tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師の「蔵王供正行/第7日 朝題目、夕念仏」

2024年02月29日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行7日「朝題目夕念仏」〉(師のブログ 2015.5.7 付)である。天台宗では「朝題目夕念仏」、つまり朝に法華経を読み、夕方に阿弥陀経を唱えるというのが基本なのだそうだ。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)

師は40年以上前に履修されたお経を、叡山学院で学ばれたばかりのご長男とお二人で唱えておられるそうで、これは微笑ましい。ご参拝者も、途切れずに続いているとのことだ。では、以下に全文を紹介する。

「朝題目夕念仏」
蔵王供正行7日(5月7日)。晴れ。今日の一日。ちなみに昨日の就寝は風邪のため、9時。でも結局12時半には目が覚めて、なかなか寝られず。風邪は回復。

5時前に起床。
5時半、第13座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法      於本堂 
9時、第14座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法     於本堂
12時半、水行           於風呂場
13時、法楽護摩供修法       於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦    於本堂
    参拝者1名。

****************

「朝題目夕念仏」
Eテレ(こころの時代)をみて、護摩の時間に訪ねてきた舞鶴の方があった。本物がいる!って、なんかパンダをみたような感動をされてしまった。ぎりぎりにおいでになったので、今日はノー参拝デーになるかなあと思っていたが、ならなかった。有り難い。前行のときから法楽(読経)として、一座目が法華懺法(ほっけせんぼう)、二座目が例時作法(れいじさほう)という、天台法儀のお経をお唱えしている。正行も同様である。

私が僧侶になってお経を覚えたのは比叡山高校での山家寮という、天台宗の宗内生が寄宿する寮での手ほどきだった。天台宗では「朝題目、夕念仏」といって、朝に法華経を読み、夕方に阿弥陀経を唱えるというのが基本である。

法華懺法というのは法華経を中心に作法が整えられた法式。例時作法というのは阿弥陀経を中心に整えられた法式。その法華懺法と例時作法を毎日お唱えするのは基本中の基本となる。

しかし正直にいうと、私がこんなに、この両法儀を毎日お唱えするのは四度加行履修のとき以来かもしれない。四度加行は18才で履修したので、40年以上前のことである。加えて、脳天堂での蔵王供直後の法楽は天台常用声明の基本である三礼と如来唄を唱えているが、本当に一から基本に返った修行三昧となっている。

自坊での勤行はついついおろそかにしてきた私だけに、基本から、学び直しをしている。幸い昨年、叡山学院で天台勤行の手ほどきをわずかながらでも受けてきた子息が、毎座、随喜(参加)していて、一緒に唱えさせていただいている。これも有り難いことである。化他行というが、自分の学びも多い修行である。自利利他円満になれば、なお素晴らしい。
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読者からのお便り/昼食は「果物」です(奈良新聞「明風清音」)

2024年02月28日 | 奈良にこだわる
私は奈良新聞「明風清音」欄に、毎月1~2回、寄稿している。明日(2024.2.29)はちょうど100回目にあたり、〈「平成」をドラマで回顧〉という記事が載る。
※トップ写真は奈良県産イチゴ。向かって左から、古都華、珠姫(たまひめ)、あすかルビー

平成の時代にヒットしたテレビドラマで、当時の世相や流行を振り返る、という趣旨だ(私はテレビドラマが大好きである。朝ドラや大河のほか、民放の連続ドラマもよく視聴する)。

前々回(1/25)に掲載されたのは〈昼食は「果物」です〉という記事だった。果物好きの私が「もっと果物を食べて、元気になりましょう」と呼びかけたものだ(当ブログ記事は、こちら)。

これに対してある女性読者から、こんなお便りが届いた(奈良新聞社に届き、それをデスクがわが家に転送してくださった)。めったにないことなので、とても嬉しく思っている。以下に、全文を紹介させていただく。

毎回、楽しく拝読しております。特に果物の記事は、為(ため)になりました。その時期、他県の母がコロナにかかって気弱になっていましたが、「お見舞いにたくさんの果物やジャムをいただいた」と言うので、この鉄田さんの記事を郵送し、元気づけたところです。

私はあまりスーパーに行きませんが、ならまち散策の折に「山の辺ファーム」「よつばカフェ」で必ず果物を買うようになりました。鉄田さんの啓蒙のおかげです。これからも楽しみにしております。


拙い文章が、お母さまやご本人を元気づけたということは、望外の喜びである。これからも、読んでいただいて元気が出るような文章を書き続けたい。

コメント (2)
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田中利典師の「蔵王供正行/第6日 行不退」

2024年02月27日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、元に戻って〈蔵王供正行6日目「行不退」〉(師のブログ 2015.5.6 付)である。「行不退」とは「修行に入れば退くことがない(途中でやめられない)」ということ。東大寺二月堂の修二会(お水取り)も、「不退の行法」と言われる。752年のスタートから今日まで、一度も途切れたことがないからだ。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)

この頃利典師は風邪を引いて、37℃を超える熱があったそうだが、だからといってやめるわけには行かない。これまで午後の護摩には必ずご参拝者がいらっしゃるし、ご長男も一緒に行じておられるというから、これは頼もしい。では、以下に全文を紹介する。

「行不退」
蔵王供正行6日目(5月6日)。晴ときどき曇り。今日の一日。ちなみに昨日の就寝は12時。

5時前に起床。
5時半、第11座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法      於本堂
9時、第12座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法     於本堂
12時半、水行           於風呂場
13時、法楽護摩供修法       於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦    於本堂
お参りの方をお加持。のち、お二人と面談。

***************

「行不退」
行不退というのは修行に入れば退くことがない、という意味である。どんな修行にしろ、日時を定めて入った以上は途中で止められないのだ。それ故、行中の病気や怪我には充分気をつけなければならない。

昨日も書いたように、行入り前後の忙しさの疲れがちょっと出てきていたが、今朝は朝から熱が出た。常の平温が低めなので、37度を超えるとかなり辛い。朝夕の寒暖が大きいせいもあって、少々風邪を引いたらしい。もちろん、だからと言って休めない。辛い体にむち打っての、修行が続く。早く体調を整えなければ…。

今日も参拝の方があった。昨日来た方が別の方をお連れになってきた。入行以来、午後の護摩は、まだ参拝者なしの日がない。予想外です。けっこう息子と二人だけの護摩を考えていたのですが…。息子もなれぬ経頭ながら、一生懸命行じている。

私もそうだが、彼にとっても、とてもよいお行になっている。今日は早めに寝て、風邪からの回復を第一にしたい。
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渡来系豪族・阿智使主(あちのおみ)夫妻を祭る「於美阿志(おみあし)神社」(明日香村)/毎日新聞「やまとの神さま」第75回

2024年02月26日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.2.22)掲載されたのは〈渡来系豪族の始祖祭る/於美阿志神社(明日香村)〉、執筆されたのは明日香村にお住まいの清水雅子さんだった。
※トップ写真は於美阿志神社の拝殿=明日香村

渡来人名の「阿智使主(あちのおみ)」が逆転して転訛(てんか)し、「おみあし(於美阿志)」になったという。しかも境内地は、国史跡「檜隈寺(ひのくまでら)跡」なので、なかなかややこしい。では、以下に全文を紹介する。

渡来系豪族の始祖祭る/於美阿志神社(明日香村)
於美阿志神社 (明日香村檜前(ひのくま))は高台に鎮座し、近くには、いずれも特別史跡のキトラ古墳や高松塚古墳があります。「飛鳥史跡事典」によると、この地は渡来系の豪族・東漢氏の本拠地で、氏寺として7世紀に建てられた檜隈寺(ひのくまでら)の跡地が境内になっています。

同神社の創建年は不詳ですが、平安時代の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に式内社と記された古社です。主祭神は東漢氏の始祖で、第15代応神天皇の時代に渡来したとされる阿智使主(あちのおみ)夫妻。神社名は「阿智」が「阿志」になまり、「使主」は「於美」に漢字が変化したうえ、2語が逆になるなど「阿智使主」が転訛(てんか)したと考えられます。

「続 明日香村史」などによると、江戸時代には御霊(ごりょう)明神と呼ばれ、今より西にありましたが、明治時代に現在地に遷座しました。境内には、主祭神の他に八坂神社と稲荷神社も祭っており、石灯籠(いしどうろう)にも多くの神々の銘文が刻まれています。

境内は「檜隈寺跡」として国史跡に指定され、瓦積基壇の講堂跡や金堂跡を確認。平安時代の十三重石塔(重要文化財)が残っています。春秋の祭りと年3回の御湯(おみゆ)神事では、村内の飛鳥坐(あすかにいます)神社の宮司が祝詞を上げており、檜前の氏子に大切に守られています。(奈良まほろばソムリエの会会員 清水雅子)

(住 所)明日香村檜前(ひのくま)594
(主祭神)阿智使主神(あちのおみのかみ)
(史 跡)2003年に「檜隈寺跡」として国の史跡に指定
(交 通)近鉄飛鳥駅から徒歩約20分
(拝 観)境内自由
(駐車場)なし
(電 話)なし


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田中利典師の「なぜ、一流のビジネスリーダーは修験道にハマるのか」(後編)

2024年02月25日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、2015年の師の「蔵王供正行」日記はお休みして、「NewsPicks +d」というサイトに掲載された師へのインタビュー記事「なぜ、一流のビジネスリーダーは修験道にハマるのか」(全2回のうちの後編)を紹介する(前編は、こちら)。

今回は、20年前の吉野大峯の世界遺産登録のことも紹介されている。〈田中さんの心血注いだ運動のおかげで、わずか半年で文化審議会で答申され、暫定リストに載り、4年で正式に世界遺産となりました。これは世界最速でした〉。以下、「地の文」を黒、「師の発言」を青で表示する。長い記事だが、ぜひ全文をお読みいただきたい。

動くことで運は開ける。不安や焦り、怒りから解放されるには

Naraoka Shuko(AlphaDrive/NewsPicks for Business 編集者)

山へこもって厳しい修行を行うことで悟りを得たり心の乱れを静めたりする、日本独自の宗教・信仰である「修験道」。修験道の総本山、奈良・吉野の「金峯山寺」で長臈(ちょうろう)職にある田中利典さんに、不安な時代を生きるための智慧を山伏修行や宗教的価値観からどのように得れば良いか、お聞きしました。(第2回/全2回)

教えがあり、行いがあり、信じる心があって、証明される
『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』は、浄土真宗を開かれた親鸞聖人による念仏門の指南書です。釈迦のお経と、インドや中国、日本の高僧の解説が引用され、全6巻からなり、52歳で完成としたものの、生涯手元に置かれて加筆修正を重ねられたとのこと。心血注いだこの本からは仏教の神髄が感じられます。

田中さんはこの指南書のタイトルを例えに挙げて、「経営者やビジネスリーダーたるもの、信じるから成すという価値観を取り戻してほしい」と語ります。

田中「教行信証はすなわち、教えがあり、行いがあり、信じる心があって、証明されるという価値観です。しかし、近代以降の価値観は『教行証信』になっている。仮説があり、実験をして、エビデンス(証)があって、ようやく信じる。エビデンスのないものは信じないわけです。

では人類はどれほどのことを証明し得たのか。森羅万象のまだ数パーセント程度しかなし得ていない。自分たちの生命のことさえ証明されていません。例えば、イエス・キリストが約2000年前にゴルゴタの丘で磔(はりつけ)になって、3日後に復活したから、キリスト教は生まれた。でもこれ、エビデンスはありませんよね?

お釈迦様が約2500年前にブッダガヤの菩提樹の下でお悟りを開き、仏教は生まれた。でも本当に釈迦が悟ったかどうかのエビデンスもありません。人々はイエス・キリストが復活したことを信ずる。お釈迦様がお悟りになった教えが正しいと信ずる。信ずるから御利益というか、人類を数千年にわたって支え続ける証が生まれたのです」


つまり商売や経営も同じこと。90%の人が認めてから挑戦するのでは遅い。リーダーたるもの、10%程度の段階でも「これでいく!」と信じるから、証が生まれる。不安な時代をリーダーとして生き抜く際に必要なのは、やはり教行信証──強い信念なのです。

情報は血肉にならない。なるのは物語化できたときだけ
山伏修行では、白装束を身にまとい、山に入って厳しい修行を行います。それはいわば自然と一体になって自然のエネルギーを体内に吸収することであり、自然と人間との共生を体感する契機にもなります。人はなぜ自然とつながると、不安や焦燥から解放されるのでしょうか。

田中「現代社会は情報がものすごくあふれています。でも、情報ってだけでは大して意味がない。例えばNHKのニュースでは毎朝、リオデジャネイロやモスクワの天気を教えてくれるけれど、一生に一度も行かないような場所の天気を聞いたところで仕方がない。だったら今日の奥さんのご機嫌を教えてくれるほうがよほど役に立ちます。結論としては、情報は血肉にならない。ところが、情報を自ら物語化すると、血肉になっていくのです」

そしてまた、物語化するためには、その人自身に教養、知識、体験、見識がないと難しい。リーダーはそういったことを日々培うのが肝心です。中でも修験道という身体的な行為は、日本人がもっと心から望む生き方ができる、その可能性を広げる効能がある。田中さんはそう信じ、「修験道ルネサンス」と名づけました。では、物語とは何か。それを田中さんは「つながりである」と言います。

自然と人、社会と人、人と人。そのつながり合う中に人生の真理がある。夫婦は、妻と夫というつながりが、夫婦の本質をつくる。親子も同じ。個々に本質はなく、つながりに本質がある。だから情報だけでは血肉にはならず、自らの物語にして初めて血肉になるのです。

田中「仏教には善因善果・悪因悪果・自因自果という教えがあります。良い行いからは良い結果が起き……という法則です。ただ、いくら原因があっても、結果にならないこともたくさんある。原因と結果をつなげるのは何か。“縁”です。ということは、やはり縁のほうに世の本質はあるのではないか。

私たち人間はどうしても自分の側に真実を求めたりこだわったり、我執が生まれたりしやすい。誰に対しても常につながっており、その関係性に本質があると思うと、少し飛躍した言い方になりますが、人の使い方や捉え方、ひいては経営そのものも変わってくるのではないでしょうか」


常に相手の都合を認める「恕」の精神
長臈を務める金峯山寺では、本堂である蔵王堂の本尊「金剛蔵王大権現3体」の特別開帳を毎年開催しています。これは国宝の蔵王堂と仁王門が2004年、ユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録されたことがきっかけでした。この3体のうち中尊は7mを超え、口から牙をのぞかせ、まさに怒髪天をつく異形です。

田中「金剛蔵王大権現は長らく秘仏とされてきて、吉野に住んでいる人すら存在をよく知りませんでした。そこで、特別御開帳を始めたとき、広報活動をするのに権現様を1文字で表せないかと考え、『恕』という1文字が生まれたのです。恕は、相手を思いやって許すという意味です。権現様は憤怒の形相で現れましたが、一方で肌は青黒(しょうこく)色であり、仏の慈悲を表す。表情の怒と、肌の慈悲、つまりそれが恕だと──」

田中さんはサインを求められると「恕」という1文字を記します。「怒」という文字と非常に似ているので、「なぜ怒りと書かれたのですか?」と質問する方も多いそうです。

田中「『怒』は現代の世相をよく反映していますね。欲と怒りが、殺人や戦争を起こします。そうではなく、『恕』をぜひ生きる指針にしてください。これは常に相手の都合を認めてあげるということです。例えば、なんでそんなことで怒られなあかんの? 理不尽や!と思ったとき、いや、この人はこの人なりの怒る都合があるのだ、しゃあない、と認めて許すのです。

自己主張、自分らしさ、自分探し……、なんでも自分が主役ですが、さきほども申し上げたとおり、物事の本質は個々にはなく、つながりにあるのですから。まさに和をもって貴しとなす。日本人は1400年も前から和合で決めたほうが正しいという信仰を持ってきました。そのアイデンティティー、精神的なバックボーンを、もう一度意識しなおすべき時期だと思います」


気づいたゴミは拾う責任がある
40歳は孔子いわく「不惑の年」。その時期迷いに迷っていた田中さんは41歳のときに「自分の軸ができた」と言います。

田中「吉野には1300年以上の歴史があり、その吉野で私が何か活動することは、日本にとって意味を持つことであり、日本という国が世界の中で何かしらの意味を持つとするならば私の活動は世界にとって意味をなすことでもあると感じました。そのような志でユネスコ世界文化遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の登録運動に手を挙げたのです」

実際、田中さんの心血注いだ運動のおかげで、わずか半年で文化審議会で答申され、暫定リストに載り、4年で正式に世界遺産となりました。これは世界最速でした。また、自身にとっての座標軸ができたあとは、自分とタイプや考え方が違っても柔軟に人の話を聞けるようになったそうです。

田中「世界にとって意味をなす。そういった志を持つことは、人の共感を呼びます。やろうと思って行動する。すると誰かに出会うんです。そして出会った誰かがどこかに連れていってくれる。私が好きな言葉に『運は動より生ず』というのがありますが、運というのは、じっとしていたところで呼び込めない。動くから運が開けるのです」

そして最後にリーダーを担う人々に対し、田中さんは「気づいたゴミは拾う責任がある」という言葉を贈りたいと言いました。

田中「ゴミは、落ちていても、ゴミと認識しなければ拾いません(見つけて拾わないのは最低です)。見つけないと拾えないものなのです。もちろん、気づいたら捨てないといけないから大変です。しんどいこともある。でも、気づいた人にはやる責任がある。そして、さまざまなことに気づける人こそリーダーなのだと、私は思います」

修験道最奥の修行とされる、大峯奥駈(おおみねおくがけ)は、吉野から山上ケ岳を経て熊野を目指し、1日12時間歩き通します。吸う息、吐く息、足の運び、体幹の動きなど、一つひとつの動作に感覚が研ぎ澄まされていきます。余計なことは考えず、ひたすら身体の動きと心の裡(うち)に集中します。田中さんは「足を痛めて歩くのが遅くなる人がいるとちょっとうれしいんですよ」と破顔しました。

田中「こっちも実はクタクタなんです。だから、その遅くなっている人を『大丈夫か?』と励まし、一緒に歩く。すると自分もゆっくり歩けますよね。山伏修行は団体で行動しますから、そういう人が出てくることもすごく意味がある。置いていくのではなく、助けてあげる。そして、私自身も助かる。そういう視点、視座で物事を見ると、非常に豊かな気持ちになる。まさに恕の精神です」

金峯山寺では、5月から10月までの毎月1回、一般の方を対象に修行体験を開催。男性のみの山上ケ岳登拝(1泊2日)、女性のための吉野山巡拝(日帰り)や大天井ケ岳登拝(1泊2日)など、コースが選べます。また、大峯奥駈修行(8日間)の募集は3月からで、この修行の参加には選考があります。

深山幽谷を歩き、大自然と一体になることにより、我が身のケガレを祓い、新たな命を授かって再生する山伏修行。「歩く瞑想」「歩く禅」ともいわれるその修行は、コスパ、タイパとは正反対の時間をもたらし、この世をタフに泳ぎ渡れるずっしりとした力を与えてくれるに違いありません。
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