tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

見事な朝引き鶏が続々! 近鉄富雄駅南の焼鳥 福籠(ふくろう)

2022年06月30日 | グルメガイド
5月に出たばかりの『ミシュランガイド奈良2022』をぱらぱらとめくっていると、焼鳥屋が2軒、掲載されていた。「おお、ミシュランも県内の焼鳥屋に目配りしてくれるようになったのか」と嬉しくなった。1軒目の「望月」(JR奈良駅から徒歩5分)は、何度か訪ね、当ブログでも紹介した。もう1軒は近鉄富雄駅南口スグの「福籠(ふくろう)」(奈良市富雄元町2-6-47 ライオンズプラザ北棟2F)だった。ビブグルマンにも選ばれているが、私は未訪問だった。


これら3枚の店内の写真のみ、お店の公式HPから拝借した

「あと1軒、近鉄竜田川駅前の鳥喜久(とりきく)も載せてほしかったなぁ」と思いつつ、まずは未訪問の福籠にお邪魔することにした。お店の公式HPを開くと、ここで予約できる仕組みだったので、早速予約を入れた。料理としては「福籠のおすすめコース」(税込み5,500円、以下同じ)が選べたので、こちらも予約しておいた。訪ねたのは火曜日(2022.6.28)だった。



「ライオンズプラザ北棟」は聞き覚えがなかったが何のことはない、近鉄富雄駅の南側にある「餃子の王将」の2階だった。この前はよく通るし、餃子の王将もよく利用する。駅からは徒歩4~5分くらいだ。お店に入ると、若い女性がカウンターの一番奥の席に案内してくださった。大きな窓からは格子を通して、柔らかい夕方の日ざしが差し込んでくる。ミシュランガイドには、



焼き場に立つ兄と、仕込みに徹する弟の二人三脚。やわらかく脂のりの良い銘柄鶏を、紀州備長炭で焼く。食べ手に応じて脂の落とし方を変え、老若男女が楽しめる焼鳥を心掛けている。「きも」や「こころ」といった内臓の鮮度が良いのは朝引き鶏のため。兄弟の絆による、焼きと串打ちの連携が生きる。


まずは新鮮な「朝引き鶏のお造り盛り合わせ」とお通し(大根おろし)、トップ写真も同じ
皿の両端は生醤油、中央はごま油のタレ。肝はごま油のタレでいただいた

さすがにミシュランは、的確に表現する。この日、カウンター内には若い男性と女性が入っていた。男性に「今日はご兄弟ではないのですか?」とうかがうと、「今日はオーナーの兄が不在ですので、弟の私が焼きます」とのことだった。女性のサーブもとても丁寧で、好感が持てる。


赤鶏のタタキ。ワサビがとてもよく利いていた!


砂ずりも柔らかい

「福籠とは、面白いネーミングですね」「窓の格子を籠に見立てているのと、フクロウは不苦労で、縁起の良い鳥とされていますので」。なるほど。


ナスの煮びたし

お造りの新鮮さと美味しさには驚いた。続いて「本日の逸品」(小鉢3種)と「本日のおすすめの串焼き」(6種)が登場。串は1本ずつなので、お腹にもやさしい。


モモは自家製の生七味でいただく


ササミはネギをまとって登場した

次に出てきたのは、皮。皮には肉身がたくさんくっついていて、これは初体験。「でーじ、まーさん」(とても美味しい)!


肉身のついた皮。食べ応えあり!

ここで串を追加注文。お客さんが少ないうちに数量限定の「稀少部位」を注文するという戦略に出たのだ。この日の稀少部位は3種類で、肩肉(あっさりジューシー)330円、そり(ソリレス)363円、皮付きフィレ363円だ。これらをすべて注文した。


これは皮付きフィレ363円かな


そり(ソリレス)363円。ソリレスとはフランス語で、
モモ肉の付け根の部分。歯ごたえがあって美味しい!


これは肩肉(あっさりジューシー)330円だと思う


これも珍しい、肉付きナンコツ


追加で肝をレアで焼いてもらった(308円)。トロットロッでうまいっ!


焼きナス


冷や奴。シッカリと大豆の味がする

コースの締めは6種類から選べた。①自家製の醤油麹で食べる卵かけごはん②特製ダレの焼きおにぎり(1個)③お茶づけ(梅またはわさび)④地鶏のスープ(鶏とこだわり野菜のブイヨン)⑤きゅうりの浅漬け⑥伊勢赤鶏の漬(ヅケ)丼(お出汁付き)+110円。私は+110円でヅケ丼を注文した。



これは締めを飾るにふさわしい逸品だった!やや大きめのご飯茶碗に、ご飯とたっぷりのお造り(少し醤油がかかっている)。これを半分食べたところでダシ汁(少し塩を利かせてある)を投入してお茶漬けにするのだ。こんな食べ方は初めてだったが、実にうまい!



デザートはバニラシャーベットまたはりんごシャーベット、わたしはりんごにした。りんごの香りが際立つ。

お造りから串焼き、小鉢もの、そして締めのツケ丼まで、すべてが新鮮ですべてが美味しくヘルシーで、またサプライズの連続だった。ご店主、ごちそうさまでした。またお邪魔いたします。皆さんも、ぜひ!
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田中利典師の『吉野薫風抄』白馬社刊(7)/「自性清浄心」(心は本来、清浄である)

2022年06月29日 | 田中利典師曰く
田中利典師の処女作にして最高傑作という『吉野薫風抄 修験道に想う』(白馬社刊)を、師ご自身の抜粋により紹介するというぜいたくなシリーズ。第7回の今回は「仏法に生きる」。

利典師は詩人・坂村真民(さかむら・しんみん)さんの詩を紹介され、真民さんの詩に感動する心から「自性清浄心」という仏の教えを説かれる。では師のFacebook(4/28付)から、全文を紹介する。
※トップ写真は、吉野山上千本付近で撮影した吉野山の桜(2022.4.11)。

シリーズ吉野薫風抄⑦/「仏法に生きる」
自分のホントの心を偽って生きているのではないだろうかと、ふっと思う時がある。例えば腹立ちまぎれにどなったりして、そんな自分を虚しく思い、悪しき人などを口ぎたなくののしってそんな自分を哀れに思い、他人に親切に出来なくてそんな自分を悲しく思う。

心のままに生きているからこそ、怒ったり悪口一言ったりするんじゃないかと言われそうだけれど、本当にそうなのだろうか。人間の心って、元々はもっと清いんじゃないだろうか。だからこそ、そんなふうな時に、自分を虚しく思ったり、哀れに思ったり、悲しく思ったりするんじゃないだろうか、などと考えている。

私は詩人、坂村真民(さかむら・しんみん)さんの詩が好きだ。その真民さんの詩を紹介しよう。

「二度とない人生だから」
  一輸の花にも無限の愛をそそいでゆこう
  一羽の鳥の声にも無心の耳をかたむけてゆこう
  二度とない人生だから一匹のこおろぎでも
  ふみころさないようにこころしてゆこう
  どんなにかよろこぶことだろう
  二度とない人生だから
  つゆくさのつゆにもめぐりあいのふしぎを思い
  足をとどめてみつめてゆこう
  二度とない人生だからのぼる日しずむ日
  まるい月かけてゆく月四季それぞれの
  星々の光にふれてわがこころをあらいきよめてゆこう

「一輸の花のごとく」
  わが生よ一輪の花のごとく一心であれ
  わが死よ一輸の花のごとく一切であれ

「無心」
  一せいに咲き一せいに散る白木蓮の花
  咲くも無心散るも無心

「花」
  何が一番いい
  花が一番いい
  花のどこがいいか
  信じて咲くのがいい

真民さんの詩に接していると、本当の自分の清い心がビンビンと感応する、そんな気がしてくる。どうです、そんな心持ちになりませんか。仏教の教義書には「本来自性清浄心」とか、「一切衆生悉有仏性」などと難解な表現でもって、人聞には本来的に仏となる可能性、清らかな心、仏の種が備っているだと説かれているが、これをわが身に鑑みて理解することは容易ではない。

しかし美しい心で美しく詩(うた)う清らかな言葉に感動する心を、仏心と呼んでかまわないとしたら、仏の教えはより身近なものになるにちがいない。真民さんの詩に感動する心と、自らの浅ましい行為に嫌悪する心は、実は根の所が一つなのであろう。それを仏は自性清浄心と呼ぶのである。

普段の生活では現れることの少なき真の自分がそこにある。だからこそ偽りなく生きねばならないのだ。仏法に生きるとは実はそういうことを言うのではあるまいか。

**************

これも若書きならではの青臭さがにじみ出ています(笑)。でもなんだかいまより、格段と純粋だなあと読み返しました。それにしても、真民さんの詩は歳をいき越すほどになお、心に沁みます。
◇◇
私の処女作『吉野薫風抄』は平成4年に金峯山時報社から上梓され、平成15年に白馬社から改定新装版が再版、また令和元年には電子版「修験道あるがままに シリーズ」(特定非営利活動法人ハーモニーライフ出版部)として電子書籍化されています。「祈りのシリーズ」の第3弾は、本著の中から紹介しています。Amazonにて修験道あるがままに シリーズ〈電子版〉を検索いただければ、Kindle版が無料で読めます。
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神功皇后を祭る畝火山口神社/毎日新聞「やまとの神さま」第10回

2022年06月28日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2022.6.23)掲載されたのは〈山頂に移転し、また下り/畝火山口神社(橿原市)〉、執筆されたのは当会会員で今井町町並み保存会相談役の若林稔(梅香)さんだ。
※トップ写真は、畝傍山の懐に抱かれた畝火山口神社の拝殿=橿原市大谷町で

ご執筆前、この神社について若林さんからは興味深いお話をたくさんお聞きしていたが、紙面ではずいぶんきれいに刈り込まれていた。もったいないので、刈り取られた話を紹介すると、以下の通りとなる。

1.代々宮司を務める大谷家のご先祖は武内宿禰(たけのうちのすくね)である。
『髙市郡神社誌』にも〈大谷家 畝火山口神社神職 大谷家は武内宿禰より出づ、文治二年(1186年)其の末葉大谷源右衛門景之始めて 畝火山口神社の神主となる〉とある。

2.神功皇后が皇子(のちの応神天皇)を出産されたのは、三韓征伐に出発する前だった。
『日本書紀』には帰国してから筑紫で出産したとあるが、畝火山口神社の社伝「神功皇后皇子御誕生」によると〈第十四代仲哀天皇の后(きさき)神功皇后は、天皇に代わり三韓征伐に出発する事になりました。畝傍山で無事に皇子を出産された皇后は、生まれて間もない皇子を武ノ内宿禰にあずけて、髪を鬟(みずら)に結い、勇ましい出で立ちで出陣していかれました〉。これにちなんで畝火山口神社は安産の神さま・お峯山(むねやま)と呼ばれ、戌の日には多くの人が腹帯を授かる。

3.畝火山口神社が畝傍山山頂から現在地に移されたのは、神威を穢(けが)すから。
昭和15年の紀元2600年祭のとき、東麓の神武天皇陵を見下ろすことは神威を穢すとされ、西麓に移された


前置きが長くなった。では掲載された記事全文を紹介する。

畝火山口神社(橿原市)
「お峯山(むねやま)」とも呼ばれている神社の創始は明らかではありませんが、806(大同元)年の「新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)」に名が初めて登場し、これ以前の創建とされます。平安時代の「延喜式神名帳(じんみょうちょう)」では式内大社に登載されました。

江戸時代に刊行された「大和名所図会(ずえ)」には「昔山麓(さんろく)にあり、今山頂に移す」とあって、室町時代後期に畝傍山西側山麓から山頂に移されました。約400年たった1940(昭和15)年の皇紀2600年祭で、東麓の神武天皇陵を見下ろす場所は好ましくないと、再度西麓に移されました。

毎年7月28日の夏季大祭はデンデンデンソソと打つ太鼓の音から「でんそそ祭り」と呼ばれ、大淀町の吉野川から汲(く)んできたご神水が神前に供えられ、境内は浴衣姿などでの参詣者で賑います。「夏痩(や)せする子には綿入れの着物を着せてお参りしたらご利益がある」などの言い伝えもあります。

「日本書紀」によると、祭神の気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功(じんぐう)皇后)は、古代の朝鮮出兵の際、応神天皇を出産。このため「安産の守り神」とされ、戌(いぬ)の日に腹帯を求める人たちが訪れます。大阪の住吉大社から神官が2月と11月の年2回、神社を訪れ、畝傍山山頂で埴土(はにつち)を採取する「埴取り」神事も有名です。(奈良まほろばソムリエ会会員 若林稔)

(住所)橿原市大谷町157の1
(祭神)気長足姫命、豊受比売命(とようけひめのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)
(交通)近鉄橿原神宮西口駅から徒歩約15分
(拝観)境内自由
(駐車場)有(17台)
(電話)0744・22・4960


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満足、満腹!猿沢池畔のお好み焼き パルコ

2022年06月27日 | グルメガイド
もと会社の同僚だった西本英明さん(税理士・公認会計士)から、「パルコ」(奈良市鶴福院町1-1)というお好み焼き屋さんを紹介していただいた。猿沢池のほとり、ホテル尾花の向かいという好立地だ。もとの勤務先には近いが通勤経路からは外れていたので、私は未訪問だった。暑い日には、やはりお好み焼きと生ビールだ(2022.6.26 17:00訪問)。


大きな建物だ。2階にお住まいなのだろうか



パルコ(Parco)はイタリア語で公園(英語のPark)の意味。奈良公園の一角なので、この名前をつけたのだろう。店内は清潔で広々としていて、お好み焼き屋さんにありがちなギトギト感は全くない。天井も高い。5卓ほどのテーブルと、小さなカウンター(5席ほど)がある。私は2人がけのテーブル席に座った。若いご夫婦が切り盛りされていて、お父さんとおぼしき男性の姿もあった。このお店は「奈良グルメ図鑑」にも紹介されていた。


店頭にメニューが紹介されている


おお生ビール、2杯目からは税込み300円!結局私は2杯いただいた

ならまちセンターの真ん前、ログハウス風のしゃれたデザインの外観。お好み焼きは店主が焼いて、客席の鉄板にサーブされる方式。写真は基本の豚玉。ふっくらとやわらかく焼き上げる。写真後ろはしょうゆラーメンをイメージした炒麺。ごま油がきいた味付け。トリップアドバイザーでエクセレンス認証を受け、外国人の訪問も多く、英語付き、写真入りのメニューも置いてある。


特注のキムチはわずか200円!

<その他のメニュー>お好み焼き、焼きそば、とんぺい焼などオーソドックスなメニュー構成にイタリアンなどのオリジナルメニューも。トッピングの種類は豊富なので、こちらで好みの味にしていくのもいい。


ちょうどいいボリュームのポテトフライ

まずは生ビール(中)を注文。酒の肴になりそうなメニューを探したが、枝豆はどこでも食べられるし、鶏から揚げは重いし…。「このトッピングのキムチ、単品でいただけませんか?」とお願いした。「キムチ」はわずか200円(税込み、以下同じ)。次に「ポテトフライ」430円。


こんなカラフルなとん平焼きが出てきた!ケチャップもマヨネーズもいい

次にボリュームを確認してから「とんぺい焼き」770円を注文。手頃な分量で、底には炒めたもやしが敷いてあった。締めはお好み焼きの「ミックス焼き」1,460円。ホタテ、エビ、イカ、豚肉など、具だくさんのお好み焼きで、この日の締めを飾るのにはピッタリの味とボリュームだった。


ホタテ、エビ、イカ、豚肉などがたっぷり、マヨネーズの模様もお見事!

ああ、美味しかった。次回はお好み焼きの「モチ、チーズ辛子明太子のイタリアン」1,230円、「手作り餃子」560円などにチャレンジし、ここにワインを合わせてみたい。西本さん、良いお店を紹介していただき、ありがとうございました!
※お店の公式インスタグラムは、こちら。食べログは、こちら
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雪丸は、奈良県で最強のゆるキャラです!

2022年06月26日 | 観光にまつわるエトセトラ


南都銀行の社内報「なんと」298号(2022年春号)の巻頭言で、王寺町のキャラクター「雪丸」が紹介されていた。2013年(平成25年)に誕生した雪丸は、今や奈良県で最強のゆるキャラに成長した。その歴史や背景について、王寺町文化財学芸員の岡島永昌さんが詳しく紹介されている。知れば知るほど、大したキャラクターである。以下、全文を貼っておく。
※トップ動画は「大和川に鯉のぼりが舞う!~雪丸ドローンと鯉のぼり~」(制作=王寺町)

雪丸は最強のキャラクター
執筆者:王寺町役場 地域交流課文化資源活用係
    係長・文化財学芸員 岡島永昌(おかじま・えいしょう) さん


雪丸。奈良県でこの名前を聞いて、王寺町のキャラクターを思い浮かべない人は、ほとんどいないのではないでしょうか。全国的な知名度はまだまだですが、平成25年に誕生したキャラクターが10年もたたないうちにここまで成長してくれたことを、とてもうれしく思っています。

キャラクターの雪丸が人気を博した背景には、三つの要件があると考えています。一つ目が、雪丸はペットの代表的動物といえる犬であること、二つ目が、日本で最も著名な歴史上の人物である聖徳太子が関係していること、そして三つ目が、雪丸に歴史的な物語がともなっていることです。

王寺町の達磨寺には、雪丸の石造物がお祀(まつ)りされています。所蔵される古記録「達磨寺略記」によれば、境内の北東角に犬塚があり、それは聖徳太子が飼っていた犬の墓で、名を雪丸と言い、人の言葉を理解し、お経を読み、亡くなる際に「自分が死ねば、達磨の墓の丑寅(北東)に葬るように」遺言したといいます。

達磨の墓とは、今も達磨寺本堂下にある古墳(達磨寺3号墳)のことで、聖徳太子が助けたものの亡くなった飢人(のちに達磨大師の化身とされる)が葬られているとされています。今もその北東に別の古墳(達磨寺1号墳)があり、それが犬塚、つまり遺言に基づいて埋葬された雪丸の墓だと考えられ、その前に雪丸の石造物がお祀りされるようになったと思われます。

石造雪丸像は、江戸時代の寛政3年(1791)に出版された『大和名所図会』の挿絵にすでに描かれているので、230年以上の歴史があることになります。

今、王寺町は雪丸で埋め尽くされているといっても言い過ぎではありません。駅前など町内の要所には雪丸のフィギュアが置かれ、王寺駅から達磨寺までは道路に足跡が示された「雪丸ロード」が続いています。町内のバス停標識には雪丸が描かれ、ゴミ収集車にも雪丸がラッピングされ、道路への飛び出し注意を促すあの看板も坊やではなくて雪丸。

1年生がランドセルに着ける反射材にも雪丸の顔が大きくデザインされています。多くの人がキャラクターの雪丸を自然と受け入れているのは、それがまったく想像(創造)の所産ではなく、数百年にわたって地域で伝えられてきた歴史物語がともなっているからだと思うのです。

王寺町では、昨年から雪丸の他にもう一つ、歴史物語をベースにした催しを始めました。その名も「全国だるまさんがころんだ選手権大会」。達磨寺は聖徳太子が達磨大師(飢人)と出会い、助けたと伝承される地に建立されています。『日本書紀』などによれば、太子が出会ったとき、飢えた達磨大師は道に臥せって倒れて(転んで)いました。

言うなれば、王寺町は日本で初めて“達磨さんが転んだ”地であり、このことから誰もが子どものころに遊んだことのある「だるまさんがころんだ」をチーム競技にアレンジして、全国大会を開催することにしたのです。

実際、昨年11月20日に第1回大会を行いました。コロナ禍のため参加選手を奈良県在住者に限定した「全国大会」となりましたが、多くの応援・観覧者もあって大変な盛り上がりを見せました。選手権大会のイメージキャラクターにしたのも、だるまを被った雪丸の「だるころくん」です。第2回大会は参加チームを増やし、文字どおり全国から選手を募って開催する予定です。

王寺町にとって雪丸は最強のキャラクターで、もはやプロモーションに欠くことのできない存在です。歴史物語をともなう雪丸とともに、ますます活気ある町にしたいと思います。




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