tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

平成の奈良を代表する5人 を勝手に選定!

2019年04月30日 | 奈良にこだわる
先月、東京新聞のサイトに、共同通信が行った世論調査の結果が出ていた。詳しい内容はこちらをご覧いただきたいが、私の目を引いたのが「人物編」。曰く、

《業績を評価する歴代首相は、「自民党をぶっ壊す」と訴えて国民を熱狂させた小泉純一郎氏が77%の支持を得た》《平成を代表するスポーツ選手は、米大リーグで数々の記録を打ち立てたイチロー元選手が一位》《芸能分野では、二〇一六年末に解散した国民的アイドルグループ「SMAP」が一位》。

平成の日本を代表する人物が、小泉元首相、イチロー元選手、SMAP、となれば皆さん納得されるだろう。では「平成の奈良を代表する人物」とは?勝手に5人を選んでみた。

平成の奈良を代表する人物(50音順)
岡本彰夫氏(神主、奈良県立大学客員教授)
河瀬直美氏(映画監督)
田中利典氏(金峯山寺長臈、種智院大学客員教授)
中川政七(中川淳)氏(中川政七商店会長、奈良クラブ社長)
西山厚氏(帝塚山大学客員教授)


いかがだろう、結構いいセン行っていると思うが。同時に私の友人・知人からも5人、選んでみた(Facebookの友達だけでも1,800人以上いる)。

平成の奈良を代表する人物(友人・知人 50音順)
金田充史氏(げすとはうす はる きたまちオーナー、元魚佐旅館専務)
木村三彦氏(橿原市観光ボランティアガイドの会会長、奈良まほろばソムリエの会顧問)
葛本雅則氏(奈良県観光局観光プロモーション課長)
藤丸正明氏(地域活性局代表)
若林稔(若林梅香)氏(今井町町並み保存会会長)


普段からお付き合いいただいている金(かね)やんから県職員の葛本さんまで、異色の人材が勢揃いした。コメントはまたの機会に!

コメント (2)
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『奈良百寺巡礼』を刊行!出版記念講話&ツアーも(2019 Topic)

2019年04月29日 | お知らせ
このたびNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、京阪奈情報教育出版から『お寺参りが楽しくなる 奈良百寺巡礼』(980円+税)を刊行しました!近鉄奈良駅前の啓林堂書店奈良店を皮切りに、全国の書店で販売されます。


左は編集委員の石田理事(一次チェックを1人で担当)、奥は豊田理事長(出版記念会4/26)

すでに朝日新聞奈良版(4月22日付)、毎日新聞奈良版(4月25日付)でお取り上げいただき、また私のコラム「明風清音」(奈良新聞4月24日付)および「奈良ものろーぐ」(奈良日日新聞4月26日付)でも紹介しました。他紙にも、これから順次掲載される予定です。これを機に、啓林堂書店奈良店では出版記念講話&ツアーが開催されます。要申し込みで、参加費は各回500円(資料代として)。同店のHPによりますと、


左から、京阪奈情報教育出版の住田幸一社長、担当編集者の加藤なほさん、私(同日)

お寺参りが楽しくなる 奈良百寺巡礼 出版記念イベント
NPO 法人奈良まほろばソムリエの会による3日間連続集中講話および興福寺境内ウォーキング
【日にち】 令和元年5月4日(土)・5日(日)・6日(月)
【場 所】 啓林堂書店奈良店 (近鉄奈良駅前)2階ギャラリー

5月4日(土) 13:30 ~ 15:00
【講  師】 専務理事 鉄田憲男
【参加費】 500 円
 講話「名著でたどる古寺~和辻・堀から白洲・司馬まで~」
 今年は和辻哲郎『古寺巡礼』の出版100周年の年。同書をはじめ堀辰雄『大和路』、白洲正子『十一面観音巡礼』、司馬遼太郎『街道をゆく』などを引用しながら、奈良の古刹・名刹を楽しく分かりやすく紹介いたします。


2018年11月15日(木)に開催された第1回編集委員会の様子

5月5日(日) 13:30 ~ 15:00
【講 師】 理事 石田一雄
【参加費】 500円
 講話「ロータスロードの4ヵ寺を訪ねる~西大寺、喜光寺、唐招提寺、薬師寺~」
 6 月はハスの季節。今年も6月7日(金)から8月18日(日)まで「西ノ京ロータス ロード~蓮とご朱印めぐりを楽しむ旅~」が開催されます。これに先がけて、各寺院 のあまり知られていないことも含めて紹介いたします。お寺参りのご参考に!


毎日新聞奈良版に掲載されました!

5月6日(月)
【講 師】 会員 山﨑愛子
【参加費】 500円
13:30 ~ 14:30
 講話「意外と知らない興福寺」
 昨年10 月、華やかに中金堂の落慶法要が行われた興福寺。奈良を代表する寺院ですが、その歴史、仏像や建造物など、意外と知られていません。屋内で興福寺についてお話したあと、興福寺境内を歩いてご案内いたします。
14:40 ~ 16:00
 興福寺境内ウォーキング(お堂を外から見学=順不同)北円堂・三重塔・南円堂・南大門・中金堂・五重塔・東金堂・菩提院大御堂 大湯屋・本坊・国宝館(現地解散)

【申込み】 啓林堂書店奈良店 Tel: 0742-20-8001
【主 催】 よもやーろ・京阪奈情報教育出版
 (お席には限りがありますので、申込制先着順定員40名様とさせていただきます)


皆さん、ぜひお申し込みください!

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現代に生きる『古事記』(「けいはんな市民雑学大学」第123回)

2019年04月28日 | 記紀・万葉
10連休初日の昨日(4/27)「第123回けいはんな市民雑学大学」(イオンモール高の原4階「こすもすホール」)で、「現代に生きる『古事記』」という講話をさせていただいた(14:00~15:45)。雑学大学で講師としてお招きいただいたのは、2009年7月の「奈良にうまいものあり!」(第15回)以来、実に10年ぶりである。

先着60人限定だったが13時過ぎからどんどん行列ができ、定員の60人を軽くオーバーし、約20人の方には入場していただけなかった(消防法の関係)。これはとても申し訳ないので急遽、当ブログで昨日の話の内容を紹介させていただくことにした。熟読いただければ、ほぼ全貌を分かっていただけると思う。100分以上の話だったのでやや長いが、ぜひ最後までお読みいただきたい。


この写真は、奈良まほろば館(東京・日本橋三越前)での「古事記講座」の様子(4/8)

現代に生きる『古事記』
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」専務理事 鉄田憲男

『古事記』は歴史的文学書であり、日本で現存最古の書物。現代では、古過ぎて関係ないと思うかも知れないが、決してそうではない。『古事記』を読めば、日本人の心情がよく分る。

『古事記』と『日本書紀』の違い
『古事記』の3巻に対して『日本書紀』は全30巻と系図が1巻ある。『古事記』は物語風の歴史書であり、『日本書紀』は中国風の正史。収録時期は、『古事記』は推古天皇までだが、『日本書紀』は持統天皇までの記録が残っている。

一番の違いは表記。どちらも漢字だが、『古事記』は変体漢文(いわば万葉仮名)なので日本人しか読めない。しかし『日本書紀』は正式な漢文体なので、中国人も読める。つまり『日本書紀』は海外向けに日本のことを伝えるための本で、『古事記』は日本の中で日本の物語を残す目的で作られた本である、という大きな違いがある。

『古事記』とは
稗田阿礼が誦習(しょうしゅう)、つまり節をつけて詠み上げたものを太安万侶が文章にしたのが『古事記』。原文は万葉仮名と同じ「変体漢文」。例えば「漂へる国」は「多陀用幣流之國」と表記してある。そして上巻(神代=神さまの世界)、中・下巻(人代=天皇ごとの出来事を記したもの)の3巻ある。いわゆる古事記神話の大部分は上巻に載っており、舞台は高天原(天上の国)や出雲。中巻には初代・神武天皇から応神天皇までの時代の内容で、大和が多く登場する。われわれ県民にとってはこの中巻が興味深い。下巻は仁徳天皇から推古天皇までで、比較的淡々と記述されている。

古事記ワールドのカテゴリ
『古事記』を語る場合、忘れてはいけないのが本居宣長の功績。彼は『古事記』の研究に一生を捧げた。難解な変体漢文などを解読した。今、われわれが普通に『古事記』が読めるのは、この人のおかげだ。西郷信綱著『古事記の世界』(岩波新書)には古事記ワールドの「カテゴリ」が端的に示されている。

『古事記』の世界は大きく分けて3つあり、1つめは「甲類」で、天(=聖地)。代表的な神はアマテラス(天照大神)など高天原の神である天津神(あまつかみ)で、土地でいうと日向や大和、伊勢。2つめが「乙類」で、この地上(葦原中国)、地の神である国津神(くにつかみ)。代表的な神はオホクニヌシ(大国主命)。土地でいうと出雲、熊野。3つめが「乙'類」であの世である「黄泉の国」「根の国」。これらの3つのカテゴリを頭に入れて読めば『古事記』がよく分かる。天津神(天神)が地上に降臨し、地の神(国津神=地祇)を征服する話だ。よく「天神地祇」というが、これは天津神と国津神の総称。

『古事記』の著名なストーリー
古事記には著名なストーリーが12本ある。①天地初発とイザナキ・イザナミの国生み②イザナキの黄泉の国訪問③アマテラスの天の岩屋戸ごもり④ヤマタノオロチ退治(スサノオ)⑤オホクニヌシの国づくり⑥国譲り(オホクニヌシ)⑦天孫降臨(ニニギ)⑧神武東征(イハレビコ)⑨三輪山の神(オホタタネコ)⑩ヤマトタケルの西征と東伐⑪狭穂彦王(サホヒコノミコ)の叛乱⑫衣通姫(ソトオリヒメ)伝説。

イザナキの黄泉の国訪問
代表的なのが『イザナキの黄泉の国訪問』。イザナミは最後に火の神様(カグツチ)を生む。燃えて出てきたのでイザナミは火傷をして死んでしまう。死んだイザナミを取り戻そうと夫のイザナキが黄泉の国に行く。しかし黄泉の国に行ったイザナミはすでに体から蛆(うじ)が湧くような無残な姿に変わり果てていた。びっくりしたイザナキは地上の世界に逃げ帰り、黄泉の国と地上(葦原中国)を繋ぐ場所を大きな岩で蓋をした。この場所が現在も松江市東出雲町に「黄泉比良坂(よもつひらさか)」として今も残っている。

神武東征(東遷)
そして『神武東征』。神々の系譜は、イザナキとイザナミの子がアマテラス(天照大神)。その孫がニニギノミコト。アマテラスの孫だから「天孫」と覚えてほしい。アマテラスから5代目の直系の子孫がイハレビコ(のちの神武天皇)。イハレビコノミコトは兄のイツセノミコトと一緒に高千穂の宮で相談した。「この地は日本の国土からすれば西の外れだ。国の中心にある大和という素晴らしい場所に行き、この国を治めよう」とした話が『神武東征』。

ヤタガラスの案内により吉野川の河尻(今の五條市)を経て宇陀の穿(うかち)という地に着く。ここには兄宇迦斯(えうかし)と弟宇迦斯(おとうかし)という兄弟がいた。兄弟の意見が異なり、兄は神武を殺そうと考え、弟は神武に服従する考えだった。兄は大きな宮殿を建てそこに罠を仕掛けたが、弟の密告でそれが露見し、兄は自らその罠にかかり命を落とした。以来、この地を「血原(ちはら)」と呼び、現在もその地名が残る。宇陀では地元を守ろうと戦った兄がヒーローで、弟が悪者になっている。古事記とは真逆なのが興味深い。



ヤマトタケルの西征と東伐
そして『ヤマトタケルの西征と東伐』。景行天皇の皇子・ヤマトタケルは乱暴者だった。あまりにも乱暴なので天皇は息子に殺されるのでは、と恐れ西征を命じる。そして九州のクマソタケル、出雲のイズモタケルを征伐。平定後、大和に戻るが天皇はすぐに東伐を命じた。

関東平定後に大和に帰る途中、刀を置いたまま伊吹山の神の平定に向かうが負けてしまう。そして能煩野(のぼの・亀山市)で力尽きて亡くなった。亡くなる直前に詠んだ歌が『古事記』に出てくる「倭(やまと)は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭しうるはし』。めでたい歌(賛歌)ではなく、辞世の歌。ヤマトタケルは悲劇のヒーローであり、『古事記』で最も人気がある。



現代に生きる『古事記』
古事記を読めば、いろんなことが分かる、特に語源。「案山子(かかし)」は実は神さま。クエビコという知恵の神でその正体が案山子だ。案山子は同じ場所にずっと居るので、その場所の歴史や地理など全てを知り尽くした知恵の神。もちろん農業の神であり田畑の神でもある。また「禊(みそぎ)」、「橘(たちばな)」、「へそくり」などの語源も古事記に出てくる。

奈良市に「ウワナベ古墳」「コナベ古墳」がある。『古事記』に、ウワナリ、コナミという名前が登場する。昔は一夫多妻制で若い奥さんを「ウワナリ」、古女房を「コナミ」と呼んだ。いくさで勝った時の戯(ざ)れ歌である久米歌(くめうた)に「コナミには肉の少ないところ、ウワナリには多いところを削いでやれ」とある。「ウワナベ古墳」「コナベ古墳」の被葬者は不明だが、新妻と古妻にたとえたのが名前の由来だと分かる。


日本で最も古い和歌は、スサノオの「八雲立つ 出雲八重垣(やえがき)妻籠(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を」。スサノオはヤマタノオロチを退治して助けた女性を結婚相手として迎えた。これはそのときの歌。

現代人は「『古事記』は古過ぎて、今の自分とは関係ない」とつい思ってしまうが、決してそうではない。『古事記』を読めば日本人の心が分る。もちろん神さまのこともよく分かる。学校でも教えるべきだ。ぜひこの機会にお読みいただき、県内にある『古事記』ゆかりの地も訪ねていただきたい。


ざっとこのような話をさせていただいた。『古事記』をもっと勉強したい方には、学研パブリッシングの『古事記 完全講義』(竹田恒泰著)をお薦めする。ご参加いただいた皆さん、お世話いただいた雑学大学事務局の皆さん、ありがとうございました!

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有楽町・カレーの店 マーブル

2019年04月27日 | グルメガイド
4月12日(金)、朝から打合せのため有楽町ビルを訪れた。打合せが終わると、ちょうどランチタイムになった。同行していただいた東京人のN顧問(南都銀行東京支店にご勤務)に「この地下に美味しいカレーの店がありますよ」とお連れいただいたのが「カレーの店 マーブル」(千代田区有楽町1-10-1 有楽町ビルB1)だ。


正午前だったが、すでに行列ができていた。

大阪市内にも、カレーの店が多い。忙しいサラリーマンのランチタイムには、早く出てきて早く食べられるカレーライスが好まれるのだろう。N顧問のお薦めは「インドカレー」税別850円。山形県・平田牧場の三元豚(平牧三元豚)を使っているという。



まずはひと口。おおっ、これはうまい!大ぶりの豚肉がトロトロに煮込まれている。辛さもちょうど良い。キャベツがたくさん載っているのも有り難い。

奈良にはカレーの店は少なく、ついつい「カレーハウス CoCo壱番屋」に足が向いてしまうが、このような老舗名店のあるところが東京の強みである。上京の折には、ぜひお試しを。N顧問、ご紹介ありがとうございました!

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新橋の今朝(いまあさ)で、松阪肉のすき焼きを堪能!

2019年04月26日 | グルメガイド
5日間の連続講演会の4日目(4/11)、ランチタイムに新橋の「すき焼 今朝」(東京都港区東新橋1-1-21 今朝ビル2階)を訪ねた。ここは学生時代に訪ねたことがある。今も書棚に並べてある文藝春秋社編『新・東京いい店うまい店』(昭和52年5月5日刊の改訂新版 第2刷)の目次の「今朝」のところに「優」と鉛筆書きしてあるから、よほど気に入ったのだろう。







同書の評価も、味、値段、サービスともに5つ星だ。当時は「新橋駅前ビル1号館」にあったようだが、今は近くの自社ビルに移っていた。この日は「お昼のすき焼定食」税込2,700円をいただいた。ぴあMOOK『東京老舗名店』(2017年9月10日発行)によると、


見事な松阪肉がたっぷりと載る。これで1人前(税込2,700円)なのだ!

秘伝の割下で食す松阪牛の芸術品
永井荷風や獅子文六などの作品にも登場する名店。明治初期、すき焼きは味噌仕立てが一般的だったが、「今朝」では創業時から醤油仕立ての割下を使い、現代に通じる味を作り出した。




板前が包丁で手切りする松阪牛は、厚さわずか1mmというまさに肉の芸術品。神業ともいうべきこの手仕事により、牛肉に秘伝の割下がよくなじむという。ソムリエの資格を持つ五代目おすすめのワインと究極のすき焼きのマリアージュを楽しみたい。


レジ横に五代目社長・藤森朗(あきら)さんの姿が。50歳代半ばのようで、ヒゲがよく似合う

最初は仲居さんが焼いてくれ、途中から自分で焼くというシステムだ。ご飯はお代わり自由だったので、たっぷり2杯いただいた。前日のウナギといい、このすき焼きといい、バテ気味の体にパワーを充電するのにはうってつけだった。

皆さん、上京の折はぜひ新橋駅前「今朝」で松阪牛のすき焼きを!
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