みちのくの山野草

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昭和3年6月の賢治

2015-08-04 09:00:00 | 昭和3年の賢治
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
 では、昭和3年6月分について賢治の営為と詠んだ詩等を『新校本年譜』から以下に抜き出してみると、
六月七日(木) 水産物調査、浮世絵展鑑賞、伊豆大島行きの目的をもって花巻駅発。仙台にて「東北産業博覧会」見学。東北大学見学、古本屋で浮世絵を漁る。書簡235。
六月八日(金) 早朝水戸着。偕楽園見学。夕方東京着、上州屋に宿泊。書簡236。
六月一〇日(日) <高架線>
六月一二日(火) 書簡237。大島へ出発? 伊藤七雄宅訪問?
六月一三日(水) <三原三部>
六月一四日(木) <三原三部> 東京へ戻る?
六月一五日(金) <浮世絵展覧会印象> メモ「図書館、浮展、新演」。 
六月一六日(土) 書簡238。メモ「図書館、浮展、築地」「図、浮、P」。  
六月一七日(日) メモ「図書館」「築」。
六月一八日(月) メモ「図書館」「新、」。
六月一九日(火) <神田の夜> メモ「農商ム省」「新、」
六月二〇日(水) メモ「農商ム省」「市、」
六月二一日(木) メモ「図書館、浮展」「図、浮、本、明」。  
六月二四日(日) 帰花。
六月下旬〔推定〕<〔澱った光の澱の底〕>。
              <『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』(筑摩書房)より>
のようになっていて、詩については下表のように、
【賢治下根子桜時代の詩創作数推移】

             <『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)・年譜篇』(筑摩書房)よりカウント>
となる。
 また、それぞれのメモについては翻訳すれば次のように、
 6/15(金) 帝国図書館、府立美術館浮世絵展、新橋演舞場
 6/16(土) 帝国図書館、府立美術館浮世絵展、築地小劇場
 6/17(日) 帝国図書館、築地小劇場
 6/18(月) 帝国図書館、新橋演舞場
 8/19(火) 農商務省、新橋演舞場
 8/20(水) 農商務省、市村座
 6/21(木) 帝国図書館、浮世絵展、本郷座、明治座
そして、この月に詠んだ詩としては
 6/10 <高架線>
 6/13 <三原 第一部>
 6/14 <三原 第二部>
 6/15 <三原 第三部>
  〃 <浮世絵展覧会印象>
 6/19 <神田の夜>
 滞京中<自働車群夜となる>
  〃 <公衆食堂>
  〃 <孔雀>
  〃 <恋敵ジロフォンを撃つ>
  〃 <丸善階上喫煙室小景>
  〃 <光の渣>
 6月下旬<〔澱った光の澱の底〕>
というようになるのだろうか。
 もしそうであったとするならば、この頃古里ではかつてならば「猫の手も借りいた」といわれていた田植え時期であるが、それに対してこの滞京時の賢治の「浮世絵鑑賞」そして何より連日のように観劇に出かけている賢治は私達が抱いている賢治像からはあまりにもかけ離れている。しかし、賢治は後程澤里武治にあてた手紙の中で
   …六月中東京へ出て毎夜三四時間しか睡らず…
と語っているということだから、その様な観劇をしたということをこれは裏付けているとも言えそうだ。
 となれば、やはり佐藤竜一氏のこの時の賢治の上京は「逃避行」であったという見方は宜なるかなとも思えてくる。

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