こういった機会でもないと知ることが無かったような…
246、表参道、キラーストリートという3本の道からそれぞれ少し入った結構広い空間、北青山アパート、都営住宅にして周囲と全くそぐわない雰囲気が相当違和感を覚えていた、そんな場所。
丁度10年前のここ北青山アパート周辺の様子をリポートした記事がありました⁉️
従いこの日は10年ちょっと振りに足を踏み入れたことになります。
冒頭は後述の作品のバックに見える「ののあおやま」高層アパートの紹介。
いやー、すっかり、といっても全体の2/3位でしょうか、は様変わり。
そして残りは廃屋のまま…
この記事内で10年前の私は都営住宅最古のアパート、と述べていますが、実際には1957年建設スタート。
その後となるのか新宿区戸山、港区広尾、渋谷区東など今の一等地がまだ都内周縁部だったんですかね、に衝立のような都営アパートが建設され、
“先の”オリンピック後に高島平と続き…
これが2006年頃から住民退去が進められている北青山の今の姿。
ほぼ廃屋に、この建物など推察ですがまあ当たっているでしょう、お風呂などの水回りスペースがベランダだったところに追加で付け加えられている‼️
建設開始当初のスタンダードでは内風呂は考えていなかったんでしょうね、エレベーターの無い5階建、銭湯から戻ってまたひと汗の方も多かったろうと。
この作品の背景に見える高層ビル、マンションかと思っていたんですが、
土地の持つ歴史からか都営賃貸住宅だそうな⁉️
創出用地を活用した北青山三丁目地区 まちづくりプロジェクト|東京TECHブログ(東京都技術会議)|note
話を「水の波紋2021」に戻しましょう。
246沿い、どちらかというと青山3丁目交差点に近いところ、Shopping Aoyamaの入るビル、看板の上の方にディスプレイが設置され、そこに映像が流れている…
山内祥太「我々は太陽を浴びるとどうしても近くにあるように感じてしまう」。
ご覧のように街路樹の上の方に置かれていますので、見ている(見られる)人は246反対側にいるガードマンとか極めて限定的。
こっちは知っていて来ていますが、普通はどなたも気が付かないような不思議な展示💣
そこから246入って旧青山北町都営住宅(北青山アパートの正式名称)跡地の方に向かいます。
偶々ですが、本企画の中心部と言える場所に最初に遭遇。
これが全体を示すパネル。
そして、このエリアの展示紹介と、その向かい民家改造したギャラリー「テマエ」、そしてその2階にあったパネル、本企画がどうやって生まれていったか雰囲気が伝わる事前の関係者の間での会話。
因みにこのギャラリー2階には梅沢和木さんの作品。
そして間違いなく本企画のフラグシップと言える作品、檜皮一彦「HIWADROME type re (re-incarnation」、2021年。
「三角公園」と定義されたこのスペースは後で紹介する再開発が終わったスペースと残置された集合住宅跡
その後、先ずは古い遺構ゾーンに向かいます。
上記パネルで言及されている昔からの「くじら公園」、
取り壊し前のアパートに貼られた作品、梅沢和木「くじら公園アラウンドスケープ画像」、2021年。
部分アップもしてみました。
色んな構成要素が絵に組み込まれていて、タイトル通りというか素晴らしい作品。
そして、“今”に向かう途中、意識的に置かれたかハサミ✂️…
ビル・ウィドロウ「ハーフ・カット」1994年。
前の「水の波紋1995」における展示作品とか。
これが”今”導入部、「ののあおやま」横、左側の緑地に作品が点在します。
そして少し先にはこんな緑地も…
前半部の廃屋とこことは100mも離れていないんですよ、奥さま。
こちらは憧れの青山ライフですわよねえ…
柿本ケンサク「タイムトンネル」、恐らく作品ごとにサブタイトルがあって、最初が03June, 2020。
3枚目が01DEC, 2020。
いずれもコロナ禍前に制作した作品をAIに読み込ませ、コロナ後に現像した作品だそうな…
こちら3枚は01SEP, 2020。
3枚目は作品の一部分の拡大。
更に、同様のシリーズが続きます。
弓指寛治「あの日のタイル」、2021年。
東京大空襲の後片づけ作業?の中でタイルが綺麗だった、という体験談から生み出された作品とか。
因みに表参道辺りを取材中、こんな弓指さんのメモを発見しました。
上のパラグラフ、3枚目の写真がその一つです。
今回最後の紹介はフランツ・ウェスト「たんこぶ」、1995年。
下部は川俣正さんの作品、となっていますが、私にはイナバの物置に見えました…←夜じゃないと分からないらしい…