彦四郎の中国生活

中国滞在記

ビルマ:軍によるクーデーター勃発❸―アウンサン・スーチー、波乱の生涯が続くも、今は75歳の高齢になる

2021-02-12 19:53:45 | 滞在記

 アウンサン・スー・チーは1945年ビルマのラングーンに生まれた。「ビルマ独立の父」アウンサン将軍の娘。1947年、彼女が2歳の時に父は政敵によって暗殺された。1942年に父と母は結婚、歳の近い二人の兄がいる。以降、ラングーンで元看護師の母と2人の兄とともに暮らす、次兄の兄が8歳の時、自宅庭の池で溺死。

 1960年、彼女が15歳の時、母(キン・チー)のインド大使赴任に伴いインドのニューデリーへ。1962年からデリー大学カレッジに入学し政治学を学び1964年に卒業。(※インドではガンジーの非暴力不服従運動の影響を受けたともされる。)

 1964年から67年まで、イギリスのオックスフォード大学カレッジの哲学・政治経済学部にて学ぶ。1968年に同大学を卒業した。(政治学修士号を取得)

 大学卒業後、アメリカにわたり、ニューヨーク大学大学院にて国際関係論を専攻。大学院を中退し、1969年から1971年にかけて国連事務局行政財政委員会の書記官補を務める。1972年にオックスフォード大学の1年後輩で、当時ブータン在住だったチベット研究者のマイケル・アリスと結婚。国連事務局を退職し専業主婦となる。1973年に長男を、77年に次男を出産した。(この間、ブータンやネパールにも滞在したことがある。)

 結婚生活後はイギリスのオックスフォードに生活の場を移し、子育てをしながらオックスフォード大学での研究生活を再開する。(大学の図書館編集部に勤めながら)  また、ロンドン大学東洋アジア研究所での研修生ともなり、「ビルマ文学とナショナリズム」に関する修士論文を書く。父・アウンサンの研究をするため2年間をかけて日本語を習得。(1973年—1984年の約10年間は、研究と子育ての生活) 夫のマイケル・アリスはオックスフォード大学の教員となっていた。

 1985年10月から86年7月までの約10カ月間、国際交流基金の支援で、日本の京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日した。ここで父・アウンサン将軍に関する歴史研究を進める。1986年7月から10月までヤンゴンの母のもとに滞在し、イギリスに戻った。

 日本滞在中は、ロンドン大学の研究室で知り合った留学中の大津典子(龍谷大学講師)とその夫である大津定美(龍谷大学教授、のちに神戸大学教授―経済学者)夫妻ととも親交を深めたようだ。京都大学の東南アジア研究所は鴨川に架かる荒神橋付近の川端通りにある。ここに研究室を与えられていたようだ。滞在中に銀閣寺界隈の哲学の道を犬とともに散策しているスー・チーの写真があるので、その近くに暮らしていたのかもしれない。

 1972年の結婚以来の約16年間、イギリスのオックスフォードに居を構え、子育てと研究の両立の生活を平穏に過ごしたアウンサン・スー・チーだった。1988年3月、ビルマ・ヤンゴンに暮らす母の健康状態が悪くなり、その看病のためにビルマに帰国した。この時、ビルマは民主化を求める運動が大きな渦となり燃え盛っていた。スー・チー43歳の時だった。この年からスー・チーの運命は大きく変わっていく。ビルマの政治状況の大きな渦(うず)の中に入っていくこととなるのだ。

 88年7月20日、ビルマの国営新聞は前日に行われた政府主催のアウンサン将軍追悼集会に参加したアウンサン・スー・チーの写真を大きく掲載した。「建国の父」の娘として伝説的ですらあった彼女がビルマに戻っていることを知った民衆は、民主化運動への合流をスー・チーに要請。それを受けることとなったスー・チーは8月26日、シュェダゴンバゴタで約50万人の民衆を前に、初めての政治的な演説スピーチを行った。

 その3週間後の9月18日、国軍によるクーデターが勃発し、全権を掌握し軍事政権となる。スー・チーたちは、1990年に予定されている国会議員総選挙への参加を目指し、同年9月27日に「国民民主連盟(NLD)」を結成し書記長に就任、全国遊説を開始した。スー・チーの母は、同年の12月に亡くなった。そして、1989年7月から軍事政権はスー・チーの自宅軟禁に踏み切り、NLD書記長を解任させた。国外退去を条件に自由を認めるともちかけられたが、拒否したといわれる。

 軍事政権は1990年5月に総選挙を行ったが、国民民主連盟(NLD)が大勝した。しかし、軍政側は「民主化より国の安全を優先する」と権力の移譲を拒否、選挙結果を黙殺した。この強硬な姿勢は国際社会に激しい非難を招くこととなった。1991年7月にサハロフ賞(世界的人権に関する賞)、同年10月にノーベル平和賞を受賞した。ただし自宅軟禁中のため自宅から出ることはできず、スウェーデンでの授賞式には夫マイケルと2人の息子が出席し授与された。

 マイケルと息子たちは、スー・チーが一旦 自宅軟禁を解かれた1995年にミャンマー(ビルマ)て再会をすることができた。そして12月のクリスマスをミャンマーで過ごした。これが、マイケルとスー・チーの最後の別れとなる。

 自宅軟禁は解かれたが、ヤンゴンから出ることを禁じられていた。その後、マイケルは前立腺ガンが判明し、ビルマのスー・チーに会うためにビルマ入国を再三ビルマ政府に要請したが、これを拒否された。1999年3月にマイケルは死去した。52歳だった。ミャンマーへの再入国拒否の可能性が高いため、スー・チーは出国できず、葬儀のためにイギリスに行くこともかなわなかった。

 映画『The  Lady―アウンサン・スー・チー、引き裂かれた愛』が2011年に全世界で公開された。監督はフランス人、スーチーの役はミシェル・ヨー(1962年生 中国系マレーシア人女優―宋家の三姉妹や007などに出演)。4年間の撮影期間を要した作品だった。監督とミシェル・ヨーは映画の日本での公開にあわせて来日している。

  この映画は1998年にスー・チーが母の看病のためにビルマに帰国する頃から夫・マイケルが死去するまでの10年間あまりを中止に作成された映画だ。

 スー・チーは2000年になり再び自宅軟禁となり、2002年には一旦解除されたが、2003年から再び自宅軟禁措置となり2010年まで続いた。この間、2007年には仏教徒らの反政府デモが広がりもした。国際社会のミャンマー軍事政権への非難が再び広がり始めた。映画『ランボ―最後の戦場』が2008年に全世界で公開される。

 映画『The Lady―』のダイジェスト版はインターネットでも視聴できる。

 2010年11月、スー・チーの自宅軟禁が解かれた。彼女は65歳の高齢となっていた。政治活動を再開したスー・チーに対し、翌年の11年6月、政府から政治活動の停止措置を通告されたが、その後、政府側との折衝で12年にNLDの議長に就任。

 2015年11月の国会議員総選挙でNLDが圧倒的な勝利をおさめる。これにともない、2016年に事実上のアウンサン・スー・チー政権が成立した。彼女は70歳。しかし、国軍の政治への権限・権力が維持されたままであり、民主化への道のりは依然として厳しいものが続くこととなった。世界各国の首脳や要人との会談がこの年より増え始めて来た。

 2017年9月、ミャンマー西部で、ミャンマー政府がイスラム系少数ロヒンギャと武装勢力との関りを何ら検証しないまま、ロヒンギャの村を放火した事実がイギリスBBCにより報道された。ミャンマー国軍が行ったものだが、この国軍を抑えることをしないまま、事態を放置し、ロヒンギャ難民が発生し隣国バングラディシュとの国境付近に避難。その数は十数万人にのぼり現在に至っている。このため世界各国からスー・チーに対する非難も起きている。

 2020年11月の総選挙は、当初NLDの苦戦が予想されていたが、蓋を開けてみれば、2015年時以上の圧倒的勝利となった。惨敗を喫した国軍は不正投票があったと主張し始める。総選挙後、スー・チーのNLDは、2021年2月から始まる国会において、「議会における軍人の4分の1枠の議席など軍の特権を認めている現憲法」を改正する動きもあった。これらに危機感をもった軍部のクーデターとの見方が強い。

 2013年4月13日、1週間の予定で27年ぶりに来日。在日ミャンマー人や、京都滞在中に家族ぐるみの付き合いをしていた大津夫妻との再会、安倍首相など日本政府要人との会談を行う。京都大学では、京都大学名誉フェローの称号を新設して、4月15日の講演時にこれを授与した。同日、日本滞在時から親交の深い大津定美教授夫妻がかって教鞭をとっていた龍谷大学で講演を行い、龍谷大学名誉博士号を授与された。龍谷大学での2000人あまりの学生・一般人が参加した講演会では、仏教の慈悲に基づく非暴力民主化運動を行う必要があるとし、「仏教の教えに心を置きながら変革を勧めないといけない」と論じた。

 2016年にも再び来日。東京で安部首相や日本政府要人と会談。この時も京都大学に立ち寄り、スー・チーがかって京都大学東南アジア研究所の客員研究員として在籍していた使っていた研究室を訪れたり、ミャンマーからの留学生たちとの懇談会に出席しているようだ。また、東京の早稲田大学も訪れている。

 2018年、アウンサン・スー・チーは、父・アウンサン将軍が1942年に、当時ビルマ方面の司令官の一人だった鈴木敬治少将から譲りうけた日本刀の修理を日本の岡山県の刀工に依頼したとの報道。この刀は人間国宝の刀工だった高橋貞次作の刀剣。ほとんどさび付いている刀の修理。父・アウンサンの大切な遺品なのだろう。

 2021年2月1日の軍部クーデターから今日12日までで10日間あまりが経過した。日に日に、ミャンマー軍事政権への抗議が広がってきている。今、拘束されているスー・チーは75歳の高齢(老齢)となっている。健康状況も心配だが、波乱の生涯はまだまだ終わりそうにない。

◆アウンサン・スー・チーの政治的力量を疑問視する声もある。また、彼女が党首をつとめる「NLD」の組織運営にも問題視する声もよく聞かれる。

◆社会派推理小説作家の森村誠一の作品に、あきらかにアウンサン・スー・チーを主人公にした作品がある。ミャンマーから来日した女性が、謎の暗殺団組織に命を狙われるという内容。よく覚えていないが、2000年頃に発刊された作品かと思う。森村誠一はアウンサンスーチーやビルマ(ミャンマー)情勢にかなり関心を持ち続けている作家のようだ。(※ちょっと作品名が思い出せない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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