではないか。
聖書を閉じて立ち去ってしまわず、祈り実行してみよう。御霊の導きはすぐに肉の騒がしさの中にすぐに消えてしまう。


今日の聖人の記念日

2017年01月30日 08時47分20秒 | キリスト教

聖バルドヒルド

?-680年ごろ

 バルドヒルドは、イギリスに生まれたが、641年に海賊に捕えられ、奴隷としてフランク王国の宮廷に売られた。

 彼女は非常に美しく才知ある女性であったので、国王クローヴィス2世に望まれて王妃となった。3人の子どもに恵まれ、国王が亡くなって後、657年に長男が即位すると、彼女が摂政を行った。貧しい人々のために病院を建て、奴隷制度を廃止し、多くの修道院に寄進するなど、人々のために尽くした。665年に、反対派の貴族によって修道院に幽閉され、そこで亡くなった。修道院では、謙遜に神の望みを行ない、院長に仕えた。


詩篇10篇1-11節

2017年01月30日 08時45分55秒 | 聖書


10:4 悪者は高慢を顔に表して、神を尋ね求めない。その思いは「神はいない」の一言に尽きる。
10:5 彼の道はいつも栄え、あなたのさばきは高くて、彼の目に、入らない。敵という敵を、彼は吹き飛ばす。
10:6 彼は心の中で言う。「私はゆるぐことがなく、代々にわたって、わざわいに会わない。」



 ダビデは、悪者の思いは、「神はいない」の一言に尽きるといいます。

神がいないと思うものですから、人に悪を行ってもさばかれることはない、だから人を騙して自分の得することをしてもかまわない。

神がいないから、弱い者をいじめて、それによって自分の益を計っても、誰も咎める者はいない。

権力と財産を持てば、なおさらだ。

人は、豊かになった自分を崇めて、頼りにしてくる。

すべて自分のことは、自分の力と知恵による、というのです。

 しかし、天に座す方は笑いたもう。

今、あなたが住んでいる所はどこか。

その命は、誰からのものか。

自分の存在に関わるもので、自分で作ったものがあるのか。

その身体であっても、それはあなたが作ったのか、と。


◆神の造られた世界

2017年01月30日 08時44分04秒 | 聖書

主は知恵をもって地の基を定め、
英知をもって天を堅く立てられた。       (箴言三19)
私の家の八十二歳のおばあちゃんのところへ、数年前、七十七歳のおばあちゃんが訪ねてこられました。駅に着いたら車でお迎えに行きますからということだったのに、重い小豆島そうめんのおみやげをぶらさげて歩いてこられたのです。汗びっしょりでした。「まあまあ、どうして電話をかけてくださらなかったのです。」「石油ショックで、ガソリンを節約しなけりゃならないでしょう。」真剣な顔で言われたのには、びっくりするやら笑うやらでした。
たくさんの人が、この世界について不安を覚えています。世界中の学者も技術者も、「この地球はどうなるのだろう」と考えています。しかし聖書は、「神が知恵をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた」と書いています。
旧約の詩人は、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」(詩篇一九1)と歌いました。広大な宇宙にも神の英知が見られます。しかし、小さな野の花にも、一ひねりでつぶれる小さな羽虫の生き方にも、確かな神の英知が見られます。実に巧妙に世界は造られ、すべてに調和があります。神の英知という法則に従って、花は咲き鳥はさえずっているのです。岩陰の岩ダヌキも一羽の雀も一匹の蟻も、保たれ養われています。
ところが、人間の社会を見ると問題ばかりです。これは神にすばらしく造られた私たち人間が神を拒否し、神の英知に逆らっているからです。神の英知と愛を知り、これと合わせて生き始める時、神は全天地を支える力をもって私たちを守ってくださいます。すべての思想の及びもつかない神の平安で守られます。信仰と従順こそ、神の知恵を知る方法なのです。
 

◆バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、

2017年01月30日 08時43分14秒 | 聖書
そのとき、あなたは攻め上れ。(Ⅱサムエル五・二四)
キリストのからだである教会に加わる者は、祈り深く、常に聖霊の油がその心に注がれ、キリストの王国が実現されて、「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように」と求めなければならない。しかしまた、神が特別にシオンに幸いを与えられる時がある。そのような時期が、ここに言う「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」時である。この時には私たちはこれまで以上に祈り深くなり、熱心になり、さらに御座の前で祈りをもって争わなければならない。活動は迅速で活発であるべきである。潮は満ちてきた。私たちは元気よく、岸辺に向かってこいで行こうではないか。ああ、ペンテコステの日の御霊の傾注と、その目覚ましい働きよ。
主にある友よ。あなたにも、「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」時がある。祈りに特別の力を感じ、神の御霊が喜びと楽しみを与え、聖書があなたに開かれ、約束が実現され、神の御顔の光の中を歩み、個人礼拝において特別の自由を感じ、キリストとの交わりがこれまでになく密接な時がある。このように、あなたの「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」ような喜びの時こそ、あなたが攻め上る時である。この時こそ聖霊があなたの弱さを助け、すべての悪い習慣に勝たせられる時である。あなたの帆を広げよ。しかし次の歌を覚えておけ。
 私は帆を広げることができるだけです
 神よ。追い風を送ってください
あなたは帆を上げることを怠ってはならない。準備のないために、追い風を見逃すことのないように。あなたが信仰的に強くなった時には、義務においてもいっそう熱心になることができるように。御座に近づくことができる恵みが加えられれば加えられるほど、ますます祈ることができるように。あなたがキリストに近く生活をすればするほど、ますますその語るところも神聖になり得るように。あなたはこのような助けを神に求めよ。
 

1月29日(日)のつぶやき

2017年01月30日 01時30分22秒 | キリスト教