さて、澤里武治宛書簡「243」の中の一文
演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。
にある「演習」とは、この手紙の日付は昭和3年9月23日だから、まさしく
昭和3年10月に岩手県下で大規模に行なわれた陸軍特別大演習
のことであろう。
この書簡の文面からは、まるで賢治はこの「演習」が終わるのを見計らったようにして下根子桜に戻る積もりだ、と最愛の教え子澤里武治に伝えているように気がしてならない。
それも、その際にそこでやることはそれまでと同じようなことではなくて、「主に書く方へかゝります」とである。したがって、昭和3年8月10日に実家に戻って病臥していた賢治は、約1ヶ月半を経て心変りをしてしまったということにはならないだろうか。
”『昭和3年賢治自宅謹慎』の目次”に戻る。
続きの
”昭和3年の8月~11月頃の賢治”へ移る。
前の
”武治宛書簡「243」”に戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。
にある「演習」とは、この手紙の日付は昭和3年9月23日だから、まさしく
昭和3年10月に岩手県下で大規模に行なわれた陸軍特別大演習
のことであろう。
この書簡の文面からは、まるで賢治はこの「演習」が終わるのを見計らったようにして下根子桜に戻る積もりだ、と最愛の教え子澤里武治に伝えているように気がしてならない。
それも、その際にそこでやることはそれまでと同じようなことではなくて、「主に書く方へかゝります」とである。したがって、昭和3年8月10日に実家に戻って病臥していた賢治は、約1ヶ月半を経て心変りをしてしまったということにはならないだろうか。
”『昭和3年賢治自宅謹慎』の目次”に戻る。
続きの
”昭和3年の8月~11月頃の賢治”へ移る。
前の
”武治宛書簡「243」”に戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます