一大決心をして、私たちは心の喜びの冠をイエスにささげよう。主の御前にありながら悲しんで、私たちの花婿を辱しめるようなことはしないようにしよう。私たちは、天の歌い手となるように定められている。新しいエルサレムの大広間で歌う前に、永遠の賛歌の練習をしておこう。私たちは、主によって楽しみ喜ぼう。この楽しみ喜ぶという二つのことばは共通の意味をもち、二重の喜びを示している。今も主によって喜ぶことを、なんでためらうことがあろう。恵みにあずかった人々は、主をヘンナ樹のようにも、ナルドの香油のようにも見ている。まして、天上にはどれほどすばらしい香りがあることだろう。私たちは、神によって楽しみ喜ぼう。最も重要なことは、この「神によって」ということである。イエスの中には、どんなにすばらしい天が隠されていることだろう。無限の祝福の川がここに源を発し、その一滴一滴がここからしたたり落ちている。
おお、尊い主イエス様。あなたはその民に与えられた喜びの源であられます。どうかこの年、私たちにあなたの尊さを知らせ、この年の一日より終わりの日まで、楽しみ喜ぶことを得させてください。正月を、主にある楽しみによって始め、師走を、イエスにある喜びによって閉じさせてください。