彦四郎の中国生活

中国滞在記

ミャンマー:軍によるクーデター勃発❷ミャンマー(ビルマ)という国、近現代史概略―長年の内戦と軍事政権

2021-02-12 07:18:59 | 滞在記

 ミャンマー(ビルマ)国は東南アジア最大の面積67.6万㎢と日本の国土面積の1.8倍、人口は日本の半分ほどの約5600万人。ミャンマーの南北を縦断する大河がエーヤワディー川(イラワジ川)。この大河は、「中国の長江(揚子江)」、「ベトナム・カンボジア・タイ・ラオスを流れるメコン川」と同じく中国雲南省の山岳地帯を源流としている東南アジアの二大大河である。(東南アジアには、他には大河としてタイを南北に縦断するチャオプラヤー川[メナム川]がある。) ミャンマーは気候的には、南部・中部は熱帯、北部は亜熱帯となっている。

 ミャンマーの東部や北部と西部の一部は山岳地域となっていて、中国やインドと長い国境を接している。また、ラオスやタイ、バングラデシュとも国境を接している。かって、ラオスやタイとミャンマーの三国がメコン川をはさんで国境を接する山岳地帯は「黄金の三角地帯」とも呼ばれ、麻薬栽培や製造の世界最大の供給地域となっていた。

 このエーヤワディー川流域の肥沃な大地での農業生産が国の経済の中心だが、翡翠(ひすい)や宝石の世界的産地で石油や天然ガスの天然資源も豊かな国だ。2010年代に入り外国企業の誘致を盛んに行い始めた。現在、最も外国企業が多い国は中国の約2500社、次いで韓国の約1000社。日本からは約400社の日系企業が進出している。工業製品関連経済の発展は著しく、「アジア最後のフロンティア」とも呼ばれている。

 ミャンマー(ビルマ)の首都はヤンゴン(エーヤワディー川下流)だったが、2006年の軍事政権下、突如の首都移転(遷都)によってマンダレー(エーヤワディー川中流)が首都となっている。だが経済活動や人口はヤンゴンが国内最大都市。第二の都市がエーヤワディー川上流域にあるマンダレー。特にヤンゴンは「過去と現代が融合するミャンマー屈指の経済都市」となっている。

 ミャンマーは仏教の国でもあり、国民の87%が仏教徒。他にキリスト教6%、イスラム教5%、ヒンズー教0.5%などとなっている。総人口に占める仏教僧侶の数は13%にものぼり、約800万人が仏教僧侶という国でもある。民族的に最も多いのがビルマ族の68%。

 ヤンゴンの近くには世界三大仏教遺跡のバガン遺跡(世界遺産)がある。世界三大仏教遺跡は他には、カンボジアのアンコールワットとインドネシア・ジャワ島のボロブドゥール遺跡があるが、広大な森林の中に何十もの仏塔寺院がそびえるバガン遺跡の光景はアンコールワットに勝るとも劣らないとも言われる。

 敬虔な仏教徒の多いミャンマー人は、子供から大人まで、顔の額(ひたい)や頬(ほほ)に白く丸い白粉みたいなものを塗っている人も多い。2019年資料では、日本への留学生は約6000人となっていた。

 ミャンマーはかってはビルマという名称の国だった。永らくこの国は、さまざまな時代の王朝の興亡があった。仏教遺跡のバガンは、1044年から1314年まで続いたバガン王朝時代につくられたものだ。(※この間の1200年代に蒙古の侵攻により占領される時期あり)   1800年代に入って、イギリスがここを植民地化し始めた。1826年、1875年、1885年と3度にわたるイギリスと王朝との戦争によって、イギリスは植民地地域を拡充し、1885年には全土がイギリスの植民地となった。

 第二次世界大戦の勃発により、1941年~42年に日本軍がビルマに進駐し占領した。アウンサン・スー・チーの父であるアウンサンは、1938年よりイギリスからのビルマ独立の学生運動に参加、弾圧により一時期中国国内のアモイや日本に逃れたこともあった。(※アウンサンの日本名:面田紋次、日本滞在中に知り合った日本女性に一目ぼれをし、日本語で短いラブレターを書いたこともあった。)    第二次世界大戦の勃発により、1941~42年に日本軍がビルマに進駐した時期、アウンサンはビルマに帰国し、「ビルマ独立義勇軍」を組織、日本軍とともにイギリスと戦った。ビルマ全土を日本軍が占領。1943年にビルマ国としてイギリスからの独立をすることとなった。(※「満州国」と同じような日本の傀儡国だが)

   1944年、南方戦線での日本の敗色が濃くなる。ビルマ戦線では、ビルマ北部の山岳地帯からイギリスの植民地統治のインドに向けて進軍した日本軍のインパール作戦は、悲惨な敗北によって大打撃を受ける。アウンサンは1945年3月、「ビルマ独立はまやかし」との声明を出し日本軍と袂(たもと)を分かち、密かに反ファシスト人民自由連盟を1944年8月に組織。1945年3月には「ビルマ国」政府に対してクーデータを起こす。このためビルマ国首脳は日本に亡命した。そして1945年8月、日本の降伏(敗戦)。これによりビルマは再びイギリスの植民地統治下に戻った。アウンサンはイギリスからの独立運動を続けた。

 その独立運動の最中の1947年にアウンサンは暗殺された。1942年にビルマ人女性と結婚したアウンサンにはこの時、2人の息子と2歳になったばかりの娘がいた。彼女がアウンサン・スー・チーである。1948年、ビルマは「ビルマ連邦共和国」としてイギリスからの独立をようやく果たすこととなった。ビルマ国民にとって、アウンサンは「建国の英雄」「ビルマ独立の父・アウンサン将軍」となり、ビルマ国の紙幣にも彼の肖像画が使われることとなる。

 ビルマのそれからの道のりも前途多難だった。独立から「民主国家」として選挙制度を取り入れたが、10年あまりは政局が安定せず混乱も生じた。特に、民族紛争(内戦)が大きな混乱を引き起こしていた。そして1962年、ネ・ウイン将軍による軍のクーデターにより軍事政権となった。国名は「ビルマ連邦社会社義共和国」となる。その後、ネ・ウインによる独裁政権が続いたが、1988年に民衆の民主化運動でネ・ウイン体制は崩壊した。しかし、これを危惧したしたミャンマー国軍がクーデターを起こして軍事政権を開始し、国名をミャンマー連邦に改名した。2006年には首都をヤンゴンからマンダレーに移した。

 インドやイギリスやアメリカ、日本(1年間だけだが)で暮らしていたアウンサン・スー・チーは1988年3月にビルマに帰国(母の病気看護のため)した。彼女は請われて民主化運動にも参加した。このため、軍事政権は彼女の影響力の大きさを怖れ、1989年から2010年までの20年間あまり、自宅軟禁を行った。

 ミャンマー(ビルマ)には100以上の少数民族がある。1948年の独立後、ほとんどの期間、民族紛争による内戦が続いてもいた。特にミャンマー(ビルマ)からの独立を目指したカレン族(キリスト教徒が多い)のカレン民族独立軍(カレン民族解放軍)との内戦は激しく、1980年代にはカレン軍はビルマ東南部だけでなく北部の山岳地帯をも制圧した。1994年以降、中国政府の支援を受けたミャンマー政府軍の攻勢によりこの民族紛争は下火になっているが現在も続いている。(世界で最も長い民族紛争・内戦と言われている。)

 2012年にカレン民族解放軍と政府軍の休戦協定合意が行われ、65年間ぶりに内戦の激しさはおさまってきてはいる。(※これは米国政府が経済制裁を解除するかわりに、少数民族へのジェノサイトを止めることを働きかけた結果、停戦合意に至った。) しかし、70年近く続く内戦での、政府軍の少数民族への虐殺行為など、民族浄化、ジェノサイトの実態はいまだ続いている。2017年に起きているロヒンギャ族に対する弾圧もミャンマー国軍が行っているものだ。カレン族の難民も国内に12万人が難民キャンプで暮らしているし、タイなどの隣国に逃れている人たちも多い。

アメリカ映画「ランボー」の第4作「ランボー最後の戦場」の舞台はミャンマー。主演・監督・脚本ともにシルベスター・スタローンで、彼のミャンマー軍事政権やミャンマー国軍に対する強い思い・批判から作成された映画であり、2008年に世界で公開された。ここにはジェノサイトを行うミャンマー国軍とそれに抗するカレン族民族解放軍も登場する。

 2008年頃から軍事政権下において、総選挙実施などの一定の民主化を図る憲法改正などの取り組みが始まる。そして、2010年に国会の総選挙が行われた。これら一連の国内政治の変化により、アウンサン・スーチーや政治犯の釈放とともに、アメリカなどの経済制裁が暖和されていくこととなった。軍事政権が一応名目上解散し、名目上の文民政権が2011年にようやく発足した。文民政権発足により、国名がミャンマー連邦共和国とに改名された。

 しかし、憲法規定上、国会の上院・下院ともに4分の1は国軍枠と定められていて、依然として国軍の政治への影響力は強大なものが続いた。2015年の総選挙では、アウンサン・スー・チーの率いるNLDが両院で過半数を獲得したが、国軍の存在の依然とした大きさから、なかなか民主化は進まなかった。スー・チーは自身の大統領就任を行おうとしたが、国軍の反対で実現できなかった。だが、2020年の総選挙で、さらにNLDが大躍進した。NLDは憲法改正を行って国軍の政治関与を制限しようと企画していたが、新たな国会政治勢力構図での初の国会開催目前の2021年2月1日、危機感を抱いた国軍のクーデターが起きて、スー・チー氏やNLD幹部たちや政治活動家ら約220人が拘束された。

 このようにミャンマー(ビルマ)の政治状況は、「民族紛争(内戦)、国軍vs民主化勢力、米国と中国の米中対立」などの諸要素が横たわり、実に難しいものが続いている。そして、今回2021年2月1日に、再び軍のクーデターが勃発し全権を掌握。全土に抗議行動が広がってもきている。

  

 

 

 

 


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