今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行33日目 「天命」〉(師のブログ 2015.6.2 付)。この日のご参拝者は4名と、賑やかな護摩だった。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5撮影)
これまで大きな仕事をこなされた利典師は〈これからどこに行こうとするのか、それさえも見えぬまま、お行に入ったが、全て天命だとすれば、逆らわず、あるがままに任せるしかない〉と述懐する。では、全文を以下に紹介する。
「天命」
蔵王供正行33日目(6月2日)。晴れ。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第65座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第66座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時10分、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者は4名。私の宗務総長としての最後の講演会となった奈良県立図書情報館のMさんがご友人と来山。講演会企画で、あの「利典さんと吉野」著作写真パネル展を開催してくれた方である。弟子の岩岸くん兄弟も随喜してくれて、賑やかな護摩となった。
****************
「天命」
5月1日から、ひたすら蔵王権現様を拝んでいる。そして33日を過ぎて、いまここで、こうして蔵王権現さまを拝むひとときを過ごしていることが、ようやく、偶然でも何でもない、定められていた、天命によるものだと思うようになった。
いや、今までの自分の軌跡を振り返っても、天命の命ずるままに、生きた来たようにも思える。とうてい私の力ではなしようのない大きな仕事に関わり続けさせていただいてきたのも、すべて、天命だったのではと思えてならない。だからこそ、今、自坊で参籠修行のときを過ごしているのも、自分の計らい事ではなく、天命のままにあるのだと思えるのだ。
これからどこに行こうとするのか、それさえも見えぬまま、お行に入ったが、全て天命だとすれば、逆らわず、あるがままに任せるしかない。そうせよ、といわれているのかも知れない。残念ながら、権現様も行者さまも声に出して言ってはいただけないので、ほんとのところはわからないまま、ただ、ひたすらに今を行じるのみである。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5撮影)
これまで大きな仕事をこなされた利典師は〈これからどこに行こうとするのか、それさえも見えぬまま、お行に入ったが、全て天命だとすれば、逆らわず、あるがままに任せるしかない〉と述懐する。では、全文を以下に紹介する。
「天命」
蔵王供正行33日目(6月2日)。晴れ。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第65座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第66座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時10分、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者は4名。私の宗務総長としての最後の講演会となった奈良県立図書情報館のMさんがご友人と来山。講演会企画で、あの「利典さんと吉野」著作写真パネル展を開催してくれた方である。弟子の岩岸くん兄弟も随喜してくれて、賑やかな護摩となった。
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「天命」
5月1日から、ひたすら蔵王権現様を拝んでいる。そして33日を過ぎて、いまここで、こうして蔵王権現さまを拝むひとときを過ごしていることが、ようやく、偶然でも何でもない、定められていた、天命によるものだと思うようになった。
いや、今までの自分の軌跡を振り返っても、天命の命ずるままに、生きた来たようにも思える。とうてい私の力ではなしようのない大きな仕事に関わり続けさせていただいてきたのも、すべて、天命だったのではと思えてならない。だからこそ、今、自坊で参籠修行のときを過ごしているのも、自分の計らい事ではなく、天命のままにあるのだと思えるのだ。
これからどこに行こうとするのか、それさえも見えぬまま、お行に入ったが、全て天命だとすれば、逆らわず、あるがままに任せるしかない。そうせよ、といわれているのかも知れない。残念ながら、権現様も行者さまも声に出して言ってはいただけないので、ほんとのところはわからないまま、ただ、ひたすらに今を行じるのみである。