みちのくの山野草

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3111 澤里武治宛書簡「243」

2013-02-17 08:00:00 | 羅須地人協会の終焉
 昭和3年9月23日付澤里武治宛書簡「243」の内容は次のようなものである。
お手紙ありがたく拝見しました。八月十日から丁度四十日の間熱と汗に苦しみましたが、やっと昨日起きて湯にも入り、すっかりすがすがしくなりました。六月中東京へ出て毎夜三四時間しか睡らず疲れたまゝで、七月畑へ出たり村を歩いたり、だんだん無理が重なってこんなことになったのです。
演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。休み中二度もお訪ね下すったさうでまことに済みませんでした。豊沢町に居ることを黒板に書いて置けばよかったとしきりに考へました。こんど出るときは大体葉書を出してください。学校ももう少しでせうがオルガンなどやる暇もありますか。どうかお身体を大切に切角ご勉強ください。まづはお礼乍ら、
    柳原君へも別に書きます。
              <『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)259pからより>
 この中の
  演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。
がその触媒だと思ったのである。
 この手紙は昭和3年の9月である。とすればこの中の「演習」とはまさしく先の
  昭和3年陸軍大演習
のことに他ならないからだ。 

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