太田述正コラム#195 (2003.11.26)
<今次総選挙と日本の政治(補足1)>
コラム#184と185でいささか日本の政治を持ち上げすぎました。日本の政治
は、二つの深刻な問題点を抱えており、このままで日本の政治が世界の範例
となることはありえないでしょう。
1 キャスティングボードを握っている公明党
矢野穂積・朝木直子「東村山の闇―「女性市議転落死事件」8年目の真実」(第三書房2003年11月)を読みました。
著者のお二人はともに東村山市議であり、殺害された「女性市議」朝木明代さんの同志と娘さんということで、怒りがみなぎった筆致となっており、繰り返しも多く、ちょっと読みづらい本です。
しかし、書かれている内容はこの上もなく重いものです。
1995年に起こったこの殺人事件については、当時マスコミで相当話題になり、国会でも取り上げられたので、ご記憶の方も少なくないと思います。
東京都東村山市は、創価学会の勢力が強いところで、市議26名中、(建前上はともかく創価学会の政治部以外の何者でもない)公明党は6名で、自民党の7名等とともに与党を構成しています。
明代市議は、議員活動の一環として創価学会脱会者の支援や人権侵害の被害救済活動を行っていたことから、東村山市の創価学会員や公明党市議らと緊張関係にありました。
このような背景の下で、1995年に明代議員を被疑者とする万引きでっちあげ事件が起こり、更にその直後に明代議員殺害事件が起こったのです。
当時捜査当局によって、昭代市議は万引きの被疑者として送検され、また、昭代議員のビルからの転落死は万引き発覚を苦にしての自殺と断定されてしまいます。
ところが、所轄の東村山警察署で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、また、捜査を指揮した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事もことごとく創価学会員だったのです。
昭代市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったと思われます。
しかし、彼らの画策したでっちあげや隠蔽工作は、この本の著者達やマスコミによって、創価学会の執拗な妨害を受けつつも、徹底的に暴かれ、社会の厳しい批判に晒されることになります。
なお、明代市議の殺人犯はまだつかまっていません。
創価学会は、1996年にフランスの国会の委員会がとりまとめた報告書において、フランス国内最大規模のカルト(cult)(注1)と名指しされています(注2)。
週刊新潮 平成8年5月2・9日号
ワイド特集 真相 「風雪の流布」
東村山女性市議怪死の担当検事は創価学会員
創価学会から猛烈な嫌がらせを受けていた東京都東村山市の〃反学会市議〃朝木明代さん(五○)=当時=が謎の転落死をとげて八ヵ月。
早々と捜査終了宣言を出した警察に代って、遺族は地検の捜査に望みを託している。
が、転落死事件の担当検事が、なんと当の創価学会信者だったことが判明したのである。
「えっ、検事が創極学会員。嘘でしょう?彼は転落死事件の究明にとても熱心に見えたし、てっきり私たちの味方だと思っていたのに・・」
と絶句するのは、故朝木市議と共に創価学会問題を追及していた矢野穂積市議だ。
無理もない。
矢野氏や遺族は事件以来、この検事を信用して、ずっと転落死事件や嫌がらせ行為に関する情報提供を続けていたのである。
昨年九月一日、朝木市議が東村山駅前のピル六階から転落死した事件は、十二月に警視庁が「事件性なし」とする捜査報告書を東京地検に提出した。
朝木氏と対立していた創価学会は、それ見たことかとばかりに聖教新聞などで大大的に書き立てたが、矢野氏や遺族はこれで事件が迷宮入りずるとは思わなかった。
「警察ば捜査を放り出しても、東京地検八王子支部の担当検事が、依然として関心を示していたんです。
私は深夜に何者かから暴行を受けたり、創価学会員からトラックで轢かれそうになるなどの被書をうけ、この検事に訴えていました」(矢野市議)
その地検検事とは、信田昌男氏(三九)。
津地検や横浜地検、そして前橋地検勤務を経て東京地模八王子支部に異動してきた中堅検事だという。
信田氏は、咋年来、一連の朝木事件を担当した後、この四月一日に甲府地検へと異動した。
その信田氏が、よりによって創価学会員だったというのだ。
信田氏の親戚によれば、
「昌男は学会員の家庭に生れ、今も熱心な信者ですよ。父親は早くに亡くなりましたが、昌男は創価高校、創価大学に進みました・・・」
信田氏は、昭和五十六年に司法試験に合格した司法修習三十六期生。大学時代の関係者によると、
「当時の信田君は、学会活動より、司法試験に合格して池田先生の期待に応えたいという闘志を内に秘めたタイプだった」
という印象が残っている。
昭和五十六年十一月十六日付の聖教新聞には、司法試験に合格した信田氏のこんなコメントが掲載されている。
「社会正義を生涯かけて実現できる職業にとの考えが、創立者との出会いを通して深まり、司法界へ雄飛しようと決意した」
もちろん、コメントの中の〃創立者〃とは、池田大作氏のことである。
そもそも信田検事が、矢野市議らとかかわるようになったのは昨年六月、故朝木市議が万引き容疑をかけられた事件からだ。
「信田検事が万引き事件のあとやって来て、担当する旨、告げられたのです。
しかし、驚いたのは咋年七月、私が深夜に暴行を受けた件で弁護士が信田検事に相談にいくと、〃これは朝木さんが嫌疑を受けた万引き事件と関係があるんじゃないか〃と向うから切り出してきた。
警察がなかなか動いてくれず業を煮やしていた時でしたから、話の分る検事さんだと嬉しく思ったものです」(矢野市議)
信田検事は朝木市議転落死事件のあった当日も、早朝から「検死」に立ち会っている。
その約一ヵ月後、矢野氏は信田検事に呼び出されてこんな説明を受けたという。
「私も事件の現湯に行ってみました。
あなた(矢野氏)が警察に不信感を抱いているのは良く分ります。私としても朝木さんのような事件が再発しないよう処理したい」
また、別の日に会ったときは「警察はあてにならないから辛いよね」と同情的な言葉もかけてきたという。
警察が捜査終了宣言を出した後も、信田検事は「事件は捜査中」と矢野氏らに話しており、甲府地検に異動する直前の三月三十日には、矢野氏に対して、
「転落死事件の捜査は継続します」
と、明言している。遺族が期待を抱いたのも当然だったのである。
朝木市議の長女・直子さん(東村山市議)は今、いう。
「なぜ担当検事が創価学会員だったことを検察庁は私たちに教えてくれなかったのでしょう。
私たちが創価学会問題を追及し、そのために嫌がらせを受けてきたことを検察庁は承知しているはずです。
私たちはそうとも知らず、調ぺに応じ、寄せられた情報も全て提供してきたのですよ」こうした遺族の声に対して東京地検企画調査課では、
「検事の信教が事件と関連する場合は上司が判断し、担当を外す湯合があります。このケースは大丈夫だったということでしょう」
と、まるで他人事だ。
当の信田検事に聞く。
「確かに私は創価高校、創価大学出身ですが、何を信仰しているかは言う必要はないでしょう。
しかし、創価大学卒だからといって捜査に影響が出ることはあり得ない。朝木さんの事件に関しても捜査は厳正に行なったつもりです。だから遺族に出身校を教える必要はありません。
この事件は警視庁は捜査終了としていますが、地検は継続捜査しています。
ちゃんと新任の検事に引き継いできましたよ」
が、ジャーナリストの乙骨正生氏はいう。
「咋年のオウム事件では、警察や防衛庁のなかに信者がいて実際に情報漏洩が問題になりました。
こうした前例があるのに、学会関与が焦点となっている事件にわざわざ学会信者の検事をつけるなど、考えられないことです。
まして創価大から司法試験合格者を出すことは池田名誉会長にとって〃天下取り〃の重要戦略。
司法試験合格者には徹底した宗教教育が施されているのは、知る人ぞ知る事実です。
検察は本気で事件を解明する気があったのでしょうか」
実は、もう一つ驚くぺきことにこの朝木市議転落死事件を担当する東京地検八王子支部の吉村弘支部長も、学会信者だった。責任者も担当検事も両方、創価学会員だったというのである。元学会顧問弁護士の山崎正友氏がいう。
「吉村支部長は、私が創価学会に作った法学委員会の初期のメンバーでした。
検事になった者は〃自然友の会〃というグループに属し、年に一、二回、池田名誉会長と会食の栄誉に与ることができました。
彼は、新進党の神崎武法。元郵政大臣(一元検事)の一期下だったと記憶しています」
検察の学会汚染、恐るぺしである。
2004年1月15日号
特集/検証―新事実が明らかになった「東村山事件」
東村山市議「怪死」事件とその背景
ジャーナリスト 段 勲
筆者の机の中に、色あせた1台の携帯電話が保管されている。電源は8年少々前から切れたままで、もはや何の利用価値もない。が、捨てるには忍びない思いが刻まれている……。
「朝木さんが死んだ!」
95年9月2日早朝、ジャーナリストの乙骨正生氏が自宅に、一報を入れてくれた。
東京・東村山市の朝木明代市議(当時=50)とは、その何日か前にお会いしたばかりである。瞬間的に、ブルーのスーツがよく似合う朝木市議の清楚な顔立ちが浮かんだ。
「死んだって、なぜ!」
「東村山駅前のビルから転落したようです。今、東村山警察署にいますが、他殺なのか、自殺なのか、あるいは事故なのか、まだ分からない」
電話でこう伝えてくれた乙骨氏の声が上ずっていた。
筆者にとっても極めてショックだったのは、実は当日の夕方、朝木さんたちとお会いする約束をしていたからである。
四国・高知市の市民団体「ヤイロ鳥」主催の「宗教法人法と政治を考える」というシンポジウムに、パネラーとして朝木、矢野穂積両東村山市議、それに乙骨氏と筆者が招かれていたのだ。
創価学会による人権侵害問題に取り組んでいた
四国の市民団体が主催する「宗教法人法と政治」を考えるシンポジウムに、なぜ、東京の朝木市議たちが招かれていたのか。当時の国政状況と無関係ではない。
38年に及ぶ自民党の単独政権が崩壊し、93年8月、細川連立政権が誕生した。しかし、佐川急便スキャンダルで細川は失脚し、継承した羽田政権もわずか2カ月の短命で終わる。
こうしためまぐるしい政変のドサクサの中で、公明党・創価学会は悲願の政権参加を果たし、続々と大臣を送り込んだ。
学会のはしゃぎぶりは大変なもので、例えば、同会の名誉会長で、最高指導者でもある池田大作氏自らが、こんな発言記録を残している。
「皆さん方も頑張ってくれた。すごい時代に入りましたね。
そのうちデェジンも何人か出るでしょう
。ね、ね、もうじきです。ま、明日あたり出るから。あの、みんな、あの、皆さん方の(大臣は)部下だから、そのつもりで、明日の新聞楽しみに……」(93年8月8日「本部幹部会」=長野研修道場)
細川内閣の閣僚名簿の発表前日、一宗教団体の長が「明日当たり出るから」といって予告した公明党の閣僚人事は、翌日、すべて的中していた。
この発言は、国民のひんしゅくを買うのと同時に、政権から崩れ落ちていく自民党を強く刺激する。同発言は国会でも取り上げられ、やがて公明党と創価学会の政教分離問題について、自民党を中心にした国民世論が巻き起こっていく。
宗教法人は収支決算書、財産目録等を明らかにせよといった「宗教法人法の改正」(96年9月施行)論議が国会で浮上したのも、政権のふところに介入した創価学会・公明党の出鼻をくじく、自民党の「策」と無関係ではない。
当時、「四月会」、「憲法20条を考える会」の結成など自民党の執拗な攻撃に、学会・公明党の足場が揺れ動いた。その一方、東村山市という東京都下の一市議の立場ながら、「草の根市民クラブ」所属の朝木市議らも学会・公明党の諸問題点を市議会の席上等でガンガン追及していたのである。
福祉活動に汗を流していたボランティア重視の専業主婦が、82年の東村山市議選に初めて出馬。以来連続3期12年の朝木市議が、なぜ学会・公明党問題に深く関与することになったのか。
詳しくは乙骨氏の著書『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会)に譲るが、その関わり方も半端ではなかった。
この当時、学会は宗門から破門され、双方間で激しい火花を散らす抗争が展開されていた。朝木市議も、この渦に飛び込むことになる。きっかけは同市議たち「草の根市民クラブ」が発行する月1回のミニコミ紙「東村山市民新聞」(発行部数4万部強)であった。
購読者から、「学会を脱会する際の嫌がらせ」の相談を受けたことを紙面化。さらに朝木氏は、
「学会員や公明党議員の中には、平気で人権侵害する人がいます。応援しますので頑張って!」
と、呼びかけたのである。
呼びかけたばかりではない。
脱会を希望する学会員たちの“代理人”を買って出て、脱会する学会員による「脱会届」と一緒に、創価学会会長・秋谷栄之助氏宛に次のような要望書も送付している。
「今般、一身上の都合で創価学会を脱会いたします。以後、接触を希望する場合は,代理人朝木明代に連絡願います。
創価学会会長 秋谷栄之助殿…………」
巨大な宗教組織に対して、真っ向から立ち向かおうとする朝木市議の行動が、やがて東村山市の枠を越え、全国にその名を浸透させた。高知の一市民団体が講演者として、朝木市議に白羽の矢を立てたのもそうした背景からである。
『疑問だらけの「万引き事件」』
そんな朝木市議に、突如として予想外のスキャンダルが炸裂した。命を落とすほぼ3カ月余前に起きた「万引き事件」がそうである。
まだマスコミも情報をつかんでいない時点(95年7月11日)で、以下のような匿名ファックスが東村山市の各マスコミに流れたことで事件は表面化する。
「東村山市議会議員の朝木明代氏が、市内の女性服販売店で万引きをしたとの事実を確認いたしました。
去る6月、東村山市の東口近くのブティク『スティル東村山店』で、店頭ワゴンに並べられていた商品(女性服)を朝木氏が万引きをして逃げようとするところを店員に捕まり、その場で商品を取り上げられたとのこと。
事後に、店からは警察に被害届が出されています……」
朝木氏が万引きをしたという肝心の商品は、1900円のTシャツである。この情報を筆者も得たとき、「東村山市民新聞」に報じられていたある記事が思い出された。
朝木市議は、東村山市議会が、自らの議員報酬引き上げをしたという「お手盛り引き上げ」を徹底批判。
以後、同市議は8年にわたって給与の引き上げ分やボーナスの割増し分を返上。95年5月まで、返上総額は806万5420円にのぼっていた。
万引きしたとされる1900円のTシャツ、4523枚分である。
実直で、不正を蛇蠍のごとく嫌っていた朝木市議が、たかだか1900円のTシャツ1枚に手を出すか? 本人を知る筆者の素朴な疑問であった。
だが、この万引き事件を地元警察署は、朝木市議が5階建てビルの屋上から身を投げる「自殺」の動機とほぼ断定したのだ。
「あの朝木市議が」
という万引き事件は、各週刊誌も報じ、やがて全国的な話題になった。
さらに、同事件が明らかになった直後(7月16日)、朝木市議と共に「草の根市民クラブ」を構成していた矢野市議も、何者かによって不可解な暴行を受けている。
その暴行ぶりも尋常ではない。
未明、事務所から自転車で帰宅しようとした矢野市議に、何者かがいきなり襲いかかってきた。
自転車を奪って路上にたたきつけ、ヘッドロックしながら顔面や頭を投打。
矢野市議は自転車で数百メートルほど逃走したが、再び同一犯人に追いつかれた。
大声を出して助けを求め、近くの公園にいた若者グループが駆けつけてくるまで、前歯を折るほどまた激しく殴られ、蹴られていたのだ。
頭部、顔面挫傷で、全治2周間のケガ。
当然、警察に被害届を出しているが、いまだ犯人は不明のままである。
このほか、朝木、矢野両市議の周辺では怪文書が撒かれ、脅迫文が届き、朝木氏が愛用している自転車のブレーキが切断されるなど異常な事件が相次いだのもこの時期である。
こんなさなか、筆者は東京・池袋の喫茶店で朝木、矢野両市議に会った。
当事者に先の万引き事件を問うためである。朝木市議の人権を無視するような失礼なことも聞いたが、ご本人は万引きを一貫して否定していた。
取材をお願いしたのは当方である。
別れ際、コーヒー代を支払おうとすると「割り勘」で、と言う。
これが朝木市議に会う最後になった。
話を冒頭の携帯電話に戻す。
朝木氏が命を落した東村山の現場周辺に何度か足を運んだ。警察が発表する「自殺」について、素直に受け入れることが出来なかったからである。
(関連記事)
『自民下野か大連立しかない政局と公明党問題 』2月17日
また、あるとき映画を観せると言われて、迂闊にも行ったら、池田君のプロモーションビデオみたいで呆れました。
いや、こんな事はまだ良いほうなのでしょう。
こんな宗教団体は要らんなあと思います。
オウムより始末が悪くなっている気がします。
言い過ぎですかね。
関西の特定地域には創価学会がやたらと多い地域があるんですわ.東京の東村山市付近も同じ.
彼らが多い所の特徴は「新興住宅地」である所です.つまり阪急や西武によって新しく開発された,菩提寺も墓地もない,つまり死んだら困る,という地域です.
創価学会の特徴は真宗に対抗して仏壇を棄てて献金しろ,墓も棄てて創価学会の共同墓地に埋めよという,カルト特有の強制性にあります.ちなみに共同墓地も創価学会傘下の暴力団が無理矢理にもぎ取ったものです.つまり,暴力団とカルト宗教がくっついたという意味ではオウムよりも質が悪い,統一協会のようなものです.
そもそも,宗教団体が政党を持つなんて,憲法20条に違反します.それを平気で破るとは,警察権力も司法権力も完全にマヒしている.この国は既にその時点で「法治国家」ではなくなっているのですよ.
オウムが『オウム真理党』の名前で参議院選挙に立候補したり、
インチキ霊感商法の統一協会が『勝共連合』を名乗り政治結社を装って、多くの自民党議員に対して、無料で個人秘書を大量に送り込み活動している。(議員個人の弱みを握れば操れる)
創価学会は『公明党』。
権力に接近すれば(権力を握れば)怖いものなし、何でもできる様になる。
オウム、統一協会、創価学会の順番にカルトは小さいほど精鋭化し危険になる。
三者では創価学会が一番大きいので一番穏健ですが、選挙戦では民主党など相手陣営へ猫の死骸を投げ入れたり口コミの誹謗中傷、家族への嫌がらせ等カルトならではの違法行為が色々報告されています。
カルトがらみの犯罪はほとんどが隠蔽されます。
オウムの坂本堤弁護士一家殺害事件でも、犯人の一人岡崎一明から神奈川県警に垂れ込みがあっても警察当局は強制捜査に入らなかったし、松本サリンでも地元山梨県上九一色村では地元民のほとんどすべてがオウムを指摘したが警察は動かなかった。
カルト教団が関係している、赤報隊事件では、あれ程物証があっても警察は犯人を特定出来ない。肝心の教団中枢部に対して絶対に強制捜査できない(しない)ので犯人が特定できるわけが無い。
過去の例から判断すると、東村山警察署が証拠があろうと無かろうと、絶対に強制捜査に入ることはありません。
公明党と自民党政治の関係は、当ブログの2月17日の記事
『自民下野か大連立しかない政局と公明党問題 』 に書いてあるので参考にしてください。
ブログでのハンドル名は実はドイツ語なんです.Katz かっつ というのが元の形で「ネコ」という意味です.これを変化させて「子猫ちゃん」にしたのが kaetzchen なんですよ.
最初の母音の a は ae に変わります.ほら,スーパーの「イオン」は aeon と書くでしょ.その通りに「アェ」となまるんです(aeon のように語頭に来た時は「イェ」,ラテン語でも同様).tz は「つ」になる,ドイツ語特有の発音で,戦前はこれで一文字に綴っていました.
最後の -chen は「指小形」と言って「~ちゃん」のように子供などを指す時に使う語尾で「ひぇん」と発音します.だから全体で「けっつひぇん」になるんです.ドイツ語を学んでない方,どうもすみません.
# 私はほぼ独学でドイツ語を学んで,大学入試もドイツ語で受験し,通訳資格も持っています.これを自慢と受け取るかどうかはその人の度量だと私は思いますけどね.高校時代にドイツ語を習った言語学者と神父さまの柔軟な発想と教え方に今でも感謝しています.(授業を抜け出して,教養部と教会へ出掛けた~♪)
実はドイツ語の名詞は全て大文字ではじまります.
だから kaetzchen も本当は Kaetzchen,さらに定冠詞を付けて das Kaetzchen という中性名詞に綴らないといけないのです.
ところがブログのハンドル名に大文字が使えないことに気が付いた! そういう訳で,小文字を使っています.
しかも批判すべきマスコミは皆無と来てますからますます始末に負えませんね。
かつての自民党、特に旧田中派(橋本派)なんかは創価攻撃の急先鋒だったんですがね~。
今の清和会はべったりですもんね。
某改革で旧来の支持基盤を切り捨ててますから自然と創価の組織票頼みになるんでしょうね。
ある奈良の選挙区では創価の集会で自民党候補が土下座までしたと言いますしね・・・・
もう世も末ですね。
その内、創価で無ければ人であらずみたいな国になっちゃうんでしょうかね~。
マスコミや芸能界も創価だらけになっちゃいましたしね。
古くは河野洋平の新自由クラブ。新党さきがけや旧社会党、保守党など全て消滅している。
唯一の例外が公明党ですが、公明党-創価学会=0ですから最初から政党としては存在していない。
だから何年自民党と連立しても、0-0はやっぱり0で消滅しようがないんですね。