tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奈良市・下御門商店街で流しそうめん、8月3日(土)開催!(2013Topic)

2013年07月31日 | 奈良にこだわる
奈良市の「もちいどのセンター街」の南端からならまちへと続く「下御門(しもみかど)商店街」で、昨年に引き続き「流しそうめん」が行われる。すでにブログ「鹿鳴人のつぶやき」に紹介されているが、7/26付の産経新聞奈良版「奈良・下御門商店街 80メートルの流しそうめん 来月3日に開催」によると、
※トップ写真は昨年の様子。同商店街のFacebookから拝借

奈良市の下御門商店街で8月3日、坂道を利用した全長約80メートルの流しそうめんが行われる。カップとめんつゆを1杯100円で購入すれば参加できる。つゆが薄くなるまで食べ放題。めんつゆは、商店街にある料亭「水乃江」が担当しており、料亭の味が楽しめる。

昨年に続いて2回目の開催。午後2~3時と4~5時の2回に分けて行われる。今回は国の補助金を活用し、商店街にある店で各種サービスが受けられるクーポン券付きの小冊子も配布する。同商店街協同組合の臼井基雄理事長は「子供から大人まで、日本の夏の風物詩を楽しんでほしい」と話している。問い合わせは同商店街のホームページから。


この情報は、今日(7/31)12時台半ば頃に「FM COCOLO」でも紹介されるという。同商店街のFacebook「FMラジオで紹介されます♪」(7/30付)によると

7月31日(水)放送のFM COCOLO ”PACIFIC OASIS”で、『しもみかど・流しそうめん』と『しもみかど帖』が紹介されます。ちょうどお昼休みどきの12:00~13:00のどこかでオンエアされるそうですので、チェックよろしくお願いいたします!ちなみにカマサミ・コングさんと共にDJを務められている小谷真美子さんは奈良ご出身。小谷さん、いつもフレッシュな奈良情報のピックアップ、有難うございます!

この記事に対して小谷さんから《12時台半ば頃オンエアの予定です。お時間あればぜひ765にチューニングを合わせてください。またはradiko.jpでFM COCOLOを♪》というコメントが入っていた。

下御門商店街は、江戸時代中期から賑わっていたという歴史ある商店街である。世界遺産・元興寺の門があったことから「下御門」の名がついた。なだらかな坂道になっているので、流しそうめんには絶好だ。アーケードがあるので、直射日光も当たらない。めんつゆは同商店街の料亭「水乃江」(つる由)が作るそうなので、これは本格的である。

8月3日(土)の「14:00~15:00」または「16:00~17:00」、ぜひお子様連れで下御門商店街の「流しそうめん」に足をお運びください!
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王楽園の汁なし担々麺(乾担々麺)

2013年07月30日 | グルメガイド
先日(7/12)当ブログで、王楽園のビャンビャン麺をビャンビャン食べよう!と紹介したところ、結構な反響があった。「あんな太い麺があったとは、信じられない」「辛くて酸っぱくて美味しくて、いかにも本場の味」といったご感想をいただき、店長の王(ワン)さんにも喜んでいただいた。

あのときメニューを拝見して、印象に残ったラーメンがある。汁なし担々麺(乾担々麺)である。《野菜たっぷり 全粒粉麺をつかった汁なしの熱い麺 990円 生麺180グラム ごまだれ 温または冷 当店では健康食品として新しい麺を出すことが出来ました。小麦の表皮や胚芽で食物繊維やビタミン、ミネラルを多く含んでいます(全粒粉麺)。是非ご賞味下さい》。「温または冷」のところはあとで紙を貼ってあったので、もともとは「温」だけだったのだろう。


「西安餃子」(水餃子)525円

いつかいただこうと思い、ネットで情報を集めていると、こんなブログ記事を見つけた。高校で生物を教えておられるoteさんのブログ「刮目(かつもく)日記」である。王さんのお店で汁なし担々麺を食べましたによると、

最近hulu(動画配信サービス)で、『孤独のグルメ』というテレビ東京制作のドラマ番組を見ました。そこに、主人公の井之頭五郎が池袋で「汁なし担々麺」をめっちゃ美味しそう食べる場面があります。「汁なし担々麺」、この間近畿大会で大津に行ったときに、駅前のラーメン屋でその現物を見ました。隣の人が注文して、丹念に混ぜてから食べていました。それで、ああ、あの「汁なし担々麺」ね、ということに自分の中ではなりました。


「鶏肉の甘酢」735円

朝からインターネットで、自宅近辺で「汁なし担々麺」をやっているところを検索しました。でも、ヒットしたところはありません。ただ、最寄りの駅前ビルにある中華料理店(王楽園)には「辣子麺」という辛い麺があるということが分かったので、それを食べようと出かけました。すると、店の側面に自慢メニューが張ってあり、そこに「乾担々麺」を見つけました。「汁なし担々麺」のことですね。

「乾担々麺」を注文して運ばれてくると早速全体を混ぜ合わせました。レタス、キュウリ、トマト、刻んだカシューナッツ、ひき肉、そして、ごまダレです。麺は全粒粉でつくってあり、フワッとした独特の香りが広がります。最初は「これ何」という感じでしたが、食べ出すととっても美味しい! その香りにもすぐに慣れました。わたし的にはもう少し辛味がほしいな。

この店は、4月にNHK『アジアン食堂』の西安料理で紹介されました。店長さんは中国人の王さん。他にもおもしろい麺がありました。来週にでも食べに行って報告しますね。よい店見つけた。




これを読み私も7/25(木)、お店を訪ねた。まずはビールと名物「水餃子」(西安餃子)525円、あと「鶏肉の甘酢」735円。いよいよ締めに乾担々麺(汁なし担々麺)990円を注文。麺が見えないほど、たっぷりの具材が乗っている。

「ビャンビャン麺」ほどの辛さや酸味はなく、ごまダレがシッカリと仕事をし、そこに小麦の香りいっぱいの全粒粉麺がよくからむ。まこと、この全粒粉麺はスグレモノである。乾担々麺は一時流行った油そばとは、全く違った中国の味である。これだけで十分満腹になるボリュームだ。ぜひ、いちどお訪ねください!
※王楽園(わんらくえん)のホームページは、こちら
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駆ける魂 騎手・藤井勘一郎さん(御所市出身)

2013年07月29日 | 奈良にこだわる
勘一郎さんが優勝したコリアンダービー(5/19)


藤井勘一郎さん(29歳)は、韓国で活躍する競馬騎手である。奈良県御所市柏原のご出身で、ウチの会社のOB・藤井謙昌さん(現在は榎本医院に勤務)のご長男である。先日、藤井先輩から、こんなメールをいただいた。《23日より3日間、日経新聞夕刊をご覧ください。長男は韓国で騎乗を続けています。その後5月には韓国ダービー(GⅠ)にも勝利しました。その効果もあり先日「日経新聞」の取材を受け、来週その記事が掲載されることになりました》。

これには驚いた。海外では「Joe Fujii」と呼ばれ、以前から活躍されている様子はお聞きしており、当ブログでも、大海を知る県出身ジョッキーとして紹介したことがある。雑誌『競馬最強の法則』2013年3月号でも「日本で1度も騎乗したことのない実力派日本人ジョッキー」として、5ページにわたって紹介されていた。昨年12月と今年の5月には、日本の「有馬記念」と「日本ダービー」に相当する試合で優勝していたのだ。日経夕刊「駆ける魂」の連載は、くまなく読ませていただいた。以下、記事から抜粋して紹介する。
※当記事中の写真は、勘一郎さんのブログ、Facebookとホームページから拝借

コリアンダービー(5/19)ゴールの瞬間

韓国で頭角、大レース連覇(7/22付)
日本で騎手を目指す少年少女は、10代半ばで人生の分岐点を迎える。国内には日本中央競馬会(JRA)の競馬学校騎手課程と、地方競馬全国協会(NAR)の地方競馬教養センターという2つの騎手養成機関があるが、いずれも年間合格者数人の狭き門。入学者の多くは中学卒で、試験に落ちれば、再挑戦か進路変更かの選択を迫られる。

再挑戦を目指す人の受け皿がある。オーストラリアの騎手学校に進み、免許を取る道だ。1990年代後半以後、この経路で30人以上がデビューを果たした。国内との接点が少なく、大半は競馬関係者でさえ名前も知らないが、韓国で大レースを相次いで優勝し、存在をアピールしたのが、藤井勘一郎(29)である。



昨年6月から韓国東南部の釜山慶南競馬場で騎乗を始めた藤井は、12月9日に「グランプリ」(ソウル競馬場・ダート2300メートル)を、今年5月19日には「コリアンダービー」(同・ダート1800メートル)を優勝した。日本なら有馬記念とダービーに相当するビッグタイトルを、わずか半年余りで連勝したことになる。



本来はJRA競馬学校騎手課程志望だった。だが、中学3年の時点で体重が44キロに増え、同課程の受験資格を1キロオーバーした。思いを捨てきれず、中学卒業直後の99年5月には、競馬雑誌の広告で知った豪州の競馬学校の門をたたいた。2年後に免許を取得し、豪州とシンガポールで活動。韓国は3ヵ国目だが、藤井の視線の先には、日本の競馬場がある。


コリアンダービー(5/19)で

勘一郎さんが優勝された「コリアンダービー」(5/19)のことは、ご本人のブログ記事2013年度韓国ダービー制覇に活写されている。

《ダービー当日は熱気あるファンでスタンドが埋め尽くされていました。前夜から雨が降り続け、当日は不良馬場。僕のパートナー、スピーディーファースト号は13枠からのスタート。この競馬場は雨が降ると、時計が早くなり、先行有利の競馬になってしまいます。当日も、すべてのレースで5番手以内のポジションで勝ち馬が決まっていました。外枠から初めの1,2コーナーでロスなくどう乗りこなすかが僕の課題でした。調教師さんとの作戦で「初めは無理させないで、後は任せる」とだけ言ってもらい、気持ちが楽になり、集中してレースに望めました》。

《ゲートが開いてゆっくり乗ったのが上手くいき、妨害も受けずに1,2コーナーをスムーズに周れ、向こう上面では理想の先頭グループまで馬なりでつける事ができました。3,4コーナーの途中で馬がハミ(口に含ませる馬具)を外し、集中力が切れたので手綱を動かしながら、牝馬の力だとここまでか?と不安になりました。でも、直線に向き、内の経済コースが開くと、またハミを取り直し反応してくれたのでラストは自信を持って追いました。韓国のファンは本当に熱狂的!!ウイニングランも馬との人馬一体で心から満喫しました》。


向かって左から2人めが父親の謙昌(よしまさ)さん(2009.5.3 京都競馬場で)

小学生で競馬に「一目ぼれ」(7/23付) 
日本で幼い頃から馬に接する人は珍しい。騎手や調教師に厩舎関係者の家庭で育った人が多いのも、そんな事情からだ。藤井勘一郎は、奈良県御所市の競馬とは無縁の家庭で育った。競馬との最初の接点は小学6年に進む直前の1995年3月。偶然見たテレビの画面に心を奪われた。弥生賞を圧勝し、無敗の4連勝を飾ったフジキセキ。種牡馬サンデーサイレンスの代表産駒で、父譲りの漆黒の馬体が印象的だった。

(オーストラリアでの)2年間の学校生活の後、2001年末に小さな競馬場でデビューを果たした。豪州で免許を取ることは、厳しい競争の始まりに過ぎない。腕があればシドニーやメルボルンの賞金水準の高い競馬場で騎乗できるが、出世の階段を上っていくのはごく一握り。そんな環境で、2季目(02~03年シーズン)から、16→19→65→75と勝ち星を伸ばし、最後の2年は見習い騎手の勝利数ランク2位に入った。

(07年からシンガポールに拠点を移し)一時帰国を経て、永住権取得を念頭に08年に戻ったが、今度は以前のように勝てない。落馬事故などでリズムを崩してスランプに。そんな折に舞い込んだ釜山行きのオファー。釜山は近年、日本の地方所属騎手が数多く活躍している。「最後の賭け」の思いで飛び立った。



ご長男は1歳

回り道、視線は夢の日本へ(7/24付)
18歳になる直前から、藤井勘一郎は「外国人騎手」として生きてきた。国内では一度も乗っていない。外国人騎手は、技量に加え、言葉の壁を乗り越えることも要求される。オーストラリアで出発した藤井にとっては、英語が関門だった。渡航前から「かなり勉強した」と言い、現地でもホームステイをして、話す機会を増やした。釜山の通訳とも英語で話す。若手騎手は騎乗馬を確保するため、厩舎を回って調教を手伝うのが“営業”の第一歩だが、言葉が通じないと、調教のさじ加減も決められない。

「通じる」だけでも足りない。実戦での状況を的確に伝え、次のコースの指針になるコメントをすれば、負けても次戦を任されることが多くなる。そこで、馬の気性や癖、体調など、調教の際に気付いた点を細かくメモに残す。レース前日は騎乗馬の過去の映像を繰り返し見て、レース後もまたメモ。研究に研究を重ねるのが、藤井の流儀だ。

釜山での免許は9月で切れる。更新がなければ永住権を持つ豪州に戻るが、視線は国内に向く。「中央競馬に憧れて騎手になった以上は中央で乗りたい」。2009年にも中央の免許試験を受験していた(今秋、再受験の予定)。

現在の自身を藤井は「夢の中で生きている」と表現する。騎手の夢をかなえ、国内舞台という次の目標を追う。世界を渡り歩く傍らには、妻と1歳の長男もいる。「両親や家族の支えが自分の基盤」。周囲の思いに応え、理想とする「本物のプロ」に近づくため、回り道の騎手人生をこつこつと歩き続ける。


釜山競馬場でご両親と(3月)

いかがだろう。夢を追い、次々とそれらを実現していくたくましい若者像が浮かび上がってくる。韓国での騎乗も、はや1年以上が経過した。勘一郎さんのブログ記事韓国遠征一年経過によると《韓国での騎乗を去年の6月29日にデビューしてから、早くも1年が経ちました。おかげさまで、関係者のみなさんのサポートに恵まれ、中間リーディング(ランキング)は現在2位に入っています。もちろん、今年は釜山の1位を目指します!!大井競馬場との交流競走が正式に発表され、韓国競馬も世界的にこれから、どんどん良くなっていくと思います》。

「中央競馬に憧れて騎手になった以上は中央で乗りたい」とおっしゃる勘一郎さん。日本のご両親やご家族の前で、ぜひ勇姿を見せていただきたいものである。ガンバレ!Joe Fujii!
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綱越神社おんぱら祭は、7月30日(火)と31日(水)!(2013Topic) 

2013年07月28日 | お知らせ


毎年、7月30日と31日には、三輪の明神さんとして知られる大神神社(おおみわじんじゃ)の摂社、綱越神社(つなこしじんじゃ)で「おんぱら祭り」が営まれる。大神神社の公式HPに詳しい情報が出ている。なお『きょうの奈良』(紫紅社刊)「おんぱら祭」によると

大神神社の1の鳥居から西へ百メートルほどのところに建つ綱越神社神社は、さまざまな穢(けが)れを祓う祓戸大神(はらえどのおおかみ)を祭神とし、大神神社の卯の日の神事(現在の春の大神祭)の前には、神職は三輪川で禊(みそぎ)をして当社で祓の儀を受けなければ神事に携わることができなかった。そのため「御祓(おんはらい)社」=おんぱらさん」とよばれている。

「おんぱら祭」は半年間に身についた穢れを祓い暑い夏を乗りきるための夏越(なごし)の祓で、「綱越」の社名は「夏越」が転訛したという説がある。30日は宵宮祭で、31日は神馬(しんめ)が社を3周して邪気を祓ったのち、巫女の神楽舞の奉納があり、最後に茅の輪をくぐる。鳥居の前には紙の人形(ひとがた)がおかれ、名前と年齢を記して3度息を吹きかけ、両肩と具合の悪いところをなでて納めるとお祓いしてもらえる。31日の夜は、2千発の奉納花火大会が催される。このあたりは高い建物がないので、どこからでも壮大な花火が楽しめる。




最近はお祭りより、奉納花火大会のほうが有名になっている。花火カレンダー2013には《奈良県内屈指の花火大会。約2000発の花火が打ち上げられる。周囲に視界をさえぎる建物などが少なく、開放感のある空間で眺めるスターマインは見ごたえ十分だ》。と出ている。花火は31日(水)の午後7時30分開始である。花火見物は、ぜひ公共交通機関をご利用いただきたい。

昨日(7/27)は、関東・東北で激しい雷雨となり、、隅田川花火大会やアイドルグループ「NEWS」の屋外コンサートが開催途中で中止になるなどの影響が出た。過呼吸や雨による低体温で病院に運ばれた人も多かった。7/31(水)の花火大会は、天気予報をよく見てからお出かけいただきたい。

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今日はスイカの日/タネの8割以上は奈良県産!(産経新聞「なら再発見」第38回)

2013年07月27日 | なら再発見(産経新聞)
7月27日はスイカの日です。これにちなんで今日の産経新聞「なら再発見」は、スイカの話で、執筆したのは私です。そのため先週(7/20)、スイカのタネのトップメーカー、株式会社萩原農場(磯城郡田原本町法貴寺)をお訪ねしました。こちらの萩原斗志弘専務は、もと同僚でFacebook友達。そのご縁で今回の取材が叶いました。

全国のスイカのタネのシェアは、萩原農場さんだけで約50%。他の県下の種苗メーカーを加えると、全国シェアの80~90%が奈良県産なのだそうです。こんな産業が県下にあったとは、初めて知りました。以下、全文を紹介します。



7月27日はスイカの日。種は8割以上が奈良県産

 7月27日はスイカの日。収穫期の7月、スイカのしま模様を綱に見立て「27(つな)」としたのだそうだ。もっとも、しま模様のないスイカもあるが。
 奈良のご当地検定である「奈良まほろばソムリエ検定」の最上級資格「奈良まほろばソムリエ」の試験に、こんな問題が出たことがある(平成21年)。
 「大正時代の後期に奈良盆地の農業を米麦二毛作から田畑輪換方式へと転換するため、県農事試験場がアメリカから取り寄せて種を改良した作物はどれか」。四問択一で、解答を「(ア)ナス」「(イ)イチゴ」「(ウ)スイカ」「(エ)ゴボウ」から選ぶ。
 なかなかの難問だが、アメリカから取り寄せたというところがヒントになる。正解は「(ウ)スイカ」だ。
      ■      ■
 奈良県は古くからスイカの産地として知られてきた。奈良盆地は温暖な気候で雨が少ない。昼夜の気温差の大きい地域も多く、これらの条件はスイカの栽培に適していた。


写真はすべて萩原農場さんで、7/20に撮影させていただいたものです

 大正時代後期、県農事試験場が品種改良事業に乗り出したことにより、栽培が拡大。育種の努力と組織的な統制販売によって、「大和スイカ」は全国に広まっていく。
 昭和20年代までは奈良盆地一帯がスイカ畑で、収穫期には「番小屋」を建て、スイカ泥棒を見張っていたそうだ。今も奈良漬には、直径6センチほどの小さなスイカを使う。
 大和スイカ普及の陰には「西瓜(すいか)王」と呼ばれる人物の血のにじむような努力があった。明治28年生まれの萩原善太郎氏である(昭和41年没)。22歳からスイカ栽培を始め、「貧乏したけりゃ萩原の農業を見習え」と陰口をたたかれながらも、粘り強く育種実験を重ねた。



 ある日、突然変異の小さなスイカを発見。種を取って育てると、大玉で収量が多く、皮が硬くて輸送に耐えるスイカが獲れた。このスイカと、甘いが皮の弱い県の育成種をかけあわせると、双方の長所を兼ね備えたスイカが誕生。これを「富研号」と名づけ昭和12年、大阪中央市場の試食会に出すと絶賛を浴びた。
 戦争による中断を経て昭和26年、富研号はスイカとしては初の農林省種苗名称登録の認定を受け、一躍全国に名が広がった。
      ■      ■
 そんな大和のスイカだが、今、奈良県下をめぐっていても、奈良市の月ヶ瀬地域などを除き、スイカ畑を目にすることは少ない。これは30年代以降、スイカに代わってイチゴ栽培などが増えてきたからだが、今も全国で栽培されるスイカの種の8~9割は、県下の複数の種苗会社が出荷している。



スイカの皮の硬さを測定しているシーン

 スイカは90%以上が水分で、糖分のほかカリウム、カルシウム、マグネシウム等のミネラルも含まれている。そこに食塩を少しふりかけると、スポーツドリンクと同じ理屈で熱中症の予防になる。
 最近注目されているのが、スイカに含まれるシトルリンだ。アミノ酸の一種で、血管を拡張して血流を改善する。動脈硬化の予防や冷え性の改善に役立つ。このほか抗酸化作用をもつリコピンはトマトより多く含まれ、体内でビタミンAに変換されるカロテンも豊富。ビタミンAは新陳代謝を促し、肌の老化を予防する。
 そんなスイカの普及をめざして、平成25年3月には「スイカ倶楽部」が発足した。同倶楽部を盛り上げる「スイカメイト」も募集中だ。
 暑い夏には、よく冷えたスイカ。スイカを食べて、猛暑を乗り切りましょう!(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事 鉄田憲男)



こうしてスイカの糖度を計る

この日(7/20)は、同僚たちと4人でお邪魔しました。ちょうど新潟県南魚沼市から「八色西瓜(やいろすいか)」が到着していました。タネは萩原農場さんの「祭りばやし777(スリーセブン)」というイチ押しの品種です。早速カットしていただきましたが、あまりの美味しさにビックリ仰天! 甘さといい、シャリ感といい、今まで食べてきたスイカの中で、最高の味でした。

「何でこんなに美味しいのですか?」と思わず質問しますと、「スイカは品種改良で、どんどん甘くなっています。しかもこのスイカは昨日獲れたばかりの新鮮なスイカです。また今の時期は、新潟あたりのスイカが一番美味しい時期にあたります」。なるほど。



私たちが口にするスイカは、獲れてから市場に出荷され、それがスーパーに出回り、買って食べるまでに、約1週間かかっています。スイカは完熟の状態で収穫されるので、とれとれが一番美味しいのだそうです。また、スイカは熊本あたの収穫が最も早く、そこから徐々に北上します(熊本→鳥取→千葉・新潟・山形)。だから旬の産地を見分けることも、コツなのだそうです。

たくさんの資料を拝借しましたが、1300字という制限の中で、わずかしか紹介できなかったことはとても残念です。美味しくて体に良くて、奈良県シェアが8割以上というこのスグレモノ、また機会をとらえて紹介させていただくつもりです。萩原専務、有難うございました!

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