みちのくの山野草

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3126 花巻警察署伊藤儀一郎

2013-03-04 12:00:00 | 羅須地人協会の終焉
 インタビュー記事「賢治年譜の問題点――堀尾青史に聞く――」において、インタビュアーの境忠一が次のように質問したならば、それに対して堀尾が次のように答えていた。
――これは重要な資料だと思いますが、昭和二年二月一日に、「岩手日報」に羅須地人協会の紹介記事が載りまして、その後「日時不明であるが、花巻警察署伊藤儀一郎の事情聴取があったためと思われる」とあります。年譜では三月頃で集会が終わっていますが、このことと関係あるでしょうか。
堀尾 これは左翼的な思想や、社会主義の立場からではない――いわゆる危険思想での取り調べではなかったようです。しかし、警察に呼び出されたということは当時としては大変です。
 この時の調書がどこかにあると聞いています。それを見たいと思ったのですが、どうにもしようもなかった。この日時もはっきりわからない。 
              <『國文學 53年2月号』(學燈社)175pより>
 残念ながら現時点ではその事情聴取を受けた時期がわかっていないようだが、私は少なくともその時期は「昭和二年二月一日」直後ではないと思っている。なぜならば、その後も少なくとも4月10日頃まではそれまでと同じような講義や集会は行われていたからである。新聞報道で焦って止めたのは「楽団活動」だけだったのではなかろうか。
 そこで私が思うのは、いつ頃その事情聴取が行われたかといえばいの一番に考えられる時期は他でもない、昭和3年の特別大演習の前ではなかろうかということである。
 それは、前回にリストアップしたような事柄に鑑みればこの時期にこそ賢治が事情聴取されるべき理由と時期がピッタリの条件を満たしているからである。
 ちなみに、この年昭和3年7月には特高が新設されてもいる。『岩手県の百年』によれば
 (昭和3年)、三・一五事件で、伊藤勇雄、横田忠夫・義重兄弟、泉国三郎らが検挙され、労農党は解散命令を受けた。さらに七月特別高等警察が新設された。同年十月には、天皇を迎えて陸軍特別大演習ぎ実施されたので、弾圧は強化された。
              <『岩手県の百年』(長江等共著、山川出版)160pより>
ということである。川村尚三も八重樫賢師も多分この頃事情聴取を受けたのではなかろうか。平井直衛が職場を追われたのもこの時期昭和3年8月だった…。

 そこで仮説を立てたくなる。
 昭和3年の陸軍特別大演習を前に、全県的に行われた徹底した「アカ狩り」の際に賢治は花巻警察署伊藤儀一郎から事情聴取を受けた。
というような。

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