明日につなぎたい

老いのときめき

文化の春

2019-09-07 13:46:52 | 日記

 民主文学会大阪北支部のニュ―スが送られてきた。この支部の機関誌である『ワンド』に原稿を出せと記されている。どうしても、という義務はなかろうが、やっぱりプレッシャ―を覚える。そんなときに『民主文学』(10月号)が郵送されてきた。ひと月が何と早いことか。そう思っている矢先『大阪泉州文学』(年刊)という同人誌が届いた。両誌とも親しい友人の労作も載っている。私は律義者?読み始めたのは『民主文学』では「百歳万歳の日まで」(紫野咲葦女・しのさきあしめ)、泉州文学では「戯曲 鶴彬―暁を抱いて」(原作・吉橋通夫)であった。

 

 前者「百歳・・・」は著者92才のときの作品。百歳を待ち望んだが、この6月1日に死去。悔しかっただろうと察する。同年齢の私は百歳など考えたこともない。成り行き次第だ。後者は、大阪に縁の深い反戦川柳作家、鶴 彬の句がいくつも紹介され、人の心をそそる。「神様よ今日の御飯が足りませぬ」「皴に宿る寂しい影よ母よ」などは、風刺に留まらぬ、心の琴線に触れ、世の無情をえぐった歌だと感心した。「枯芝よ団結をして春を待つ」が胸に迫る。鶴彬は、特高の弾圧によって、惜しくも29歳で死去。希少な芸術家を失った。日本は野蛮な国だった。

 

 だが、民衆はたくましい。そして文化的である。「鶴彬」に出てくる少女が歌っている。「会いたさ見たさに怖さを忘れ、暗い夜道をただ一人 会いに来たのになぜ出て逢わぬ ぼくの呼ぶ声忘れたか あなたの呼ぶ声忘れはせぬが 出るに出られぬ かごの鳥」。私も覚えている。1940年代、軍国主義”最高潮”のときに、この”軟弱”な歌が流行っていたのだ。「誰か故郷を思わざる」という抒情歌もよく歌われていた。これらの歌曲が弾圧されたという記憶はない。戦時下、民衆のささやかな抵抗は歌うことだったといえるだろう。真の文化は反戦・平和の力だ。