広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

笠岡・上流側

2015-08-17 20:24:24 | 秋田の地理
だらだらと続いてきた4月末訪問の新城川シリーズ、いよいよ完結します。※最初の記事直近の記事

前回は、集落の中央部から西側へ川が付け替えられ、「新笠岡橋」が架けられた下新城笠岡字笠岡で終わっていたので、そこから川をさかのぼる。
以前からあったであろう集落の西端をたどる道は、新しい川の左岸に沿っているが、おそらく旧流路との合流点で行き止まり(未確認)。
対岸の田んぼの東端にあたる右岸の道は、付け替え工事に伴って新設されたようだ。左に田んぼと火力発電所を見ながらこちらをたどる。
下流方向。向こうが新笠岡橋
護岸は砂むき出しがほとんど。
2012年10月のGoogleストリートビューでのほぼ同じ位置は、
川のかの字もない?
左に細い旧流路が見える。ストリートビューがたどっている中央の道~右の工事用通路が現在の新流路だと思われる。
ここで新旧流路がいったんつながる(上流から見て分岐)はずだが、近くまで行かなかったこともあり、不明瞭。

新笠岡橋から200メートル強で、川は右(東)へカーブし、道はそのまま北進して下新城小学校南側の石碑(この記事最後)が立つ道路に出る。
その川がカーブしたところで、
新旧流路がまた分かれる(上流から見て合流)
左の旧流路は埋め立て工事中。新流路の200メートルほど先に架かる橋が、県道(この記事参照)の笠岡橋。

旧流路はこの先でさらに左へ膨れてすぐに右へ戻り、つまり蛇行していた。両岸に建物(簡易郵便局など)が多くあり、容易に拡幅するわけにもいかず、100メートルほど南へ一直線の新流路を作ったのだろう。
ちなみに、県道の東(上流)側では、旧流路より南が下新城笠岡字笠岡、北が同字堰場と境界になっている。(西側は両岸とも字笠岡)

県道へワープ。
旧流路の笠岡橋から100メートルほど先の新流路の笠岡橋を見る

県道の新しい笠岡橋から下流方向。上の新旧合流点


旧・笠岡橋の下は、
(再掲)埋め立て中


以前も書いたけれど、岸と同じ高さまで埋めるのか、橋はどうするのか、気になる。
工事は10月いっぱいまで


今度は、県道の新しい笠岡橋の上流側。先に、
2012年10月のストリートビュー
それから2年ちょっとで、
橋が架かり、下を川が流れる
通水記念式典は、この左側(右岸)で行われたらしい。
新しい川は県道の上流で左へカーブし、200メートルほどのところにもう1つ、真新しい橋が架かっている。
この辺りでも、新旧流路が接続(上流から見て分岐)しているはずだが、おそらく堤防によって分からなくなっている。奥のほうは旧流路を拡幅しているかもしれない。


その橋へ向かう。南側(左岸)は田んぼのようで見通しがいいが、距離的に北側からアクセス。住宅の合間を縫う分かりにくい道を抜けた所に橋があった。
狭いながらも立派な橋
河川付け替えで架けられた橋は、高欄(欄干)などはほぼ共通の規格のようだ。秋田市道であっても、県の河川工事のせいで架け替えさせられたのだから、県が架けたのだろう。
この橋は、2015年3月にできたばかりで、名前は、
「萬吉橋」
新笠岡橋(2013年3月)、県道の笠岡橋(2014年8月)、萬吉橋と工事完了近くに架けられた橋は、銘板の書体も同じようだ。

それにしても、橋の名称がおもしろい。
これまでの法則からすれば、小字名の「堰場橋」とかじゃないかと思っていたのに。
工事前には、1967(昭和42)年に架けられた萬吉橋があったようだ。もちろん昔は川幅に応じた短い橋だったのだろう。

ちょっと調べたところ、「萬吉」というのはどうも実在した人物名らしい。
姓やいつ頃のどういう人物かは不明だが、今も子孫の方がいらっしゃるようだ。【その子孫の方からコメントいただいた。下記コメント欄参照】

人名が由来の橋の名前は珍しい。ほかに秋田市内で思い浮かぶのは、市南西部豊岩地区の雄物川の堤防の下にあるバス停「市兵衛橋」とか。
橋の名になるほどだから、萬吉さんはよほどの偉業を成し遂げた人なんだろうか。
昭和42年の先代の橋で既に何代目かの萬吉橋に当たるのだろうが、当代の萬吉橋が史上最長かつ最も立派な萬吉橋であることだろう。草葉の陰の萬吉さんはどう思っておられるだろうか。

また、名前は別としてこの橋そのものが、河川改修後も残ったことも興味深い。
南岸(字堰根という小字)には田んぼと山と神社くらいしかなさそう。しかも、県道の橋とわずかしか離れておらず、そちらへ迂回すれば行き来は可能のはず。
費用対効果からすれば橋そのものを廃止しても差し支えは少なそうに思えた(少なくともよそ者の勝手な考えです)のに、立派なものが架かった。仮に橋が単独で老朽化したならば、秋田市は架け替えどころか改修も渋ったかもしれない(天ノ袋橋のように)。
県が行った川の工事の“ついで”だったからこそ、残ることができたのかもしれない。
萬吉橋から上流方向
萬吉橋の上流100メートルほどで、川幅は狭くなる。護岸の見た目からして、ここからは既存の川。すなわちここが工事の上流端のようだ。

地理院地図に加筆。赤が大雑把な新流路(自信なし)
※各地図サイトでは、下新城笠岡地内の改修工事後の状況はまだ反映されていない。

長らくお伝えしてきた新城川のレポートはこれにて完結。
旧流路を埋めた後がどうなるのか、新流路の堤防がなじんできた後の模様(堤防上をずっと歩けるようになったら)など、機会があれば、また訪れてみたい。
さらに、この上流側でも将来的には改修工事が計画(今回の工区上流端から2.3キロの下新城岩城字槻ノ木まで)されているし、さらに上流の上新城地域も含めた山間の農村部の光景にも興味がある。
秋田市内にも、まだまだ知らない場所・知らない光景があることを、今回もまた思い知らされた。

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コメント (4)
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