tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

比曽の世尊寺は、飛鳥時代に聖徳太子が創建/毎日新聞「やまと百寺参り」第12回

2019年06月30日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の刊行とあわせて連載している「やまと百寺参り」(毎日新聞奈良版)、6月27日(木)に掲載されたのは「花の寺は聖徳太子創建/世尊寺(大淀町)」、執筆されたのは同会会員で広島県ご出身の田原敏明さん。

世尊寺は、大淀町の山間部にひっそりと建つ古刹で、来年(2019年)1月から、こちらの十一面観音像は東京国立博物館の「出雲と大和」展に出展されるそうだ。では、記事全文を紹介する。

江戸時代に再建された曹洞宗世尊寺(せそんじ)の創建は、飛鳥時代の比曽寺(ひそでら)にさかのぼります。古代には修験僧が、中世には清和天皇や藤原道長らが詣でた吉野巡礼のルートでした。戦乱の時代に寺名はその都度変わりますが、聖徳太子創建第7番霊場の法灯は守り続けられました。

本尊の阿弥陀如来坐像は欽明14(553)年、十一面観音菩薩(ぼさつ)立像は推古3(595)年に大阪湾に漂着した香木から造られたと『日本書紀』は伝えています。来年は『日本書紀』編纂1300年。1月15日から始まる東京国立博物館の特別展「出雲と大和」に十一面観音さまが出展されます。慈愛あふれるお姿を多くの人々に拝んでもらいたいものです。

世尊寺は花の寺として女性に人気です。ハナノキ、サクラ、オオヤマレンゲ、サルスベリ、ヒガンバナなど四季折々の花が参拝者の心を和ませてくれます。聖徳太子お手植えと伝わる壇上桜は、150年前に台風で倒れましたが、根から幹や枝が蘇生・開花し、不老長寿の桜として祈りの対象になっています。松尾芭蕉が貞享5(1688)年に参詣し、「世にさかる花にも念佛まうしけり」と詠んだ句碑があります。(奈良まほろばソムリエの会会員 田原敏明)
 
(宗派)曹洞宗
(住所)吉野郡大淀町比曽762
(電話)0746-32-5976
(交通)近鉄六田駅から徒歩約40分
(拝観)9~17時、入山料100円、本堂拝観料300円
(駐車場)有(無料)

        
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「山の中の旅館で、刺身を食べたいか」問題(観光経済新聞)/観光地奈良の勝ち残り戦略(129)

2019年06月29日 | 観光地奈良の勝ち残り戦略
勤務先で「週刊 観光経済新聞」という業界紙を購読している。一般紙にはなかなか載らないユニークな記事が載るので、愛読している。その6月27日(木)付の【道標 経営のヒント】欄(第193回)に、九州国際大学教授・福島規子氏の執筆による《「山中の旅館で刺身を食べたいか」問題》という記事が出ていた。
※トップ写真はホテル杉の湯(川上村)で。マグロ、カンパチ、エビ、タイ薄造り(6/12)

本欄は「広告・マーケティング」「ラグジュアリー」「設計・建築」「サービス・マナー」の各分野において、その道のプロが寄稿するコーナーである。福島教授は観光業界に身を置いていた人で、過去には「温泉場にいらっしゃるお客さまは、本当に、旅館料理に海の幸であるお造りなど求めているのでしょうか」とおっしゃっていたという。まずは記事全文を紹介する。

先日、観光業界を取り上げたテレビ番組で、MCの男性がゲストの旅館経営者に向かってしたり顔で言った。「山中の旅館なのに、マグロの刺し身とか出しているじゃないですか。あれって、どうなんですか。山の中まで行って、刺し身を食べたいですか」

このセリフ、観光業界に入った頃によく耳にした。30年以上前の話である。インターネットが普及していない時代、オピニオンリーダーや評論家たちは、口々に「山の中にある旅館が、無理して刺し身を出したところでお客は喜ばない」「山中で食べる刺し身なんて、新鮮さに欠ける」などなど、もっともらしく語っていた。


こちらもホテル杉の湯の一品(3/6)。氷で作ったお皿に載って出てきた

当時、旅館のコンサルタント関連会社に勤務し大型観光旅館の開業プロジェクトを任されていた筆者も知ったふうな口調で「温泉場にいらっしゃるお客さまは、本当に、旅館料理に海の幸であるお造りなど求めているのでしょうか」と、その時のメンバーに言い放ったことがある。厚顔無恥。いま、思い出すだけで嫌な汗がじわりと吹き出してくる。

当時、大型観光旅館を支えていたのは、男性中心の団体客。酒を酌み交わすことが目的の団体客にとって、宴会料理はご馳走(ちそう)であり、中でも刺し身は酒のさかなとしても欠かせない一品だったのだ。

そもそもご馳走の「馳走」とは本来「走り回ること」「奔走すること」を指す。その昔、客の食事を用意するために馬に乗って走り回って食材を集めたことから、「馳走」にはもてなしの意味が含まれるようになったという。旅館料理には「たとえ、山の中であってもおいしい刺し身を食べさせてもてなしたい」という主人の思いが込められているのだ。



「黒滝・森物語村」の蟹会席(2/22)

20年ほど前、青森県の小さな温泉宿の主人から、広島から来た宿泊客のために食材を探し回った話を聞いたことがある遠路はるばるやって来るお客のために、宿の主人は「何か珍しいものを食べさせたい」と、まさに方々を歩き回り「ご馳走」を用意したという。

主人が仕入れ原価を度外視して手に入れた食材はシャコ。青森では別名「ガサエビ」とも呼ばれる特産品だ。丁寧にさばいて塩ゆでしたシャコを1人2尾ずつ皿に盛り付けて饗(きょう)したところ、客に「こんなものを出しやがって! 馬鹿にしているのかッ?」と烈火のごとく怒鳴りつけられたという。実は、シャコは瀬戸内海でも取れ、広島では塩ゆでしたシャコをざるにあけ、ムシャムシャと頬張って食べるような庶民の食べ物だったらしい。

情報も物流も2、30年前に比べれば劇的に進化し、どこの旅館でもおいしい刺し身を提供できる時代である。冒頭の「山の中まで行って、刺し身を食べたいですか」が、もはや誤った認識であることを信じ、示したい。


これは物流や保存・調理方法の進化の賜物というしかない。大分県の山の中の温泉旅館(山城屋)でも美味しい刺身やエビの塩焼きが出てきたし、3ヵ月に1度訪ねる「ホテル杉の湯」(奈良県吉野郡川上村)では、いつも凝った器に載った新鮮な刺身が出てくる。はなはだしいのは「黒滝・森物語村」(吉野郡黒滝村)で、冬場には「蟹会席」を売り物にしている。

山の中で出てくる海の幸が美味しくなければ文句の1つも出ようが、これらすべてとても美味しかったので「何でこんなに美味しいのだろう」というサプライズ感がかえって味を引き立てるという相乗効果がある。

「山の幸で十分だ」という声もあろうが、やはりお酒には海の幸が合う。山間部で出てくる海の幸には、「山の中であってもおいしい刺し身を食べさせてもてなしたい」というサービス精神を感じながら、有難くいただきたいと思う。
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岡寺の癒やしの山道を歩く/毎日新聞「やまと百寺参り」第11回

2019年06月28日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は『奈良百寺巡礼』の出版にあわせて毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している。先週(6/20)掲載されたのは「眺望開けるる 癒やしの道/岡寺(明日香村)」、筆者は同会会員で大和郡山市在住の大江弘幸さんである。岡寺の境内はとても広い。道沿いには季節折々の花が咲くし、高台からは眺望が楽しめる。では、全文を紹介する。
※写真は高台に続く山道

岡寺は明日香村の東、岡山の中腹に建つ閑静な山寺です。開祖・義淵(ぎえん)僧正が当地を荒らす悪龍を法力で池の中に封じ込め、大きな石で蓋(ふた)をしたことから龍蓋寺(りゅうがいじ)とも。見事な獅子や龍、虎が彫られた仁王門をくぐり、石段を上がれば本堂。

ご本尊の如意輪観音坐像(ざぞう)は、塑像(そぞう 土でできた仏像)としては日本最大の仏像です。本堂前には龍を封じ込めた龍蓋池があり、傍らの白い浮彫りの石板が龍と僧正の戦いを語ります。

池を過ぎ小道を行けば、草木の間に石塔や石仏がたたずんでいます。しずくのしたたる奥之院石窟の中には弥勒菩薩(ぼさつ)坐像。奥之院から三重宝塔に至る本堂向かいの山道は、春にはピンクに染まるシャクナゲの群生、秋には紅葉のトンネルと、四季折々に彩り豊かです。

ゆるやかな山道を行き、義淵僧正の廟所からは境内諸堂を一望できます。三重宝塔の高台まで来れば、明日香村ののどかな風景と、その先には金剛・葛城の山並みが広がります。石段を下り、戦時の難を逃れた鐘のある鐘楼堂でひと打ちし、厄を払って山を後にしましょう。(奈良まほろばソムリエの会会員 大江弘幸)

(宗派)真言宗豊山派
(住所)高市郡明日香村岡806
(電話)0744-54-2007
(交通)近鉄橿原神宮前駅東口からバス「岡寺前」下車、徒歩約10分
(拝観)8時~17時(3~11月)、8時~16時半(12~2月)。400円 
(駐車場)有(民営)



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万葉仮名で「於波欲宇」(おはよう)/奈良新聞「明風清音」(21)

2019年06月27日 | 明風清音(奈良新聞)
奈良新聞「明風清音」欄に月1~2回程度、寄稿している。昨日(6/26)掲載していただいたのは「万葉仮名は奈良生まれ」だった。この原稿を書くにあたっては、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」会員の米谷潔(よねたに・きよし)さん(大阪市出身・在住 72歳)のお世話になった。米谷さんは、お若い頃から万葉集を愛好されていて、その後、万葉仮名を研究されるようになった。
※トップ画像は、Wikipedia「万葉仮名」から拝借

万葉集の表記には、漢字本来の意味を生かした「表意文字」と、字音を使う「表音文字」の2種類がある。「表音文字」は1字1音で表される。山は「夜麻」、海は「宇美」というように、ひらがなと同じように使われる(ひらがなは、万葉仮名として使われた漢字を崩した「草書体」から生まれた)。

米谷さんは万葉仮名(表音文字)を並べた「五十音図」を作られ、これを使うと何でも万葉仮名で表記することができる(ただし表音文字に「ん」はないので、「武」「牟」で代用する)。

よろしくを「夜露死苦」、愛してるを「愛死天流」などと書く「ヤンキー漢字」があるが、この「五十音図」を使えば、万葉仮名でこのように遊ぶことも可能である。何より万葉仮名は奈良時代に奈良を中心とした地域で使われたので、これはぜひ奈良で普及させたいものである。では、全文を以下に紹介する。

新元号「令和」が万葉集巻五「梅の花の歌の序」から取られたという話は、先週の本欄に書いた。大伴旅人が自邸に配下の役人たちを招き、1本の梅の木を中心に歌を詠む宴を催したのである。宴を開いた福岡県太宰府市では、「大宰府政庁跡」(国特別史跡)やその近くの坂本八幡宮(旅人邸候補地の1つ)などに多くの人が訪ねているそうだ。

このブームに乗って、奈良まほろばソムリエの会では今夏以降、東京と奈良で万葉集に関する講演会を開催する。「ざっくりわかる万葉集」「雑学的万葉集」「万葉集とその時代」などの通しタイトルをつけ、花の歌、恋の歌、食事や酒の歌、事件の歌など、単なる歌の解釈や鑑賞とはひと味違う、楽しく耳を傾けているうちに万葉集が自然と身につく講座にしようと思っている。秋以降には、その名も「万葉まほろば線」(JR桜井線)を使ったガイドつきウォークの開催も計画している。

ところでこの万葉集、私たちは漢字とひらがなの混じった「読み下し文」を目にしているが、万葉集に収められた約4500首の原文は、すべて漢字で表記されている。たとえば「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」(巻三―三二八)は、「青丹吉寧楽乃京師者咲花乃薫如今盛有」と記されている。当時は自国の言葉を記す文字を持たなかったので、漢字を借りて日本語を表記したのである。

万葉集前期の歌は、漢字本来の意味を生かした「表意文字」と字音によって用いる「表音文字」の混じった歌が多く、後期になると字音によって用いる「表音文字」主体の歌が多くなるという。

「字音」によって書かれたものは一字一音で表わされ、山なら「夜麻」、海なら「宇美」、赤なら「安可」「阿加」などと書き、結果的にはひらがなと同じような機能を果たす。
古くは6世紀の金石文(きんせきぶん)にも使われていたようだが、多くは万葉集に用いられていることから「万葉仮名」と呼ばれる(平安時代以降にはひらがな、カタカナが登場する)。万葉仮名は貴族・官人の歌だけでなく、東歌(あずまうた)や防人(さきもり)の歌でも使われているので、当時の東国の訛りが分かるという。

長年、万葉仮名を研究している奈良まほろばソムリエの会の米谷潔さん(72)によると、万葉仮名はひらがなのように「五十音図」に並べることができるそうだ。これに従えば、ソムリエは「曽武利衣」「蘇牟理衣」「曽武里得」「素六利要」「宗武理延」などと書けることになる。

これは面白い。携帯メールなどで、おはようを「於波欲宇」、さようならを「散夜宇奈良」などと書いて送れば、何だか奈良時代の貴族になったような気分になれる。キャッチコピーとかTシャツの背文字にも展開できる。

いわゆるヤンキー漢字の「夜露死苦」(よろしく)「愛死天流」(あいしてる)「愛羅武勇」(あいらぶゆー)「走死走愛」(そうしそうあい)にも、十分太刀打ちできそうだ。
奈良時代に奈良で生まれた万葉仮名、あまり難しく考えず、遊び心を持っていろんなところに応用したいものである。


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オーバーツーリズムか閑古鳥か/観光地奈良の勝ち残り戦略(128)

2019年06月26日 | 観光地奈良の勝ち残り戦略


こんな記事が新聞やテレビで報じられた。奈良新聞は1面トップだった(6/18付)。「奈良のシカ 深刻なビニールごみ誤飲 レジ袋など規制へ 奈良市、条例化検討」。リード文には、

国の天然記念物「奈良のシカ」が、消化できないビニールごみを大量に食べて命を落とすケースがあることから、奈良市が奈良公園や周辺の店舗でレジ袋の使用を制限するなど、条例化を含めて検討に乗り出すことが17日、分かった。ビニールごみの誤飲には、増え続ける観光客の認識不足もあるとみられ、外国人への啓発を含め市が実効性ある手立てを打ち出せるか、注目される。

奈良公園、東大寺参道から大仏殿、東向商店街などは、いつも国内外からの観光客でごった返している。地元民によると「奈良公園の鹿の糞は、もともと硬くてコロコロしていた。しかし最近の糞は、べっとりした軟便になっている」。映像作家の保山(ほざん)耕一さんから、こんな話も聞いた(6/16)。「春日大社の砂ずりの藤、今年は最悪でした。参拝客が写真映えをねらって花を顔まで引っ張るため、花がボロボロになっていました」。

これは「オーバーツーリズム」、つまり「観光地が耐えられる以上の観光客が押し寄せる状態(過剰な混雑)」(ジャパン・ワールド・リンクのサイト)であり、それが観光公害を引き起こしているのである。放置ゴミが激増し、ついに2017年に「河川でのバーベキュー禁止」に踏み切った天川村の事例もこれに当たる。

しかし一方で、観光客が少なくて閑古鳥が鳴いている地域(アンダーツーリズム)は、県南部などで枚挙に暇(いとま)がない。天川村も、夏場のキャンプの時期やみたらい渓谷が色づく紅葉シーズン以外は閑散としている。だからキャンプ客を今まで以上に誘致しようとしたのだろうが、それが裏目に出てしまった。

「では、奈良公園などに来る観光客を南部に誘致すれば良いだろう」という人もいるが、そうは問屋が卸さない。以前、当ブログでも指摘したように、奈良公園などに来る内外の観光客は、京都や大阪に来る「ついで」に立ち寄っているのである。奈良は日帰りで済ましたいのだから、「ついでに吉野で1泊を」とはならない。

県の関係者によると「奈良公園ではなく、平城宮跡とか西ノ京に誘致しようと、レンタサイクルなどをPRしている」とのことだが、西ノ京だと、薬師寺と唐招提寺を結ぶ道が細いのに人通りも車通りも多いので、とても危険だ。近鉄利用(西ノ京駅から徒歩)を薦めるしかない。

あと可能性があるのは「ぐるっとバス」で平城宮跡に誘致することくらいか。平城宮跡は近鉄大和西大寺駅から歩けるから、道標を充実させれば誘導できる。あとは宮跡内のガイドだが、これはNPO法人「平城宮跡サポートネットワーク」さんに頑張ってもらうしかない。

冒頭に貼った動画は、JR東海の2019年春のキャンペーン「長谷寺と奈良大和四寺」のCMである。四寺とは、長谷寺、室生寺、岡寺、安倍文殊院だ。県中部・東部のお寺をこのように紹介してくれるのは、とても有り難いことである。今年は和辻哲郎著『古寺巡礼』の出版100周年の年でもある。中南部のお寺に参拝者を呼び込むことも、立派な誘客である。

インバウンドの好調により、従来から指摘されてきた観光の「南北問題」が「オーバーツーリズム」と「アンダーツーリズム」という図式で浮き彫りになった格好だ。県南部誘致への新たな観光戦略が求められている。
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