みちのくの山野草

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3588 「あらら。」から透けて見えるもの

2013-10-22 09:00:00 | 賢治昭和二年の上京
《『大正15年11月に賢治は上京した』とあくまでも言い張る「宮沢賢治賞」受賞者H氏》

 もしそれで納まっていたならば、今回のこのような当ブログ上の〝「一本足」論争(経過報告)〟シリーズなどを始めることなどはもちろんなかったのだが……。
まさかとぼけたそれとも
 ところが、H氏は画期的な「大正15年11月賢治上京説」(ただし、私に言わせるともともと無理スジ。いくつかの反例が実在)を打ち出してしまったことの重大さに気がついていない。それともとぼけているのかもしれないが、同日(10月13日)二度目の次のようなコメントをしていた。
*****************<(34)↓投稿者H氏/2013年10月13日 15:14>**********************
あらら。

二人ともが自説を本にして出版していなければ、「公平な論争が保証され」ないというお考えなのですか?
鈴木さんが、ご自身のお考えを検証するために大変な調査をして、それを本にまとめられたことは、心より尊敬申し上げています。しかし、本を出しているかどうかと、ここできちんと議論をすることとは、まったく別の問題ではありませんか。
そのように、一方的に議論を打ち切ってしまおうとされることの方が、よっぽど「公平な論争」を阻んでしまうと思います。

鈴木さん。
10月12日08:14に、「懸案のご質問につきましては、この反論が一段落したところで必要とあれば、私の考え方を必ず述べますので。」と言っていただいた、あの「必ず」のお約束は、いったいどこへ行ってしまったのですか?

鈴木さんがつい昨日ブログに書かれたように、まだ「私達の議論は佳境」ではありませんか。
どうか、少なくとも懸案の質問に対してくらいは、お答えをお願い申し上げます。

「あらら。」から窺えること
 なんと、ご自分の足元に火がついているのにご自分のことも心配なさらずに、私がH氏に本を出版せよと言ったかの如きことを持ち出して相変わらず同じ調子で「反論」なされていた。
 もちろん私はH氏に、本を出せなどとは申し上げてはおらず、画期的な「大正15年11月上京」説をあくまでも主張なさるというのであれば、幸いH氏には評価の頗る高いブログ「SSM(仮名)」がおありな訳ですから、そのブログ上に早速その論文を、なんと現定説を覆す画期的なその「新説」に関する論文を発表すればいいでしょうという程度の提案である。そして私は、それ待ってこの議論を再開しましょうと言っただけのことである。議論を打ち切るなどとも言ってはいない。
 さりとて、直接H氏のブログ「MSS」のコメント欄にその反論をコメントする気にもなれない。「ためにする議論」にはもう付き合いきれない、そこに生産的なものは何もないからだ。

 そしてなによりこの出だしの、「あらら。」に私はがっかりした。これでH氏の心の内が透けて見えてしまったからだ。それはちょうど、H氏の私に対する誹謗中傷ツイートの集約的表現と受け取れた。
 本来、言葉というものはなかなか拾えないものだが、それを拾えるチャンスとなるコメント「(33)」を折角伝えたのに…「あらら。」という物言いでは何をか言わんやである。もしかすると、この方は実は人の心を殆ど読み取れないことが時にある方なのかもしれない。

 となれば、私は何もいつまでもH氏に武士の情けを掛けてやる必要はない。まずは、我々の今までの論争経過等について本ブログ上である程度のことを報告すべきであると、このH氏のコメント「(34)」を受けて決心した。
 そしてその最初が、《2013年10月14日付投稿「一本足」論争(経過報告1)》であった。あとは、問題は、どの程度まで今回のことについて表白するかだな、ということを考えながら…。

 続きの
 ”H様がそこまで仰るのであれば”へ移る。
 前の
 ”私はなぜ「(33)」をコメントしたか”に戻る。

「賢治の昭和二年上京説」に対する圧力やクレーム〟の目次へ

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 なお、その一部につきましてはそれぞれ以下のとおりです。
   「目次
   「第一章 改竄された『宮澤賢治物語』(6p~11p)
   「おわり
クリックすれば見られます。


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