《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 さて、これで賢治の大正15年を概観できたので、今度は時間軸に沿って少しく詳しく見てみよう。
別宅の改修
まずは大正15年当初についてであるが、当時賢治はその頃何を考えどんなことをしていたのだろうか。先に掲げた「賢治の大正15年一覧表」を見てみれば、1月半ばには下根子桜の宮澤家の別宅の改修を賢治は行っていたことが判る。
『新校本年譜』によれば1月中旬に . . . 本文を読む
3月17日、裏山にセリバオウレンが咲いていた。となれば、もちろん胡四王山のそれも咲いているだろうということで訪ねたならば…
《1 もちろん咲いていた》(平成27年3月18日撮影)
《2 》(平成27年3月18日撮影)
《3 》(平成27年3月18日撮影)
《4 》(平成27年3月18日撮影)
《5 》(平成27年3月18日撮影)
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本日(3/18)も暖かかったので、おそらく成島毘沙門山のカタクリは咲いているだろうと思って二日ぶりに出掛けてみたならば…
《1 》(平成27年3月18日撮影)
《2 》(平成27年3月18日撮影)
《3 》(平成27年3月18日撮影)
《4 》(平成27年3月18日撮影)
《5 やはり咲いていた》(平成27年3月18日撮影)
《6 アズマイチゲ》(平成27年3月18日撮影)
《7 . . . 本文を読む
今回は、花巻は台温泉の自生福寿草である。
《1 》(平成27年3月17日撮影)
《2 》(平成27年3月17日撮影)
《3 》(平成27年3月17日撮影)
《4 》(平成27年3月17日撮影)
《5 ばっけ》(平成27年3月17日撮影)
《6 タネツケバナ》(平成27年3月17日撮影)
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そして裏山にはもちろんセリバオウレンも咲いている。
《1 》(平成27年3月17日撮影)
《2 》(平成27年3月17日撮影)
《3 》(平成27年3月17日撮影)
《4 》(平成27年3月17日撮影)
《5 》(平成27年3月17日撮影)
《6 》(平成27年3月17日撮影)
《7 》(平成27年3月17日撮影)
《8 》(平成27年3月17日撮影)
《9 》(平成27年3月1 . . . 本文を読む
今年は昨年よりも実は春が早いのだろうか、裏山にはもうユキワリソウが咲いていた。
《1 》(平成27年3月17日撮影)
《2 》(平成27年3月17日撮影)
《3 》(平成27年3月17日撮影)
《4 》(平成27年3月17日撮影)
《5 》(平成27年3月17日撮影)
《6 》(平成27年3月17日撮影)
《7 》(平成27年3月17日撮影)
《8 》(平成27年3月17日撮影)
. . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 さらに鶴田氏は、
一方の動物は、人間に食べられるために地球に存在しているのではない。彼らの自身の生を生きるためである。動物を食べることは、まず生きているその命を、暴力的に奪うことから始まる。動物が肉にされたとき、それはすでに死している。それは「命を与える」に反して、命をとられたものである。それを食しても、命の再生にはならない。野菜を食べることと動物の肉を . . . 本文を読む
3月16日、引き続いて東和町の田瀬と谷内のフクジュソウを見に行った。
《1 田瀬》(平成27年3月16日撮影)
《2 》(平成27年3月16日撮影)
《3 》(平成27年3月16日撮影)
《4 》(平成27年3月16日撮影)
《5 》(平成27年3月16日撮影)
《6 》(平成27年3月16日撮影)
《7 》(平成27年3月16日撮影)
《8 》(平成27年3月16日撮影)
《 . . . 本文を読む
3月16日、花巻市東和町のフクジュソウの自生地を巡ってみた。
まずは、南成島のフクジュソウの様子である。前回よりも大分花の数が増えていた。
《1 P2》(平成27年3月16日撮影)
《2 》(平成27年3月16日撮影)
《3 》(平成27年3月16日撮影)
《4 》(平成27年3月16日撮影)
《5 》(平成27年3月16日撮影)
《6 》(平成27年3月16日撮影)
《7 . . . 本文を読む
この3月16日、成島の毘沙門山にもうアズマイチゲが咲いていたので、もしや胡四王山にも咲いているのではなかろうかと思って訪ねてみたならば、
《1 》(平成27年3月16日撮影)
《2 》(平成27年3月16日撮影)
《3 》(平成27年3月16日撮影)
《4 》(平成27年3月16日撮影)
《5 》(平成27年3月16日撮影)
《6 》(平成27年3月16日撮影)
《7 》(平成27 . . . 本文を読む
今頃成島の毘沙門山ならばもうアズマイチゲが咲いているだろうと思って出掛けてみたならば、
《1 カタクリの若葉が沢山みられ》(平成27年3月16日撮影)
《2 花芽をもっている?タイプや》(平成27年3月16日撮影)
《3 蕾が大分色づいたもの》(平成27年3月16日撮影)
《4 中には間もなくさ咲きそうなカタクリ》(平成27年3月16日撮影)
まであった。
さらには、もう咲いていた
. . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 小倉豊文が次のようなことを述べていた。
各地に「宮沢賢治の会」(地方によって名称異なる)の生まれたのは早くからであるが、詩人・文学者としてよりも第二次世界大戦敗戦までの日本の小学校では必ず「修身」の教材になり、校庭に必ずその銅像があった二宮金次郎の如く、農業・農民の方面から神格化が著しかった。これは賢治が農学校教師であり、農村の技術指導者であったが故ばか . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》1月15日 国民高等学校開校式が行われる(賢治嘱託兼務、「農民芸術」受け持つ)
1月中旬 下根子桜の別宅の改造を始めた(伊藤忠一の日記より)
1月30日 岩手国民高等学校で農民芸術論を講義(第一回)
(1/30~3/23まで計11回講義(伊藤清一の講義ノートによる))
2月 9日 国民高等学校第二回講義
2月18日 国民高等学校第三回講義
2月19 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 そして鶴田氏は続けて、
動物は植物の命を、食べるという行為によってからだの中に入れ、新しい命を再生するのである。ベジタリアンが自ら大地を耕して、穀物や豆類や野菜を作り出すのは、食物とするために存在している命を奪うのではなくて、命を生み出して食物とする行為である。自らの命を支えるためには自らの手で命を作り出す、という意思の表れでありその実践なのである。なぜ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 そこでまずは賢治の大正15年を概観してみよう。
《「賢治の大正15年一覧表」》
大体こんなところであろうか。
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【『宮澤賢治と高瀬露』出版のご案内】
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