みちのくの山野草

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3577 「一本足」論争(経過報告8)

2013-10-19 08:00:00 | 賢治昭和二年の上京
《『大正15年11月に賢治は上京した』とあくまでも言い張る「宮沢賢治賞」受賞者H氏》

*****************<(22)↓投稿者H氏/2013年10月10日 01:37>**********************
鈴木さん、お返事をありがとうございます。
前回の私の書き込みに対して、今回は特にご異存を差しはさまれませんでしたので、内容をご了承いただいたものと受けとめておきます。

さて、沢里証言の評価の問題ですね。
鈴木さんは、私が沢里の証言においてこれまでに留保を付けた箇所を3点挙げた上で、

ということは、この澤里の証言をあなたはかなり疑っているわけですから、あなたはこの証言はもうぼろぼろで、殆ど信頼度がないということを主張したことになります。

と、結論づけられました。
しかし、こういうところがまさに典型的に、鈴木さんの論旨において「論理の飛躍」を感じさせる部分なのです。
私は、沢里の証言が「もうぼろぼろ」などとは夢にも思っていませんし、「殆ど信頼度がない」などとも、決して「主張していません」。

これまでも何度か書いたように、私が言っているのは「沢里の証言が全て真実とは限らない」ということにすぎません。
そもそも、私が沢里証言を「疑っている」として鈴木さんが3点挙げられたうちの第1点「昭和二年十一月ころ」は、私より以前に本人が訂正している箇所ではありませんか。
このように、沢里といえども記憶違いをすることがあるのですから、私どもが少しでも真実に近づきたいと思うならば、様々な資料に対して「是々非々」の態度で臨むしかないのではないでしょうか。
鈴木さんの論理は、何かが正しい・信頼できるとなったらもう全て信頼すべき、逆に何か疑わしいとなったらもうぼろぼろ・殆ど信頼度がないという風に、「全か無か」の思考の傾向があるのではないかと、かねてから感じて、危惧しております。(あ、あくまで「傾向」ですよ、これも「全て」と言っているのではありませんので、念のため。)

あとここからは、沢里証言を是々非々で検討するために、「エピソード記憶」の特性、などについて書こうかとも思ったのですが、長くなるのでやめておきます。
かわりに、鈴木さんのご専門であるところの数学的な表現によって、先の書き込みにおける鈴木さんの論理の問題につき、書いてみます。この方が短いし、ご理解いただきやすいかと思いましたので。

まず、沢里証言に含まれる全ての命題の集合を、S とします。
その中で、真理値が「偽」であると私が考える命題の集合を A、新校本年譜が引用している命題の集合を B とします。もちろん、A も B も、S の部分集合です。そしてここでは、いずれも空集合ではありません。
さて、この場合に、B に含まれる任意の命題を、私が「真」であると言明することは、矛盾でしょうか?

いえいえ、そんなことはありません。
    A ∩ B = ∅
という条件さえ満たしておればよいという、唯それだけのことです。

それはまったく簡単な理屈なのに、なぜ鈴木さんのような専門家が、これを矛盾と感じられたのかが不思議で、私なりに考えてみました。
そこで思ったのは、その原因は鈴木さんの内部で、「全か無か」の発想が潜在的に働いていたからではないか、ということです。
つまり「全か無か」の思考法では、「一部が偽 ⇒ 全てが偽」となるので、
    A = S
となってしまうのです。そうなると、どうしても「 A ∩ B = ∅ 」が成り立たなくなるので、矛盾が生じるわけです。

ちなみに、「 A ∩ B = ∅ 」は、日常語に置き換えれば「是々非々の態度」とも言えるわけで、上の記述は、「全か無かの思考と是々非々の態度は相容れない」ということの、数学的表現と言えるかとも思います。

気がつくと今回は何か、僭越なことばかり書いてしまったようで恐縮です。論議をかみ合ったものにしたいという思いがあっただけで、他意はありません。お許し下さい。

最後に、私は前の書き込みにおいて、賢治が大正15年の12月2日に上京したかしていないかについて、鈴木さんがどう考えておられるかということは、何も問題にしているわけではありませんので、念のため。

それでは、前回「この辺で」と中断された、鈴木さんの書き込みの続きを、期待しております。
*****************<(23)↓投稿者鈴木守/2013年>**********************
h(投稿者註:この時点からはH氏のブログ『MSS(仮名)』のコメント欄において、H氏が投稿する場合に用いていた名前「h(仮名)」を用いた) 様
 お早うございます。
 「前回の私の書き込みに対して、今回は特にご異存」がないわけではございません。長くなるから取り敢えず打ち切っただけです。
 まずは、hさんが件の澤里武治の証言を否定すればするほど自家撞着に陥るのではありせんかということを言っておきたかったのです。
 また、本日の私のブログ『みちのくの山野草の』に“澤里の「どう考えても」について”を投稿するので、それをhさんに見てもらってから、続きを述べようと思っていただけです。先程投稿しましたからどうぞ御覧になって下さい。澤里武治の「どう考えても」とは、そのような伏線があったのです。

 そこで続けます。
 さて、『 2013年10月 8日 18:47』のコメントの中身についてですが、
    その十一月のびしょびしょ霙の降る寒い日でした。
の『「十一月」は澤里の書き間違いだとでも仰るのでしょうか』と私が問うたことに対して、hさんはこの「十一月」は正しいと思っているとは結局一言も言っておらず、間違いであると言える、これこれの可能性があるということをいろいろと述べているだけです。可能性なら何でもありですから、この場合何ら意味を持ちません。したがって、hさんは「十一月」は間違っていると言っていることと同じになります
 そこで、改めてお訊ねします。
 hさんはこの「十一月」は間違っていると今でも思っておられるのですか。それとも、現時点では正しいとお考えですか。
 この件の澤里武治の証言が今回の(唯一の)典拠だと仰っているわけですから、イエスかノーかで答えてください。証言として扱う以上、間違っているとするのか、正しいとするのかのいずれしかありません。そうしないと、それを用いた論考は次の段階に進めませんし、曖昧にしたままで論を進めたものはやがてもろく崩れ去りますので。

 なお、私は今までMSS様としてきましたが、これも変で、「あなた」としても変なので、今回は「h」様としてみましたが正直これにも違和感があります。一方、私はずっと本名でコメントしてきました。そこでお願いのですが、これだけの議論が続いておりますから、今後はお互い本名でコメントし合いませんか。

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 なお、その一部につきましてはそれぞれ以下のとおりです。
   「目次
   「第一章 改竄された『宮澤賢治物語』(6p~11p)
   「おわり
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