逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

JAZZと左翼が同じ範疇だった日本 (^_^;) 

2017年09月07日 | 社会
不覚にも 読んでいるうちに 感極まって思わず涙が出てきた身につまされるコラム記事

<逸脱>した若きジャズミュージシャンへ、39歳の元ジャズミュージシャンより 2017-09-06八幡謙介ギター教室in横浜

日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について何度も書いてきましたが、この事件…というよりは渦中の中学生ドラマーに対する僕の”気持ち”は一切公にしてこなかったので、(たぶん)最後にそれを述べておきます。

以下は単なる僕の気持ちであり、事件に対する客観的な考察でも意見でもありません。



<逸脱>した若きジャズミュージシャンへ

ドリバンのライブお疲れ様でした。

僕は今年39歳になる元ジャズギタリストです。

ビバップを中心に演奏活動をしてき、あるときからフリージャズに転向したものの、いろいろあってジャズミュージシャンであることはやめました。

ここ数年はジャズを聴くこともほとんどなくなり、細々と教えたり、時々ブログに記事を書いたりしています。

そんなある日、ビンタ事件を知り、独自にリサーチしたり考えたりし、それらを記事にもしてきました(もしかしたら目にしているのかもしれません)。

君が尊敬している(と報道されている)人に対して批判していることについて気を悪くしていたら謝ります。



僕は基本的に社会問題には首を突っ込まないようにしています。

めんどくさいですからねw

でも今回だけは違いました。

僕をそうさせた一番の要因は、社会正義でも暴力への嫌悪でも音楽教育への危惧でも体罰への問題提起でもなく、君をかっこいいと思ったからです。



僕は、ジャズは<逸脱>する音楽だと思っています。

ルールをあえて破ること、逆らうこと、反抗すること、そしてその上で音楽としてギリギリ成立させることがジャズだと僕は信じています。

そして、僕自身も可能な限りそうしてきました。

と同時に、やればやるほど僕はジャズにうんざりしてきました。

というのは、日本のジャズシーンでは<逸脱>することを戒める風潮があるからです。

サウンドは流麗に、タイムは正確に、アドリブは上手に……

それに加えて、日本社会独特の礼儀や譲り合い、思いやりの精神、年功序列、徒弟制度などが無理矢理適用され、本当につまらない音楽になっていると思います。

僕はある時期から、日本のジャズに1ミリも期待しなくなりました(その気持ちを吐露したのが「ジャズに人が集まらない理由」という本です)。

そんな中で、君のことを知りました。



君の演奏は切り取られた動画でちょっとだけしか観ておらず、後はその場にいた人のツイートなどで想像しただけなのですが、トレーディング(8バースか16バース?)の流れをあえて断ち切り、自分のドラムソロとして喰ったこと、他のプレイヤーを巻き込んで何かをはじめようとしたこと、その結果スティックを取り上げられたにもかかわらずまだドラムを叩こうとしていたこと、暴力に反抗したこと…

その行為全てを僕は純粋に「かっこいい!」と思いました。

と同時に、日本にもこんなジャズミュージシャンがいたんだと、救われたような気持ちになりました。

君の<逸脱>は、僕には最高にJAZZに思えました。



僕も自分で言うくらいなので、音楽活動の中で<逸脱>をしてきました。

ごく普通のジャズクラブでフリージャズをやって店長に怒られ事実上出禁になったこともあります。

自分の名刺代わりになる大事な演奏やDVDの収録で、あえて実験的なことをしたりもしました。

しかし僕のそれは、方法論としての<逸脱>であり、それをすることがジャズだとわかっているからできたことです。

もっとわかりやすく言うと、僕は知識で<逸脱>しただけで、心までは<逸脱>していなかったのです。

しかし、少なくとも僕の目には、君が心から<逸脱>したように見えました。

だから僕には君がキラキラと輝いて見えたし、はっきり言って嫉妬すら覚えます。

なぜなら、39歳になる僕はもう二度と心から<逸脱>できそうにないからです。



すでに感じているかもしれませんが、残念ながら日本のジャズシーンおよび日本社会は、君の<逸脱>を容認しません。

おそらく今後、あらゆる機会にあらゆる大人が君の尖った部分を有無を言わさず削っていくでしょう。

それを少しでも感じたとき、どうか抵抗し、反抗してください。

誰であれ、君が心から望んでいることにストップをかけてくる大人を疑ってください。

そうすることであらゆる困難が君に降りかかるでしょう(それはもう知っていると思います)。

もしかしたら、誰も相手にしてくれなくなるかもしれません。

もしそうなったときは僕を訪ねてきてください。

何もできないかもしれませんが、話ぐらいは聞くことはできます。



それでは。



39歳の元ジャズミュージシャンより



✱ プロフィール

id:k_yahata

ギター講師、作家。バークリー音楽大学卒業。「ギタリスト身体論」などの核心的な教則本をはじめとした独自の演奏論、指導論に、プロギタリストからも定評がある。キンドルにて小説も多数発表。

『そもそも、同調圧欲が強すぎる(建て前や規律重視の)日本人には向いていなかった黒人音楽(ジャズ)に挫折したk_yahata氏の必然的悲劇』

毒舌家のコメディアン北野たけしが東京スポーツで、
『片山右京が富士山で遭難したらしいね。これ訓練なんだろ? 南極に行こうとしてたヤツが富士山で遭難してたらダメだろ。』
『片山にはオレは一回会ったくらいだけど、日本人のF1レーサーって 何でF1やるのかよく分からないね。世界とはレベルが違うもの。 』と語っているが、今回の日野皓正児童虐待(ビンタ)事件ではyahata氏も同一のことを語っていた。
ジャズの演奏者もファンも同じで、誰一人も日野皓正を世界的なジャズの大家とは認めていないのである。(一回も勝てなかった日本人F1レーサーの片山右京と同じ)
ロックバンドのメンバーは固定している。ところがジャズバンドは個人奏者の集まり(日替わり)なので固定していない仕組みなので、日本の場合には余計に陰湿な個人に対する排除(いじめ)が発生するとの怖ろしい事実も告発していた。

まったく知らなかったが『日本ではJAZZと「左」は同じカテゴリーだった驚きの真実! (^_^;) 』

yahata氏の目指していたJAZZを、左翼とか革新の言葉に置きかえて読めば、『お前たちは間違っている』(今までが間違っていた)とのオルタナティブな左翼護憲派ブログ『逝きし世の面影』読者諸氏のほぼ全員に対して99%以上当てはまるでしょう。今回yahata氏の具体的に指摘したことが、あまりにも自分自身にもピッタリだった。
思い当たる『悲しい事実』が多すぎて、到底涙なしには読めないのである。

(おまけ)
 菅野完‏ @noiehoie
しかし山尾志桜里に関する陰謀論がネットに多すぎて笑ってしまう。こんなもん官邸の差し金なわけなかろうが。官邸がやるんなら、幹事長就任まってからにするだろうよ。
こんなもん、民進党のゲスが、デキる女への嫉妬で、党内の足の引っ張り合いでネタ売っとるのよ。もう潰れてしもうたらええのに

北海道新聞によると、『既婚男性との交際疑惑を週刊文春に報じられた民進党の山尾志桜里元政調会長(43)が同党関係者から議員辞職を促され、対応を検討していることが分かりました。』
PTAでもあるまいし『離党』でもやり過ぎなのに、民進党の同僚議員から『辞職』まで求めているとは呆れるやら驚くやら、民進党の本当の敵は、同じ民主党内の議員ですね。これで間違いなく民進党は『終わり』です。

『学校でのイジメ自殺が問題とされる時代だが、・・・』

日本の学校現場で『イジメ』問題が深刻化した原因とは、歴史的に考察すると昭和50年代の『荒れる学校』(不満をもった一部生徒による教師への暴力)の深刻化での警察権力の導入があったが、このことをタブーとして封印したので誰も言わない。(一部識者だけは『学校現場への安易な警察介入は、教育の放棄だ』と批判するが主流にはならなかった)
『原因』(深刻な生徒の不満)を解決することなく『結果』(教師への暴力)だけを警察権力(暴力)を使って抑え込めば表面的には平和になる。
ところが、(暴力を暴力で押さえれば)必然的に内部圧力が高まるのである。→必然的に暴力(不平、不満)は内部に向かい『豆を煮るに豆がらを燃く』(イジメ)が起きてしまった。科学的因果関係から見れば何の不思議も無かったのである。
教育評論家の尾木直樹が指摘しているように、キリスト教の欧米とは違い、君子の道徳である儒教の影響が強かった江戸時代の寺子屋時代には体罰は無かったのです。(決して開けてはいけない『パンドラの箱』の蓋を、迂闊にも開けたのは日本軍だった)

『日本国独自の、陰湿な「いじめ」も「体罰」も原因はまったく同一。一つのコインの裏表だった』

江戸時代や明治初期の日本の教育には体罰は無かった。ところが、徴兵制で学校にも軍事教練が導入された戦中に学校教育の中に軍人が入ってきたことが大きく影響、軍隊のやり方で子供たちを殴り始め、それが教育だと勘違いして、軍人ではない教師たちも殴って言うことをきかせるようになってしまった。
敗戦後の昭和30年代には逆に教師が生徒に殴られる時代があったが、当時の先生は生徒をバンバン殴っていたので、ある意味、双方向の暴力的コミュニケーションが成立していた。
その後40年代には教師が生徒を一方的に殴る時代を経て、昭和50年代の『荒れる学校』(生徒による教師への暴力)になり、今は教師も生徒も表向き平和になったが、その分だけ余計に圧力の逃げ場として陰湿ないじめにつながった。
人間万事『因果は巡る糸車』なのである。
テレビ番組内でタレントの松本人志が、『体罰はむかしは当たり前だったのに、今は云々』と喋っていたが、彼は教師が生徒を一方的に殴る昭和40年代に教育を受けていた。

(おまけ)

『プロクルステスの寝台』教育とは聖職ではなくて最も卑しい、汚い賎業だった (^_^;) 

プロクルステスは、ギリシア神話に出てくるアッティカの山賊だが表向きは宿屋を営んでいた。プロクルーステースとも呼ばれるが意味は『伸ばす人』。
運悪く通りがかった旅人を捕えたプロクルステスは、持っている鉄の寝台に寝かせ、体が寝台からはみ出したら、その部分を切断し、逆に、寝台の長さに足りなかったら、サイズが合うまで体を引き伸ばす悪事を重ねていたが、最後に英雄テーセウスに同じ『プロクルステスの寝台』のやり方を用いて退治される。
体罰教師とか日野皓正ですが、彼らはギリシャ神話に出てくるプロクルステスと同じで自分の持っている『寝台』の基準に合わせて、はみ出した部分を切り取ったり、逆に短いと引き伸ばしたりしているのです。(★注、子供たちに用意した寝台の寸法が大きいので、保護者は怒るどころか通常は伸ばす人『プロクルステス』を大喜びする。ところが、今回は逆に子供の方が大きくて寝台からはみ出した部分を切り落としたの大騒ぎになった)
確かにプロクルステスは悪党だが、自分の悪事を知っていた。ところが日野皓正の方は同じことをしているのに、なぜか自分では『正しい』と信じていて少しも疑っていないのです。(退治するテーセウスも出てこないから救いが無い)
それぞれ別々で『寸法』が大きく違っている子供たちを自分の基準に合わせて引き伸ばしたり切り落としたりする明らかな『残酷過ぎる事実』に気が付いていない愚か者だった。(彼等は何故こんな簡単なことに気が付かないのだろうか。実に不思議だ)



コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« とうとう「中身」が見えてき... | トップ | アウン・サン・スーチーが欧... »

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『ジャズにビンタを持ち込んだ日野先生』 (ローレライ)
2017-09-07 15:06:23
『ジャズにビンタを持ち込んだ日野先生』、『悪しき逸脱』をしてしまった!『教育に体罰導入の悪しきリピート』。
返信する
こういう大人でありたい (ちくわ)
2017-09-07 23:51:15
八幡氏の素晴らしい勇気に敬意を表します。

ドラムを叩くのは音楽活動、人を殴るのは犯罪。
どちらが悪いかは明白なのに・・・。
こんな単純な事すら判断できなくなっている、今の時代は恐ろしい。
返信する
やっかみ、なのでしょうね ()
2017-09-08 11:42:40
老境に差し掛かり、アイディアの枯渇した大御所が、若い可能性のあるタレントに嫉妬する構図って、とても陳腐なんですが実のところ“あるある”なんですよね。日野氏の件然り、山尾議員の件然りでしょうか。
自らが衰えを感じても泰然としていたいものですが、嫉妬を創造のエネルギーとする人達も存在しますので…厄介ですね。
返信する
暴力 (農婦)
2017-09-08 15:15:03
コメントいれたのですが,消えてました。私の子供達はいじめに会い大変な思いを経験しました。頭が真っ白になる位,何ヶ月間も心中しようと思ってた時期もありました。あれから25年~30年,ようやく生きててよかったと思えるこんにちです。人はそれぞれ個性があってこそ、お互いの社会が築けるのだとようやく自覚しつつある私です。家庭内においても皆考え方が違い争いもありますが、家庭は一番小さい社会の基盤です、思いやる愛がなければ崩壊するより道はないけど、殺しあいは絶対に避けるべき事なのは常識です。国対国のあらそいも、人類愛があれば避けられると思うのは単純すぎますか?食べ物を廃棄する国,食べ物に飢えた国、何故にこんな矛盾が起きるのか、人間は恐ろしい。
返信する
「権威依存主義」からの逸脱こそJAZZでは (海坊主)
2017-09-08 22:11:45
件の有名ジャズトランペット奏者の騒動ですが、宗純様が取り上げられた軍隊の悪しき風習の残滓と共に、日本に強く蔓延る権威主義への盲従、つまり権威依存主義という問題も孕んでいるようです。

「世界が認めた」や「世界の」という枕詞が大好きで、外部の評価で自身の規範すら容易に揺らがせる無神教民族が抱える悲しき「権威依存主義」ゆえ、件の有名奏者が権威でないことをこれ幸いと叩いているように私に見えます。
その文脈で今回の記事を読み返すと権威依存主義に捉えられた者の悲哀を感じさせます。

「読んでいるうちに、思わず涙が出てきた」ですが、有名だが権威でない者を叩く(被害者に讃えるように擁護する)という行為を正当化できる機会を得たと錯覚させ、自己再生産的な浄化(カタルシス)を生み出してしまう、その構図に対して表現した良いタイトルだと思ってました。

もし、件のジャズトランペット奏者がその分野で押しも押されぬ権威であったとしたら、ここまで話題にならなかったでしょうし、小さく葬り去って居たことでしょう。それが徴兵制式軍隊の発足からの伝統と言えるでしょう。強い者が強いうちは平伏し忖度するのに、一度権威の皮が引き剝がされれば、川に落ちた犬を叩くかのようにヒステリックに糾弾する。

いつも見ている風景ですね。
JAZZは形式美や様式美から逸脱して自己内面に持つ独自の規範に従って紡ぎ出す表現であって、その表現には責任が伴うのだからそういうこともある、とこの事件を受け止めて居ます。
返信する

コメントを投稿

社会」カテゴリの最新記事