鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

ソチ・オリンピック  その5

2014年03月02日 07時53分50秒 | 勝手に応援
沙羅ちゃんと真央ちゃんのことを書こうと書こうと思いながらウカウカと過ごしている内に3月になってしまった。冬のパラリンピックも始まってしまうではないか。それよりも3.11が近づく。さまざまな報告や検証や提言が成される筈だから、ますます書けそうもなくなるので終わりにしたい。副題は『二人の天才少女がしたかった事』としたかったけれど、その5だけでいいだろう。その後を想うということで・・・。

遠くまで飛びたくて、飛んでいる状態が気持ちよくてたまらない子どもだったのに、驚異的に上達してしまう環境と条件に恵まれて天才になっちゃった少女が沙羅ちゃんだ。ムササビとモモンガを比べたら、当然大きいムササビの方が飛行距離をかせげる筈なのに、モモンガが勝つまでになっちゃったのだ。飛型の良さは飛距離と正しく比例するのだから、同じ距離を飛んだとしたら、飛型の良かった方が上位は当然だろうけれど、着地のテレマーク姿勢って本当に必要なのか?・・と素人目には思う。あの原田選手が長野オリンピックで大飛行をした時、着地は両足着地ウンコスタイルだった。飛び過ぎで着地面が平らに見えると恐怖感からテレマーク姿勢をとりにくいと聞くけれど、本能的に身を守っての両足着地なのに、そんなことで大きく優劣が決まるのはおかしいと思われてならない。上手に育てられ、多くの思いやりを受けて競技者になっているのだし、メダルを逃したからとて世間も周りも非難はしていないから良かったが、恩返しのつもりのメダルを本人が一番望んでいただろうとひしひしと感じられて切ない。沙羅ちゃんはただ飛びたかっただけなのに・・・。

真央ちゃんを少女とするのは年齢からして失礼かも知れないと思いつつ、少女としかあらわしようがない気がする。オリンピックを終えて帰国後に外国人記者クラブで会見してるのを見ても、化粧っけのない素顔で氷上とはまるで違う幼さだった。自分を『真央は・・』と言うのはなかったようだけれど天真爛漫な少女そのままだ。彼女も上手に育てられ条件も揃っていたからこそ今日がある天才だろう。何よりも美をも競う採点競技にあって、あのスタイルはそれだけで加点されるだろうし、日本人に限って言うなら不世出というのがぴったりだ。バンクーバー大会だったかアメリカでの世界大会だったか、フィギュア・スケート・ファンの貫禄ある女性へのインタビューで『ヨナ・キムとマオ・アサダのどちらが好きか・・』との問いに『マオね! 彼女のエレガンスがとても好きだから・・』と言っていた。氷上で演技をするときの真央ちゃんは、しなやかさと醸し出す雰囲気は抜群だ。今回のフリー演技はまさにその通りだった。真央ちゃんは子どもの頃から簡単にくるくる跳んでいたようだ。楽しく滑って踊って他人には出来ない跳び方や沢山の跳び方にチャレンジしていたかっただけなのに・・・跳び方の一つ一つにケチをつけて縛るんだから、演技を採点する競技というのは無慈悲だ。それにしても、フリーを滑り終えた後の、感極まった泣き顔は、どんな映画のワンシーンよりも素晴らしいと思われた。エレガント!!あれを見たら、メダルが取れなかったとかどうかは次元が違うと思う。昔のカタリーナ・ビットは完璧だったけれど、真央ちゃんもそれに匹敵する位に素晴らしかった。

何を言おうとしてるのだろう。でも今後二人がどうなるのか、どう決めるのか、どういくのか・・どんな形でも良いから、今までと同じく皆に見守られて、しっかり護られて素直に育って欲しいと願うばかりだ。すっかりロリータ・コンプレックスではないかと疑うなかれ。孫の成長を見ている気分なのだ。

コメント (2)
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