みちのくの山野草

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3708 「ライスカレー事件」とオルガン演奏

2013-12-30 08:00:00 | 賢治渉猟
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
伊藤克己の証言
 この12月28日に下根子桜の「賢治詩碑」を訪ねた。その時、伊藤克己のある回想を思い出した。それは機関誌『イーハトーヴォ第5号』(昭和15年3月発行)所収の「詩碑通信(其の二)」に載っている次のような一節である。
 しかし、その当時の先生の生活は、毎日烈しい苦行そのものゝ生活であつたと思ひます。毎晩十一時頃になると、井戸の傍にある水槽の冷たい水で行水をやられて居られたり、夜半一時頃に突然お経を誦ずる聲が朗々と聞へてきたり、オルガンや獨唱をやつて居られる事などもありました。食物などもまつたくお話にならない粗末なもので、家より少しはなれた雑木林の中に、小さな炊事場を假設し、夏はいつもそこで御飯を炊きながら鉢巻きをして、エスペラントを勉強したりして居りました。
              <復刻版『イーハトーヴォ 第1期』(図書刊行会)31pより>
 そして私は思い付いた、あの「ライスカレー事件」はかなり事実と違っている可能性が高いであろうことを。なぜなら、この中の「夜半一時頃に…(略)…オルガンや獨唱をやつて居られる事などもありました」という証言がその傍証をしていると思ったからである。
羅須地人協会周辺の人家
 先ずはその説明のための準備として、次の写真等を見て頂きたい。
《1 「家より少しはなれた雑木林の中に」かつて炊事場があった場所》(平成25年12月28日撮影)

 次からは、かつてもそして今も建物のない
《2 羅須地人協会跡地の東側方向》(平成25年12月28日撮影)

《3 〃 》(平成25年12月28日撮影)

《4 〃 南側方向》(平成25年12月28日撮影)

《5 北側(あの「河童沢」ごし)から羅須地人協会跡地を見る)》(平成25年12月28日撮影)

 ただし、西側にだけは人家がありそれは
《6 畑を置いて伊藤忠一の家》(平成25年12月28日撮影)

であった。それは当時も今も変わっていない(後掲の当時の地図参照)。
 なお、遠く東方向から眺めると
《7 羅須地人協会跡地の高台》(平成25年12月28日撮影)

はかくの如くに見えて、北側の近くには人家がないし
《8 南側などはどこまでもそれがない》(平成25年12月28日撮影)

 これは、
【9 当時の地形図(抜粋)】

             <五万分の一地形図『花巻』(昭和22年発行、地理調査所)より抜粋>
からも確認できる。
 結局、当時、羅須地人協会の建物の東側及び南側には人家は全くなく、北側には(伊藤克己の証言によれば)雑木林があり、その向こうに河童沢の小さい谷があり、その谷の向こう側に初めて人家が散在していたことが判る。したがって物理的には、オルガンの音が聞こえて行くとすれば残された西側の、それもせいぜい伊藤忠一の家だけであったであろう。
「ライスカレー事件」の危うい信頼性
 そこで私がこのことを確認できた上で主張したいことは、例の「ライスカレー事件」の際に賢治が
 顔いろをかえ、ぎゅっと鋭い目付をして、彼は階下に降りて行った。ひとびとは、お互いにさぐるように顔を見合わせた。
  「みんなひるまは働いているのですから、オルガンは遠慮して下さい。やめて下さい。
 彼はオルガンの音に消されないように、音を高くして言った。――が彼女は、止めようともしなかった。深く鋭い氣まずさと恥しさに、彼は逃げ出してしまいたかった。いつも笑いをふくみ、明るいひとであったが、階下から上ってきた彼は、表情に挙動に、隠すことをできない怒りをあらわし、蒼黒くさえ見えてひとびとを困惑させた。
              <『宮沢賢治と三人の女性』(M著、人文書房)より>
と書かれているような「注意」を高瀬露に言ったわけがない、ということがまず考えられるということである。
 なぜならば、賢治自身は人が寝静まった「夜半一時頃に…(略)…オルガンや獨唱をやつて」いるというのに、人が働いていない昼食時にこのような人家から殆ど孤立した羅須地人協会の建物の中でオルガンを弾くことぐらいは、その音もたかが知れていることでもあり、賢治がそれを咎める理由も、止めさせるだけの説得力もともにないと私は思うからである。合理的に考えれば 「みんなひるまは働いているのですから、オルガンは遠慮して下さい。」と賢治が言うわけはない、あるいは言えるわけがないと考えるのが妥当であろう。そんなことをもし仮に賢治が「注意」したとすれば、そこには大いなる自家撞着があることになるからである。平たく言えば、それは結構身勝手な「注意」となる。
 したがって、伊藤克己の先の証言に従えば、賢治がこのような「注意」をしたことが現実にはなかった可能性が高いので、おのずから「ライスカレー事件」も巷間伝わっているものが全て正しいものであるとは言えないおそれがある、ということをこの証言は傍証をしているということに私はたどりついたのだった。この点だけからしても、通説の「ライスカレー事件」の内容を全て真に受けることは危険であり、その内容は信頼性に欠けているところがあると言えそうだ。
アンフェアな扱い方の意味するところ
 では次に、実はそうではなくて賢治はそのような「注意」を実際していたと仮にした場合にはどうなるかを考えてみよう。
 もしそれが事実であったとすれば、その時の露のオルガン演奏を賢治が咎めたり、後々周りの人々が露一人だけを責め立てることは共に不公平なことである。なぜならば、それは先のような理由から賢治の身勝手な「注意」だったことになるからである。まして、誤解を恐れずに正直に言えば、賢治のオルガンがかなり下手であったことは藤原嘉藤治等が証言していることであるし、一方の露の方は小学校の先生でもあり、オルガンが上手かったことは知られていることであるからなおさらにである。どちらのオルガン演奏が他人に聞こえてより迷惑であったかは自明のことであろう。
 しかし現実には「露一人だけが「悪女」扱いされた」伝説が流布してしまっている。しかも、この時のオルガン演奏が「悪女」扱いの大きな要因の一つとなっているという実態があり、アンフェアな扱い方をされている。
 となれば、このアンフェアな扱い方の意味するところは、巷間伝わっている「ライスカレー事件」は誰かが賢治を庇おうとして、誰かが露を貶めようとしてこの「伝説」をでっち上げて流布させたという構図がそこにあった可能性が高いということを物語っている、とも言えそうだ。ちょうどそれは、鏑慎二郎が『…あるいは田舎の人でも都会生活の経験者が作ったのかも知れない。また、伝わり方も誰かあやつっている人がいるような気もする』と暗示したように。
 というわけで、この場合であってもこの「ライスカレー事件」の内容はその信憑性が危ぶまれるものであるとなりそうだ。したがって、もしこの伊藤克己の証言が正しいとするならば、今までの考察によれば賢治が先のような「注意」をしようがしまいが、いずれの場合でもこの「ライスカレー事件」の信憑性は薄いものであるということが導かれてしまう。

 以上のような考え方もあり得るということに気付いたならば、この時に露がオルガン演奏を実際したとしても、そのことを大きな理由の一つとして露一人だけを「悪女」扱いするということは極めてアンフェアなことであり、理不尽なことであるとつくづく思い知った。
 そして、もともと「悪女伝説」はその危うさが見え見えであるのにもかかわらず、今までに上田哲やtsumekusaさん(「猫の事務所」調査書の管理人)以外の方々は殆ど検証もなさらずに、なぜ多くの宮澤賢治研究家の方々がそれを看過したり、座視したりしてきたのかますます不思議でならなくなったし、正直改めてここに異議を申し立てたい。
 もしかすると、「宮澤賢治研究」においてこんな「伝説」など全く関係ないことだとでも思っていらっしゃったのだろうか? それとも……。

 この度羅須地人協会跡地を訪ねてみたならば、こんなことがこの老いぼれの頭の中をよぎっていった。

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