今頃成島の毘沙門山ならばもうアズマイチゲが咲いているだろうと思って出掛けてみたならば、
《1 カタクリの若葉が沢山みられ》(平成27年3月16日撮影)
《2 花芽をもっている?タイプや》(平成27年3月16日撮影)
《3 蕾が大分色づいたもの》(平成27年3月16日撮影)
《4 中には間もなくさ咲きそうなカタクリ》(平成27年3月16日撮影)
まであった。
さらには、もう咲いていた
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《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 小倉豊文が次のようなことを述べていた。
各地に「宮沢賢治の会」(地方によって名称異なる)の生まれたのは早くからであるが、詩人・文学者としてよりも第二次世界大戦敗戦までの日本の小学校では必ず「修身」の教材になり、校庭に必ずその銅像があった二宮金次郎の如く、農業・農民の方面から神格化が著しかった。これは賢治が農学校教師であり、農村の技術指導者であったが故ばか . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》1月15日 国民高等学校開校式が行われる(賢治嘱託兼務、「農民芸術」受け持つ)
1月中旬 下根子桜の別宅の改造を始めた(伊藤忠一の日記より)
1月30日 岩手国民高等学校で農民芸術論を講義(第一回)
(1/30~3/23まで計11回講義(伊藤清一の講義ノートによる))
2月 9日 国民高等学校第二回講義
2月18日 国民高等学校第三回講義
2月19 . . . 本文を読む