tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

環濠集落は、奈良盆地農村集落の典型/若槻環濠・中島健さんに聞く(奈良日日新聞「奈良ものろーぐ」第25回)

2018年04月30日 | 奈良ものろーぐ(奈良日日新聞)
毎月第4金曜日、週刊奈良日日新聞に「奈良ものろーぐ」を連載している。今月(4/27付)掲載されたのは「若槻の環濠集落 もと興福寺大乗院領」。会社の先輩だった中島健(たけし)さんのお宅(大和郡山市若槻町)にお邪魔して、お話をうかがった。
※トップ写真は最近修復された若槻環濠の一部、向こうは天満神社。これら3枚は4月9日の撮影

お邪魔したのは昨年(2017年)6月30日(金)に1回、本年4月9日(月)に1回。4月には環濠の一部がきれいに改修されていて驚いた。中島さんが自治会長時代に手がけられた仕事で、古地図を丹念に調べ、昔のままの形で復元された。これはいい、これでかつての若槻環濠をしのぶことができる。中島さん、良い仕事をされましたね。では記事全文を紹介する。



環濠(かんごう)集落というものを知ったのは、就職して奈良に移り住んでからだ。「奈良盆地には環濠集落が多く存在することで有名である。これまでの調査研究で環濠集落であると確認または推定できるものは二百前後存在するといわれ、大和郡山市、天理市、田原本町、橿原市に多く分布している。環濠集落は防御を目的に中世後期に作られたものが多く、城郭として位置づけられるもの、そうでないものに区分される。」(『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』)。

城郭的性格を備えた集落に若槻(わかつき)環濠(大和郡山市若槻町)がある。もとは若槻荘という荘園だった。豊富な史料が残されているので、環濠の形成過程が判明している。薬師寺伝教院領を経て鎌倉後期に興福寺の大乗院領となった。



もとは散村だったが、室町時代にはおそらく自衛の必要から集村化が進み、濠(ほり)や溝が掘られ、秀吉が天下を統一した後の文禄4(1595)年には、完全な環濠集落となった。それが今の屋敷割と環濠に受け継がれている。環濠の内外を結ぶ道が1ヵ所しかないという堅固な集落である。

若槻環濠はJR郡山駅から徒歩約20分。稗田(ひえだ)の環濠は若槻の北西、番条の環濠は南西にある。若槻町にお住まいの中島健さん(67歳)にお話をうかがった。



中島健さん。これら2枚は2017年6月30日の撮影

「若槻環濠は東西約200㍍、南北約70メートル。西の天満神社のあたりの濠がよく残っています。最近、古地図に基づく改修工事を終えたばかりです」「防御と風よけのための竹やぶも残っています」「濠の水を灌漑(かんがい)用水として使っている集落はよく濠が残っていますが、若槻には大きなため池が3つもありましたので、その必要はありませんでした」。

濠に面したお家は大変だという。「濠に向かって家が傾くのです。コンクリートで補強してもダメです。扉が閉まらなくなってすきま風が入ってきたり、鍵がかけられないなどのトラブルが出てきます。だから近年は濠を埋めてしまう集落が多いと聞きます」。



なるほど、歴史ある環濠を残すのは大変なのだ。県下の環濠集落では、環濠のまま残っているのは約2割で、あとは部分的に濠が残っている「有濠状態」だと聞いたことがある。

若槻は興福寺領だったので「春日若宮おん祭」とも深い関わりがある。当地の加奥家は古くからの役宅(荘園に派遣されて管理する役人)の家柄だ。天満神社の宮座であり代々、同家の女性は巫女(みこ)を務める。おん祭の大宿所祭の御湯立(みゆたて)神事の作法を継承していたのも加奥家である。

中島さんは自治会長時代には大和士(やまとざむらい)に扮してお渡り式に加わったという。環濠集落は、奈良盆地の農村集落の典型である。維持・管理は難しいと思うが、この歴史的美観はぜひ維持・継承していただきたいものだ。=毎月第4週連載=


「濠に向かって家が傾く」とは初めて知ったが、よく「ボウフラがわく」「子どもが滑り落ちる」「掃除が大変」などと聞いたことがある。だからもう環濠は2割程度しか残されていないのだ。しかし環濠集落は奈良盆地の「歴史的風致」であり、大切な遺産である。ぜひ子々孫々まで残していただきたいと願う。中島さん、2度にわたってご厄介をおかけしました、ありがとうございました!

※奈良日日新聞ご購読のお申し込みは、こちらから

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王寺町の公式マスコット「雪丸」の伝承を一挙紹介!(奈良新聞「明風清音」第4回)

2018年04月29日 | 明風清音(奈良新聞)
毎月第3水曜日、奈良新聞の随筆コーナー「明風清音」欄に、観光にまつわるあれこれを寄稿しています。4月18日(水)付で掲載されたのは《「雪丸伝承」を検証する》。王寺町の公式マスコット「雪丸」は、ただのゆるキャラではなく、聖徳太子信仰に基づく由緒正しい名犬でした。同町教育委員会学芸員・岡島永昌(えいしょう)さんにご教示いただきました。岡島さん、ありがとうございました。では、全文を紹介します。

王寺町の雪丸をご存じだろうか。聖徳太子の愛犬とされ、同町の達磨寺(だるまじ)には、江戸時代の石像がまつられている。雪丸は平成25年6月に町の公式マスコットに認定、同年8月には町の観光・広報大使に就任した。県内のゆるキャラの中でも傑出した存在である。

さらに29年には空を飛ぶ「雪丸ドローン」が登場し、度肝を抜いた。動画(実写)は特設サイトで公開されている。今年は戌(いぬ)年なので、いっそ「雪丸そっくり犬コンテスト」でもやって、王寺町を盛り上げてほしいものだ。

この雪丸、単なるゆるキャラではない。聖徳太子信仰とともに語り継がれる由緒正しい名犬なのである。達磨寺は聖徳太子ゆかりの寺だ。寺には明治5年頃に書き写されたとみられる「達磨寺略記」がある。そこには、雪丸は聖徳太子が飼っていた犬で、人の言葉が話せる、お経が読める、犬塚(墓)は本堂の丑寅(北東)にある、などの記載がある。

近年になって「道中日記」(大阪府池田市・吉野家所蔵)という古文書が見つかった。文政9(1826)年に大和を訪ねたときの記述に「達磨寺には聖徳太子が愛した雪丸の石像がある」と書かれていたのだ。雪丸は平成25年8月に町の観光・広報大使となりニュースで紹介された。それを見ていたご親族が知らせてくれ、石像が江戸時代からあったことが証明されたのだ。

と、ここまでは王寺町の『やさしく読める王寺町の歴史』(岡島永昌著)の受け売りである。
最近になって著者の岡島さん(王寺町教育委員会学芸員)のお話を聞く機会があった。岡島さんによると、雪丸の話はもう少しさかのぼれるという。

慶長12(1607)年に著された『太子伝撰集抄別要』に、太子が9歳のときの話が出てくる。「太子の宮に『白雪丸』という白い犬がいました。犬の母も『白梅』の名前で飼われていました。太子は白雪丸に奉行(役人)をつけて毎日食べ物を与えていました」。

「あるとき犬が少し痩せ、何かを訴えるように前足を折り曲げてかしこまりました。太子は奉行が食べ物を盗んでいるのだなと気づきましたが、証拠がありません。そこで太子は『学架(博士)のところへ行って訴状を書いてもらいなさい』と命じました。白雪丸は学架に訴状を書いてもらい、それを太子に届けました。訴状を読んだ太子が奉行を呼んで注意したところ、その後食べ物を盗まれることはなくなったそうです」。

犬のエサを盗み食いするとは、情けない奉行がいたものだが、この話には続きがある。本書によると白雪丸が死んだあと墓を築き、その上に松を1本植えた。そこが郡山の「犬臥の岡」だというのだ。昭和初期の「奈良縣郡山町全図」には、今の大和郡山市・新城(にき)神社の近くに「聖徳太子犬塚」が載る。

地元民の話では、地図の場所から少し離れた金魚池のほとりの盛り土の上に老木が生えていて「父から、ここが聖徳太子の犬の墓だと聞いています」。雪丸の墓は、達磨寺からここに移されたのだろうか。

達磨寺では毎土日祝日、王寺観光ボランティアガイドの会がガイドをしてくれる。ぜひ参拝され、「雪丸伝承」に思いをはせていただきたい。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)



明神山からの眺望(制作:王寺観光ボランティアガイドの会)

このゴールデンウィーク中の土日祝日も、王寺観光ボランティアガイドの会のメンバーが達磨寺をガイドしてくれます。明神山からの眺望も素晴らしいです。皆さん、ぜひ王寺町をお訪ねください!

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奈良女子大記念館は明治42年の建築・国重文/来年は創立110周年!(毎日新聞「ディスカバー!奈良」第62回)

2018年04月28日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。先週(4/19)掲載されたのは「学生見守り100年余り 奈良女子大記念館」、執筆者は同会理事の清水千津子さん。静岡県のご出身で奈良市在住、奈良女子大のOGである。奈良女子大の開校は1909年(明治42年)、ということは来年(2019年)は創立110周年。これにちなんだ行事も計画されているそうだ。同大学のHPによると、
※トップ写真は、奈良女子大の正門の奥に見える記念館

本学は明治42(1909)年に奈良女子高等師範学校として開校以来、2019年5月に創立百十周年を迎えます。この創立百十周年を記念して、関係の皆さまのご支援とご高配に感謝するとともに、本学の創立と歴史に想いを寄せながら、本学の使命の再確認と発展の祈念を目的として、式典等の各種の記念事業の実施を計画しています。

ひと足先に、記念ロゴマークとキャッチフレーズの募集があり、次の通り決定したそうだ。同大学のHPによると、

◆奈良女子大学創立百十周年記念ロゴマーク
在学生、教職員から、合計19点の応募がありました。その中から、奈良女子大学創立百十周年記念事業実施本部(本部長:学長)での投票による得票数により、次の作品をロゴマークの最優秀賞受賞作品に決定しました。

最優秀賞 「JUMP TO NEXT」


奈良女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程共生自然科学専攻2回生 熊谷 菜摘さん の作品

<作品制作の意図や主張>数字の110とシカと文字を組み合わせたロゴマークです。背景の黒い2本のラインと●が110を表しています。牝鹿は奈良女をイメージする生き物として選びました。シカの色は記念館と大学構内の草木をイメージした緑色にしました。文字は、キャッチフレーズではないですが、更なる大学の発展をイメージして選びました。飛ぶように走るシカと矢印状の11で、全体的に疾走感のあるようなロゴを目指しました。

◆奈良女子大学創立百十周年記念キャッチフレーズ 
在学生、教職員、元職員から、合計17点の応募がありました。その中から、奈良女子大学創立百十周年記念事業実施本部(本部長:学長)での投票による得票数により、次の作品をキャッチフレーズの最優秀賞受賞作品に決定しました。

最優秀賞 「ととせ ももとせ とこしへに」
奈良女子大学研究院自然科学系 助教 瀨戸 繭美さん の作品

<作品制作の意図や主張>十歳(ととせ)と百歳(ももとせ)を加えると百十となり、「と」の韻を踏みつつ、今後も益々本学が栄えるよう「とこしえに」を付しました。


前置きが長くなった。清水さんの記事全文を紹介すると、


ランチタイムコンサートが開かれる2階講堂。昔のままの長椅子と百年ピアノがある

奈良女子大の正門の奥に見えるのが記念館です。奈良女子高等師範学校の本館として、1909(明治42)年に完成した木造西洋建築で、守衛室や正門と共に重要文化財に指定されています。北欧に見られる木組みを意匠としたレトロな外観は、テレビドラマの撮影にも使われてきました。

1階は展示室、2階は講堂です。一般向けに毎月、ランチタイムコンサートが開かれており、創立した当時に購入された通称「百年ピアノ」の音色を聴くこともできます。座席は昔のままの長椅子で、今の人には少し小さく感じるかもしれません。

記念館は構内で奈良八重桜が咲く頃の春と、大学祭(恋都祭(ことさい))のある秋の年2回、一般公開されます。また、学生や教職員で混雑する時間帯を除けば、学食も利用できます。長年、学生たちを静かに見守り続けて来た記念館と同様、皆さんにも温かく学生たちを応援していただければ幸いです。

■メモ■近鉄奈良駅下車、北へ徒歩約5分。今年の春の記念館一般公開は4月30日~5月6日)、ランチタイムコンサートの日程や内容は奈良女子大ホームページの「イベント」からご確認ください(奈良まほろばソムリエの会理事 清水千津子)。


記事にあるとおり女子大記念館は、このゴールデンウィーク中の4月30日(月・祝)~5月6日(日)まで一般公開される。ぜひ足をお運びください!

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いよいよ明日開催!「郡山城を築いた藤堂高虎」/クラブツーリズム奈良で(2018 Topic)

2018年04月27日 | お知らせ
いよいよ明日(4/28)からゴールデンウィーク。今年は曜日の並びが良いので、5月1日(火)と2日(水)をお休みにして「9連休」という会社も多いようだ。皆さん、もう計画は立てられたのだろうか。
※トップ写真は、講師の浅井博明さん(3/18に開催された「奈良の歩き方特別講座」で撮影)

NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎月1回(第4土曜日 13:00~14:30)、奈良にまつわる深い話をやさしく楽しく解説する「まほろばソムリエのヤマトロジー講座」を開催している。近鉄奈良駅ビル5階の「クラブツーリズム奈良旅行センター」で開催している。受講料は、香り高いコーヒーがついて1,200円だ。お申し込みはこちらのサイトまたはお電話で(0742-90-1000)。

明日の4月28日(土)は「郡山城を築いた藤堂高虎(とうどう・たかとら)~名人が築いた数々の城を紹介」、講師は大和郡山市出身・在住の浅井博明さん。お城にはとても詳しい。藤堂高虎は『世界大百科事典』によると、

加藤清正とともに当代きっての城普請の名人でもあり,居城となった諸城のほか,1601年には近江膳所(ぜぜ)城,06年には江戸城,08年には丹波篠山城,20年(元和6)には大坂城の縄張りを,家康,秀忠の命によって行っている。さらに大坂の陣の軍議にあずかったり,秀忠の娘和子(東福門院)の入内につき朝廷との交渉をまかされるなど,外様大名でありながら,家康,秀忠の信任はあつかった。

近世の奈良も興味深いのだ。5月以降のラインナップを同センターのHPから紹介すると、

奈良のスペシャリストが「奈良まほろばソムリエ」がやさしく解説します!
【テーマ】
■5月26日
春日大社と原始林~ご創建1250年を祝して~講師:徳南 毅一
■6月23日
極悪人?松永久秀~その実像に迫る~講師:松永 佳緒莉
■7月28日
知ってるつもり?!興福寺~中金堂落慶をお祝いして~講師:山崎 愛子
■8月25日
奈良が発祥!大相撲~その魅力をひもとく~講師:柏尾 信尚
■9月22日
卑弥呼は大和に眠るか~邪馬台国と纒向遺跡~講師:池川 愼一
●開講日:毎月第4土曜日
●受講料:1,200円
●時間::13:00~14:30


ぜひ皆さん、「まほろばソムリエのヤマトロジー講座」にお申し込みください!
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奈良の近・現代建築をめぐる(PARTⅠ.)/奈良まほろばソムリエの会がガイド(2018 Topc)

2018年04月26日 | お知らせ

5月18日(金)13:30から、公益社団法人「奈良市観光協会」主催のウォーキング・ツアー「奈良の近・現代建築をめぐる①」が開催される。ガイドはNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」のベテランガイドが担当する。奈良ホテルでは館内見学ツアーも行われる。これはめったにない機会である。同協会のHPによると、

奈良の近・現代建築をめぐる①
奈良には世界的に知られる古代建築の陰で、優れた近・現代建築も点在しています。奈良市観光協会では、通常では立ち入りが難しい近・現代建築物などをめぐるウォークツアーを3回実施(予定)します。ご案内は奈良のプロフェッショナル「奈良まほろばソムリエの会」の皆様。また施設の管理者などから貴重なお話を伺う機会も?!

商品名 奈良の近・現代建築をめぐる①(B0026)
料 金 1,000円(税込)
日 時 5月18日(金)
集 合 午後1時30分 近鉄奈良駅前 行基広場(約3時間半)
申込締切 5月11日(金)

コース 集合:近鉄奈良駅前 行基広場→奈良国立博物館(外で解説)
 →仏教美術資料研究センター(外で解説)→菊水楼(外で解説)
 →奈良ホテル(内部見学)現地解散
※入金後のキャンセルは、払い戻しできません。
※雨天決行(荒天の場合は中止/この場合、全額払い戻しいたします)
主催者情報 公益社団法人 奈良市観光協会 奈良市上三条町23-4
 TEL:0742-27-8866(平日9:00~17:00)
 FAX:0742-27-2299
 WEBサイトは、こちら。ツアーの詳しい内容はチラシ(PDF)をご覧になって下さい。


私は以前、奈良ホテルのスタッフの案内で、館内を見学したことがある。山のように「お宝」が眠っていて、びっくり仰天した。ここの見学だけでも、1,000円分以上の値打ちがある。お申し込みは、こちらのサイトから。奮ってお申し込みください!

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