みちのくの山野草

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3821 梅野健造のある証言(#3)

2014-04-04 08:00:00 | 賢治昭和二年の上京
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
梅野健造のある証言
 さて、前回の最後に述べた
 そしてそのことを裏付ける証言も梅野はこの「賢治との出会い」の中で述べていた。
こととは何かというと、それは梅野の次のような証言である。
 昭和三年二月積雪深い桜の山荘に賢治を訪問した。案内された二階で炬燵を囲んだが精神的な苦悩から顔色が勝れなかったが相手をそらさない笑顔が痛々しく感じられた。
                         <『賢治研究33号』(宮沢賢治研究会)10pより>
そしてもちろん、この証言に従えば
 昭和3年2月の賢治は見た目からしても精神的にかなり衰弱していた。…………⑤
ということが導かれる。

かつての「宮澤賢治年譜」によれば
 さて、かつての「宮澤賢治年譜」には、たとえば
(1) 『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋版、昭和十四年発行)所収の場合には
昭和三年 三十三歳
△ 一月、肥料設計、作詞を繼續、「春と修羅」第三集を草す。この頃より過勞と自炊による栄養不足にて漸次身體が衰弱す。
(2) 『宮澤賢治』(佐藤隆房著、富山房、昭和十七年版)所収の場合には
昭和三年 三十三歳
 一月、肥料設計、作詞を繼續、「春と修羅」第三集を草す。この頃より過勞と自炊による栄養不足にて漸次身體が衰弱す。
というようになっていて、
 昭和3年の1月に賢治は「漸次身體が衰弱す」…………⑥
と皆書かれていると言ってよい(しかも、(2)の場合には宮澤清六が編纂したものである。そして当時の他の「宮澤賢治年譜」もこの(2)の場合と大同小異である)。

澤里武治の証言によれば
 また一方では、澤里武治が
 確か昭和二年十一月頃だつたと思ひます。當時先生は農學校の教職を退き、根子村に於て農民の指導に全力を盡し、御自身としても凡ゆる學問の道に非常に精勵されて居られました。その十一月のびしよびしよ霙の降る寒い日でした。
「澤里君、セロを持つて上京して來る、今度は俺も眞劍だ、少なくとも三ヶ月は滞京する、とにかく俺はやる、君もヴアイオリンを勉強してゐて呉れ。」さう言つてセロを持ち單身上京なさいました。その時花巻驛までセロを持つて御見送りしたのは私一人でした。…(中略)…滞京中の先生はそれはそれは私達の想像以上の勉強をなさいました。最初のうちは殆ど弓を彈くこと、一本の糸をはじく時二本の糸にかからぬやう、指は直角にもつてゆく練習、さういふことだけに日々を過ごされたといふことであります。そして先生は三ヶ月間のさういふはげしい、はげしい勉強に遂に御病氣になられ歸郷なさいました。
              <『續 宮澤賢治素描』(關登久也著、眞日本社、昭和23年2月)60p~より>
と証言しているが、「三ヶ月」後とは昭和3年1月となることに注意すれば、
 賢治は昭和3年1月に「遂に御病氣になられ歸郷」した。…………⑦
ということがこの澤里武治の証言から導かれる。 

現時点での結論
 よって、いままででさえも“⑥”と“⑦”の二つは符合していることから
 昭和3年1月の賢治は病気に罹っており、身体が衰弱していた。…………⑧
ということは歴史的事実だった可能性がかなり高いと思っていたが、ここへ来て梅野健造の先の証言があることを知ったことによりさらにまたそのその可能性が高まった。なぜならば、“⑤”と“⑧”は共にその頃の賢治は心身の状態が相当思わしくなかったということを示唆しているからである。
 したがって、
 昭和2年の11月頃のみぞれの降る寒い日、賢治は一人澤里武治に見送られながらチェロを持って上京したがそ、その厳しいチェロの練習が祟って賢治は病気になってしまったので予定の3ヶ月間の滞京をあきらめ、3ヶ月弱で花巻に戻って来た。そして賢治はその後しばらく(少なくとも昭和3年の2月迄は)心身共に衰弱していた。
ということを、先の梅野の証言から導かれる“⑤”は裏付けてくれている。
 換言すれば、先の梅野の証言の裏付けによって
 賢治は昭和2年11月頃の霙の降る日に澤里一人に見送られながらチェロを持って上京、3ヶ月弱滞京してチェロを猛勉強したがその結果病気となり、昭和3年1月に帰花した。………………☆
という澤里証言の信憑性がますます高まってきたということになる。

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