みちのくの山野草

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2595 高瀬露は悪女ではない(中舘武左衛門2)

2012-04-17 08:00:00 | 賢治渉猟
2.中舘武左衛門宛書簡下書より
 吉田 ところで、肝心の中舘宛書簡下書は確認してみたか。
 鈴木 おおそうだった。まだだった。『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)を見てみる。
 荒木 じゃ、鈴木が見終わったならば今度は俺に見せてくれ。俺も知りたい。
 吉田 ほら、これにもそれは載っているから荒木はこっちを見てみろよ。
と言って、吉田は〝ちくま文庫〟の『宮沢賢治全集9』をポケットから取り出し、その525pを開いてを見せてくれた。そこには昭和7年のものとして、次のような賢治の中舘宛書簡下書が載っていた。
422a
六月二十二日 中舘武左衛門あて 下書
拝復 御親切なる御手紙を賜り難有御礼申上候 承れば尊台此の度既成宗教の垢を抜きて一丸としたる大宗教御啓発の趣御本懐斯事と存じ候 …(略)…
 尚御心配の何か小生身辺の事別に心当たりも無之、若しや旧名高瀬女史の件なれば、神明御照覧、私の方は終始普通の訪客として遇したるのみに有之、御安神願奉度、却つて新宗教の開祖たる尊台をして聞き込みたることありなど俗語を為さしめたるをうらむ次第に御座候。この語は岡つ引きの用ふる言葉に御座候。呵々。妄言多謝。      敬具
<『宮沢賢治全集9』(ちくま文庫)より>
 吉田 最初は慇懃無礼、最後は中舘を罵倒している。よほど賢治は腸が煮えくりかえっていたに違いない。
 荒木 そうか先の〝中舘武左衛門宛返書〟下書にはこんな事が書かれていたんだ。ちょっとびっくりだな。賢治は紳士その者と思っていたいたが、『呵々。妄言多謝』だもんな…。
 鈴木 そういえばたまたま手許に『白堊同窓会会員名簿』があるからその中舘某を調べてみようか。
と言って同名簿をひもといてみた。
 鈴木 あったあった。
   明治43年3月卒 中舘武左エ門 一高・京大 本籍 気仙郡世田米村
とある。おそらくこの人物が中舘武左衛門であろう。
 荒木 中舘は盛岡中学→一高→京大と進んでいるのか、人物じゃないか。賢治は大正3年卒だから中舘は盛中の五年先輩となりそう。
 鈴木 あれっ、思い出したぞ。この中舘武左衛門なる人物の名をかつてどこかで見たことがあるぞ?
 吉田 それはさ、いわゆる〝手帳断片〟、実質『昭和2年 宮澤賢治日記』の中にあったはずだ。たしかその年の1月の初めに下根子桜を訪れた客の中に中舘という名の人物がいたはずだ。
 鈴木 じゃ確認してみるとするか。たしかそれは『校本宮澤賢治全集第十二巻(上)』(筑摩書房)に載っていたはずだった。しばし待て……おお、409pにその名前が出てきているじゃないか。
   7(土) 中舘武左エ門氏田中縫次郎氏 照井謹二郎君伊藤直美君等来訪
と賢治は書いていたぞ。そうか、賢治と中舘は旧知の間柄だったのだ。それも、昭和2年の1月頃といえば賢治と露の関係はまだ親密な関係にあった頃とも考えられる。その頃に中舘は賢治の許を訪れていたんだ。一体当時賢治と中舘はどんな付き合いがあったのだろうか。松の内に訪れているし、中舘の名がいの一番に書かれていることからすれば、賢治とすれば中舘は粗略には扱えない知人だったということか。
 荒木 あれっ、この中舘宛書簡下書にはこんな事
 新迷信宗教の名を以て旗を挙げたるもの枚挙に暇なき由佐々木喜善氏より承はり此等と混同せらるゝ様有之ては甚御不本意よ存候儘何分の慎重なる御用意を切に奉仰候。
<『宮沢賢治全集9』(ちくま文庫)より>
とも書いてあるぞ。ということは、この中舘は佐々木喜善と知り合いかも知れないな。
 鈴木 たしか、遠野南部の藩士の中に中舘という名家があったはずだから武左エ門はその末裔ではないのかな。
 吉田 そういえば、高瀬露の嫁ぎ先の小笠原家は、やはり遠野の名家で先祖は遠野南部の藩士だったはずだし、たしか小笠原家は佐々木喜善の「遠野物語」にも出てきたはず。一方、向小路にあった高瀬露の実家も士族だ。案外、共に南部藩の士族同士ということで高瀬家、小笠原家、中舘家は繋がっていて、結構情報を共有していた可能性が高いかも知れないな。
 荒木 まずいな、こうなるとこの当時賢治にとってかなり不利な噂が拡がっていたという畏れがありそうだ…。なまじ普段は強がりなど言うはずのない賢治が、この時に限って言えばかなり腹に据えかねていた様子だからな~。
 鈴木 そうだよな。『年表作家読本』には、賢治は
   終始普通の訪客として遇したるのみに』と一蹴している。
とあるが、それは賢治が中舘に粋がっているだけのことで、昭和2年前後のこととすれば当時賢治は奇矯ともいえるいくつかの言動をしていた頃だから実態は全く逆だった訳で…。
 吉田 その意味で、山内修が同著において
 わざわざ反論しているのは、妹の死・父母への反抗・高瀬との関係、それぞれが、賢治の心の傷だったからかも知れない。
と見ているのは的を射ていたのかも知れない。賢治は中舘からの来信に内心相当ショックを受けていたに違いない。
 このことは僕だけがそう思っているわけではなくて、実は『宮沢賢治の手紙』(大修館書店)で米田利昭もそう言っている。たしか、
 むしろ高瀬は賢治の心に償わねばならぬ影として落ちていると見た『年表作家読本』の見方は鋭いだろう。
と。

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