tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中淳夫著『虚構の森』新泉社刊/森林を正しく知って、正しく考えよう!

2022年02月28日 | 明風清音(奈良新聞)
奈良新聞「明風清音」欄に月1回程度、寄稿している。今月(2022.2.17付)掲載されたのは〈「森林」常識のウソ〉、田中淳夫さんの最近著『虚構の森』(新泉社刊)のレビューである。この本はまさに「巻(かん)を措(お)く能(あた)わず」、1泊2日の東京出張中に一気に読み終えた。本稿掲載日の翌日、田中さんのブログに「奈良新聞に『虚構の森』評」としてご紹介いただいた。

そこには〈この奈良新聞の記事を読んで、なるほど、こういう点に驚いてくれているんだな、おや私がつまんないと思って書いたところを引用しているよ(^^;)とか、ここに引っかかったか!と……私もいろいろ考えてしまう。今後の参考にさせていただこう。驚きの感覚、センスオブワンダーが大切だなあ、と改めて思ったのである〉とお書きいただき、光栄至極である。では、記事全文を以下に紹介する。

「森林」常識のウソ
この本を読んで、目からウロコが落ちた。日本で唯一の森林ジャーナリスト田中淳夫氏の最新刊『虚構の森』新泉社刊(税込み2200円)だ。

本書カバーには〈地球温暖化とCO₂排出量は関係ない、いやある! 緑のダムがあれば洪水や山崩れは防げる、いや防げない! などなど、環境問題に関しては異論だらけで、果たして何が正解かわかりません。地球環境を巡る常識に対して異議を申し立て、不都合な真実を明らかにしました〉。以下、本書の内容を抜粋する。

▼世界の森林は増えている
2018年8月に公表された「ネイチャー」論文によると、〈地球上で植物に覆われている土地面積を1982年と2016年を比べたところ、大幅に拡大していた。(中略)35年間に樹冠被覆地、つまり森林が7%も増えていた。面積にして224万平方キロメートルにも達する〉。これは、日本の国土の6倍以上という巨大な面積になる。 

森林の増えた主な要因は、
①中国やインドで大規模な植林が推進されたこと。
②地球温暖化とCO₂濃度の上昇で、植物の生長が良くなったこと。

▼森林はCO₂を吸収しない
〈森は二酸化炭素を吸収して酸素を放出する一方で、出した酸素を再び吸収して二酸化炭素を排出するから差し引きゼロになる〉。森には菌類(キノコやカビなど)が生息する。菌類は光合成をせず、落ち葉や枯れた植物などの有機物を分解しCO₂を排出する。菌類の排出するCO₂は植物が光合成で吸収するCO₂に匹敵する。だから森全体では、CO₂と酸素の差し引きはプラスマイナスゼロになるのだ。

▼森は水を消費して減らす
これも驚きの真実だ。〈森は水を増やさない。むしろ消費して減らすのだ。水源の森の地下に水はたいしてない。これは異説というより学界の定説と言ってよい。(中略)なぜ森は水を減らすか。それは、森が植物のほか動物や菌類など生き物の集合体だからだ。生物は、生きていくのに水が欠かせない。常に水を消費する。わかりやすいのは、光合成だろう。これは水を分解する化学反応でもある〉。

▼橿原神宮と神武陵の森比較 
〈橿原神宮の森は、主にカシの大木が立ち並んでいるが、その下に中低層の植生がない。地面にも草はあまり生えていない。林床は薄暗いが、遠くまで見通せる。一方、御陵の森には、地表の草から大木までさまざまな木々・草が階層をつくって生えていて、見通しは悪く地面も見えないほどだ〉。紀元2600年祭(昭和15年)を迎えるにあたり、どちらも「万葉の森」をめざした。

〈神宮は、最初に植えたカシなど照葉樹が大木になったものの、その下に草木が生えていない。おそらく照葉樹が大きく樹冠を広げたため地表が暗くなり、後継樹が生えなくなったのだろう。(中略)御陵は最初こそカシなども植えたが、献木などによる大規模な植林はせず、また基本的に立入禁止である。そのため畝傍山などから種子が飛んでくることもあって、自然植生に近くなったのだろう〉。

▼照葉樹林が本物の植生か
このように〈人が、最終的な植生の姿を最初からつくろうとそれらの樹種を植えても、それに合った生態系を築けず、いびつになってしまう。むしろ自然の遷移に任せた方が最終的に落ち着いた森を成立させる。(中略)「照葉樹林こそ本物の森」という主張は滑稽だ。森に本物も偽物もない。植物は土地の環境条件にもっとも適したものが生える。そして時とともに移り変わる。その過程で植生は変化する〉。

いかがだろう。固定観念にしばられず、幅広く情報を集めて判断することの大切さを痛感されたのではないだろうか。ご一読をお薦めしたい。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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田中利典師の『体を使って心をおさめる 修験道入門』集英社新書(1)/「ナマ山伏を見るのは始めて!」

2022年02月27日 | 田中利典師曰く
田中利典師は、師の名著『体を使って心をおさめる 修験道入門』(集英社新書)の内容を抜粋して、ご自身のFacebookに紹介されている。本書は私も何度も読み返し、講演などでも紹介させていただいている。良い復習になるので、当ブログでも順次、紹介させていただく。
※トップ写真は師と息子(三男)さん。今は高2だそうだが、このときは保育園児だったとか

初回は1/26付の師のFacebookから。私は先月(2022.1.30)東京・新橋の奈良まほろば館で、役行者などに関する30分ほどのミニセミナーをする機会に恵まれた。PowerPointの表紙の写真は、毎年11月第2日曜日に吉祥草寺(御所市)で営まれる大護摩供と山伏行列の写真を紹介し、「皆さん、山伏をご覧になったことはありますか?」と聞くと、30人以上のご参加者の誰も手を挙げなかった。

これには私も驚いた。確かに葛城とか吉野ならともかく、東京では歌舞伎の「勧進帳」以外では出くわすことはないのだ。利典師も「山伏とは、いわばオオサンショウウオのような、天然記念物というか絶滅危惧種のようなもの」と述懐されている。では、記事全文を紹介する。

シリーズ「修験道のお話」
拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門』(集英社新書)は7年前に上梓されました。一昨年、なんとか重版にもなりました。「祈りのシリーズ」の第2弾は、本著の中から、「修験道」をテーマに、不定期にですが、いくつかの内容を紹介いたします。よろしければご覧下さい。 

************ 

「山伏ってなに?」
あるシンポジウムで、著名な女優さんとご一緒する機会がありました。私はゆえあって山伏の装束で出演したのですが、その女優さんに、突然、抱きつかれてしまいました。「生山伏を見るのは初めて!」って(笑)

どうやらとても珍しい山伏を目の前にでき、その女優さんは感激したようなのです。彼女にとって「山伏」とはいわばオオサンショウウオのような、天然記念物というか絶滅危惧種のようなものだったのかもしれません。

とにかく一般の人にとって山伏を見るのはめずらしいことでしょう。せいぜい歌舞伎の『勧進帳』とか能や狂言の舞台ぐらいでしか、まじかで見る機会はないと思います。

「かつてはたくさんいた山伏」
私たち山伏からすれば、山修行に入るときにはつねにこういうスタイルですから、みなさんに驚かれることに、当惑してしまいます。しかしどうして、かくも山伏がめずらしいのでしょうか。じつは、かつて山伏はあちこちにいたのです。

山伏というものは、けっしてめずらしいものではありませんでした。いや、それどころか、人々の暮らしの中でお祭りごとや加持祈祷(どうぞお守りください、お助けくださいとお願いする儀礼や、病気治し・憑きもの落としなど)などを行う存在として、身近に親しまれる存在だったのです。

でもある時から、山伏は激減し、姿を消してしまいました。それは、明治になってからのことです。明治政府が山伏を根絶やしにしてしまう施策を打ち出したからです。一八六八(明治元)年に施行された「神仏分離令」や、一八七二(明治五)年に発令された「修験道廃止令」などによって、それまで全国に数多くいた山伏は姿を消してしまいました。

やがて市井の人々が山伏の姿を見ることはなくなり、オーバーにいえば、天然記念物のごとき希少な存在になっていきました。その経緯については、このあと詳しく解説しています。
*写真は豆山伏と私(古い写真です(😣))
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田中利典師の『よく生き、よく死ぬための仏教入門』扶桑社新書(6)「死に習う」

2022年02月25日 | 田中利典師曰く
田中利典師の名著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』(扶桑社新書)を振り返るシリーズの6回目、これが最終回となりました。師のFacebook(1/19付)から、抜粋させていただきます。

シリーズ最終稿「在家仏教のすすめ/死に習う」
拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』は4年前に上梓されました。もう書店では置いてないですが、金峯山寺にはまだ置いています。本著の中から、しばし、いくつかのテーマで、私が言いたかったことを紹介してきました。本日はその最終章。よろしければご覧下さい。

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「生と死・聖と俗は表裏一体。優婆塞のすすめ」
私の師である五條順教猊下の座右の銘で、よくお説きになった言葉が「死に習う」です。修験については後述しますが。修験の修行は死と隣り合わせです。「大峯山裏行場平等岩」や「前鬼山天の二十八宿」などの行場は、一般の方なら足元がすくむような道を命綱なしでよじ登ったり、断崖絶壁に人の支えだけで身を乗り出したりもします。

必然的に死を意識しますし、同時に、その死を通して、自分が生きているありがたさ、喜びを実感もできるのです。また自分の命をいわば相手に全面的に委ねることで、人と人とのつながりの大切さも体にしみこませることができ、おのれの小ささを実感し、人智を超えたものへの感謝と一体感を感じることもできます。

仏教には、教理仏教という側面と生活仏教という側面とがあると思います。2500年前にお釈迦さまがお説きになった仏教の教え、それをもとにして、仏教は現代に伝わってきました。ですから、お釈迦さまが説いたそのままではないけれども、教理的にはお釈迦さまにつながるものをもっていなければ、仏教の存在意義が問われます。一方で、その教理をもとにして、その土地の人々、その風土に応じて、その生活のなかで活かされている生活仏教を抜きにしては、仏教の存在はなかったのです。

われわれは修験・山伏の修行のなかで、「山の行より里の行」ということをよく言います。山で修行して得た力を里で活かすことが山伏であって、山で修行してある境地に達して、そのまま山に住んで空に飛んでいくと、それは仙人であって、山伏とは言いいません。山伏というのは山で修行した力を里で活かすこと、山で得たことを里の行で行うことにこそ意味があるのです。

いわば聖なる世界と俗世間の架け橋となる、あるいは聖性をもちながら、日々を正しく、よく生きるということです。また、死を意識すること、死に習うことで、生がより際立ってくるということでもあります。

修験は優婆塞の宗教です。仏教では四衆といって出家の修行者を比丘(男性)、比丘尼(女性)と呼び、在家の修行者を優婆塞(男性)、優婆夷(女性)と呼ぶのですが、修験道は、優婆塞、優婆夷、つまり在家を本義としています。原理や教義にあまり縛られない、俗世に生きる庶民の宗教です。

先ほど記したKさんは、亡くなる前の日に「自分が死んだら比叡山の霊園墓地に墓をつくって、そこに祀ってほしい」とか、「会社のことはきちっと整理してあるから、これで老後も大丈夫だから」とか言い、「それでは夫婦ふたりで暮らしていくには足らないから、無理でしょう」と奥さんが言ったら、「大丈夫、僕は先に死ぬから」と答えられたというのです。前の日に言うべきことを全部言って亡くなられたそうです。

常に死と背中合わせで生きているのが人間の現実なのですから、いつでも自分の処し方というものをもっておくことが肝要でしょう。奥様もKさんの死をすぐには受けとめられなかったかもしれませんが、ご主人の死を通して、ご自身の生きる道を整えていかれたと思います。辛い状況のなかで、ご主人の死を受け止め、その死に習ってご自身を見つめ直し、人として生きていくことを根本的に考えることになったのだと思います。

親の死や伴侶の死に直面したとき、自分の死を考えたとき、自分の身の処し方を考えるとき、優婆塞や優婆夷としての生き方に得られるものは多いと思います。

***************

今回のシリーズはここまで…。長らくのお付き合い、ありがとうございました。長いので読んでもらえたのかどうか、自信はありませんけど。拙著を紹介するシリーズは少しおやすみをして、次回は修験道編で、再開したいと思います。乞うご期待!なお、本稿のこの先は拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』(扶桑社BOOKS新書)/電子書籍をご覧下さい。
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高松塚古墳壁画発見50周年「記念シンポジウム」、参加者募集中!(2022 Topic)

2022年02月24日 | お知らせ
高松塚古墳壁画は、1972年(昭和47年)3月21日に発見された。壁画発見50年を記念したシンポジウムが本年(2022年)3月21日(月・祝)13:30~16:30、県立万葉文化館で開催される。入場無料で要申し込み(takamatsu20220321@gmail.com)、3月1日(火)必着。

村の公式サイトは、こちら、チラシは、こちら(PDF)。毎日新聞奈良版(2022.2.15付)〈壁画発見50年 記念シンポ参加者募集 来月1日締め切り〉によると、 

明日香村主催の高松塚古墳壁画発見50周年記念シンポジウム「未来へつなぐ高松塚」が3月21日午後1時半~4時半、同村飛鳥の県立万葉文化館で開かれる。記念講演とパネルディスカッションがあり、入場無料。定員120人の事前申込制で、申し込みは1日午後5時必着。

3月21日は全国に考古学ブームを巻き起こした「飛鳥美人」などの極彩色壁画の発見からちょうど50年にあたる。米田文孝・関西大教授が「高松塚古墳における調査研究の歴史的意義」、来村多加史・阪南大教授が「国家儀礼の整備と高松塚壁画」をテーマに記念講演した後、森川裕一村長を加えた3人がパネリストとして語り合う。

往復はがきかメール(takamatsu20220321@gmail.com)で、住所・郵便番号、氏名(ふりがな)、年齢、電話番号、希望人数を明記して申し込む。往復はがきは〒634―0141 明日香村川原91の3 明日香村教育委員会文化財課・高松塚講演会係へ。申し込み多数の場合、抽選。問い合わせは村教委文化財課(0744・54・5600)。【姜弘修】


これは楽しみだ。皆さん、ぜひお申し込みください!

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二月堂 春を告げるお水取り/毎日新聞「かるたで知るなら」第41回

2022年02月22日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は同会が制作した「奈良まほろばかるた」を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。先週(2022.2.17)掲載されたのは〈回廊照らすお松明/東大寺二月堂(奈良市)〉、執筆されたのは同会会員の石田一雄さんだった。

石田さんは県下の伝統行事について、ソムリエの会では最も詳しい人である。今年の東大寺二月堂のお水取りは、残念ながら昨年に続きコロナ禍のなか、さまざまな制約を受けて営まれる。詳しくは東大寺の公式HPでご確認いただきたい。では記事全文を紹介する。

〈二月堂 春を告げるお水取り〉
東大寺二月堂の「修二会(しゅにえ)」は「お水取り」「お松明(たいまつ)」の名でも知られる行事ですが、正式名称は「十一面悔過(けか)法要」です。

これは私たちが日常知らず知らずのうちに犯しているさまざまな過ちを二月堂の本尊である十一面観世音菩薩(ぼさつ)の前で懺悔(さんげ)することです。その上で天下泰安、五穀豊穣(ほうじょう)など人々の幸福を願います。

奈良時代の752(天平勝宝4)年から、「不退(ふたい)の行法(ぎょうぼう)」として1270年もの間一度も絶えることなく毎年続けられてきました。大伽藍(だいがらん)の大半が焼失した時ですら、また江戸時代に本堂が火災で焼失した時ですら、途切れませんでした。

私たちに代わってその行法を行うのは11名の練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる僧侶の方々です。本行は3月1日から14日までの2週間、精進潔斎(しょうじんけっさい)の上、毎日6回の行法を続けます。

初夜の行法時に堂下の参籠所(さんろうしょ)から本堂に上る練行衆の道明かりとなるのが「お松明」です。回廊で打ち振られる、美しく見事なお松明の後、堂内では練行衆によりさまざまな行法が深夜まで続けられます。

3月12日深夜(13日の午前1時半ごろ)に、堂下の「若狭井(わかさい)」という井戸から観音様にお供えする「お香水(こうずい)」を汲(く)み上げる儀式が行われます。これが「お水取り」です。

今年も新型コロナ禍の影響で残念ながら「お松明」などの拝観についてさまざまな制約が設けられています(詳細は東大寺ホームページを参照)。皆さんも練行衆と心を一つにして、懺悔し新型コロナ禍の終息や人々の幸福を願ってみてはいかがでしょうか。(奈良まほろばソムリエの会会員 石田一雄)

【東大寺二月堂】
(住 所)奈良市雑司町406の1
(交 通)JR・近鉄奈良駅から市内循環バス「東大寺大仏殿・春日大社前」下車、徒歩約10分
(拝 観)無料。3月1~14日は人数制限、12日は禁止
(駐車場)無
(寺務所)0742・22・5511


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