明日につなぎたい

老いのときめき

死んでも・・・あっちの方でよいのか

2017-04-28 16:19:15 | 日記

 世間では、未練が残ったときとか、思ったことをやり切れなかったとき「死んでも死に切れん」と言ったりする。私の場合は何なのだろうか。自問自答のなかで、よく浮かんでくるのは沖縄のことである。19世紀末、沖縄は日本に組み込まれてから差別され続けてきた。太平洋戦争のときは本土防衛の捨て石に。米軍の集中砲爆撃にさらされ、凄惨な地上戦を強いられ、戦後は米軍基地に。事故、事件が続出、人権が踏みにじられる。県民の総反対にもかかわらず、今も新基地建設が強行されている。このままでいいのか。「死んでも死に切れん」ではないか。

 

 去年の秋、大阪府警の機動隊員が、高江地区のヘリパット建設に抗議する人に対して「こら 土人」と罵声を浴びせた。菅官房長官も松井大阪府知事も「不適切な発言」とは言ったが、反省、謝罪の言葉はなかった。安倍内閣の鶴保庸介沖縄北方担当相は「土人」発言を「差別とは断定できない」と言い放った。このことを思い出すと、今でも無性に腹が立ってくる。日本の権力者は19世紀末の琉球併合以来、差別意識を恥じることなく抱き続けているようだ。沖縄の米軍基地は、本土との最大の差別そのものである。

 

 権力者の本音、差別観はいたるところに出てくる。今村雅弘前復興相は「(東日本大震災で)社会資本などの毀損も25兆円・・・これが東北で、あっちの方だから良かった」と露骨な言辞を吐いた。首都圏で使う電力のために、危険な原発を(あっち)の(東北)に建設して送電させる、地方差別そのものだ。沖縄はアメリカに、東北は電力資本に、それぞれに忠誠を尽くす卑劣な政治姿勢が不当な差別をもたらしている。こんなのを正さないと、死んでも死に切れん気になるのだ。今日、4・28は日米安保発効、65年目の「屈辱の日」である。