みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

2588 高瀬露は悪女ではない(クリスチャンT)

2012-04-13 08:00:00 | 賢治渉猟
 荒木 鈴木いるか?
と荒木が私のところへ訪ねてきた。
 鈴木 やあ、この前は大変世話になったな。まあ上がれよ。
と、狭苦しいが春の陽当たりのいい書斎に招き入れて二人は紅茶をすすりながら、やっと花巻の野面にもスプリング・エフェメラルの花が咲き出したななどと殊勝な話をした後に、荒木はおもむろに、
 荒木 そこの『校本宮澤賢治全集第六巻』を見せてくれないかな。
 鈴木 おおいいよ、ほら。
と言って私が手渡すと、
 荒木 この頃、高瀬露のことを三人で話題にしてからというものなんかずっと違和感を感じているんだ。そんな矢先、たまたま見ていたならば次のようなタイトルの賢治の詩に出くわした。それは「ダリヤ品評会席上」という詩であり、その中に〝クリスチャンT〟という言葉が次のように詠み込まれていたのだ。鈴木は知ってたか?
と言って荒木は同著の192p以下を開いて見せてくれた。そこに以下のような詩が載っていた。
 一〇八六   ダリヤ品評会席上
                  一九二七、八、十六、
   西暦一千九百二十七年に於る
   当イーハトーボ地方の夏は
   この世紀に入ってから曾って見ないほどの
   恐ろしい石竹いろと湿潤さとを示しました
   為に当地方での主作物 oryza sativa
   稲、あの青い槍の穂は
   常年に比し既に四割も徒長を来し
   そのあるものは既に倒れてまた起きず
   あるものは花なく白き空穂を得ました
      …(略)…
   まことにこの花に対する投票者を検しましても
   真しなる労農党の委員諸氏
   法科並びに宗教大学の学生諸君から
   クリスチャンT氏農学校長N氏を連ねて
   云はゞ一千九百二十年代の
   新たに来るべき世界に対する
   希望の象徴としてこの花を見たのであります
     …(略)…
   最後に一言重ねますれば
   今日の投票を得たる花には
   一も完成されたるものがないのであります
   完成されざるがまゝにそは次次に分解し
   すでに今夕は花もその瓣の尖端を酸素に冒され
   茲数日のうちには消えると思はれますが
   すでに今日まで第四次限のなかに
   可成な軌跡を刻み来ったものであります
<『校本宮澤賢治全集第六巻』(筑摩書房)より>
 鈴木 いや全く知らなかった。こんなものにまで〝クリスチャンT氏〟が詠まれていたのか…。ならば、吉田も呼ずばなるまい。
と言って、私は携帯で吉田に『荒木も遊びに来ていて、またぞろ露の話になっているから遊びに来いよ』と誘った。
 鈴木 吉田も今すぐ来るとさ、いつもは忙しい忙しいというのに。もしかするとこの件に関して案外吉田も興味津々なのかも知れないな。結構痛烈なことを言ってるのだけれども…。
 荒木 おっ、そうか。俺と同じように吉田だって違和感を感じているかも知れないな。
 それで先ほどの話の続きだが、鈴木も直ぐに閃いたと思うが、俺もこの〝クリスチャンT氏〟とは高瀬露その人に他ならないと直感した。賢治が名指しする、イニシャル〝T〟のクリスチャンと言えば高瀬露がいるじゃないかと思い付いたんだ。 
 鈴木 図星、荒木の想像通りだろう。でももしそうだとするならばちょっとがっくりだな。一体賢治は露のことを何と思って、何を考えていたのだろうか。この詩を詠んだであろう日付が〝一九二七、八、十六、〟となっていればなおさらに…。
私はざっと詩を黙読した後、その〝校異〟を見てみた。
 すると
   クリスチャン[X→T]氏
となっていた、とある。
 鈴木 そうか賢治は最初〝X〟としてぼやかした表現にしたものを後に〝T〟と、暗示するように書き換えているのか…。ということは、賢治はT氏をより強く意識させたかったということなのだろうか。
 荒木 一方、賢治が
   クリスチャンT氏農学校長N氏
と〝クリスチャンT氏〟と並列してる
   〝農学校長N氏〟
とは誰のことだろうか、と思って俺は調べてみた。賢治が花巻農学校在職当時仕えた校長といえば最初は馬が合った畠山栄一郎、その後がそりの合わなかった中野新佐久だった。なんと中野新佐久のイニシャルは〝N〟だ。したがって〝農学校長N氏〟ては中野新佐久その人にほぼ間違いなかろう。
 鈴木 荒木冴えてるじゃないか。そして、このような二人を賢治は並列させて詩に詠み込んでいることになる。それもタイトルさえも決定している詩にである。とすれば、そこには何かしら賢治の思惑も見え隠れする。
 荒木 ところでこの詩を詠んだであろう日昭和2年8月16日頃といえば、露の訪問を奇矯ともいえるような言動で賢治が拒絶しようとしていた頃だろう。なのに、まさかそのような賢治が露をこのよに詩に詠み込むなんて、俺には全く予想だにできなかった。
 もし俺がその当時の賢治の立場にあったとするならば、詩に露のことを詠み込むなどとは到底考えられない。こんな当て擦りとも受け取られかねない書き方の詩を賢治が詠むんて俺にはちょっとショックだったな。
 鈴木 やはり、賢治は天才だから凡人の我々にはその心の内を知ることも、彼の規範を理解することももともと無理なのかもしれない。住む世界が違うのだよ、たぶん。
 荒木 実は、こんなことも露に関して見つけたのだが、知ってるか?

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