みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

2168 『報徳青年』と賢治

2011-06-04 08:00:00 | 賢治関連
                    《1↑『報徳青年 第三巻・第二號』表紙》

 神田の古本屋さんで『報徳青年』という小冊子を手に取ってみたならば、その巻頭言が
    農民芸術概論綱要
とあった。この冊子は昭和25年2月25日発行のものであった。因みにその目次はこのブログの先頭に掲げたその表紙にあるとおりである。

 表紙を捲ってみるとそこには下図のような内容の巻頭言があった。
《2『報徳青年 第三巻・第二號』の巻頭言 農民芸術概論綱要》


 さて、この『報徳青年』とはどのような冊子なのだろうか。
 出版社は「天地社」、編集人は田端茂となっている。
 
 そこで編集後記を見てみると次のようなことが書いてある。
 ○永安農村の建設―今や日本農業は世界農業の観点から考へられねばならぬ。我々個人の農業生活は、世界農業人の立場から考へられねばならぬ。日本農村の在り方は世界的視点にさらされてゐることを忘れてはならぬ。報徳青年の同志的結合と、その二宮精神を基にして工夫打開が今や我等青年に課せられた使命であることを茲に改めて銘記したいと思ひます。
とあるから、この冊子は二宮金次郎の精神に基づき永安農村の建設を目ざす報徳青年運動部の啓蒙・情宣誌のようだ。
 
 そして、賢治の農民芸術概論綱要を巻頭言とした理由を同じく編集後記で次のように述べていた。
 ○巻頭の宮澤賢治先生の詩の一節、「詩人は苦痛も享楽する」は何という大きな豊かな、詩心でありませう。その心はそのまゝ二宮先生の貧窮に屈せず、天地自然の理法に人道推譲勤労の大道に生きる心であります。私共は苦痛をも、試練に置き換える、不断の努力精進を怠りますまい。
と。

 さすれば、二宮金次郎の精神に基づく戦後間もなく起こったこの報徳青年運動は賢治の掲げた農民芸術概論綱要の精神と通底するものであった、ということか。
 前年中華人民共和国が成立し、朝鮮半島も不穏な情勢にあって「逆コース」を辿り始めた昭和25年の日本だったが、賢治はこのような運動の心の支えになっていたのだった。

 続きの
 ”賢治に肥料設計して貰った千葉恭”へ移る。
 前の
 ”菊池信一のことを少し”に戻る。

 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2167 菊池信一のことを少し | トップ | 2169 ニッコウキスゲの自生群... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

賢治関連」カテゴリの最新記事