みちのくの山野草

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知恵泉「宮沢賢治 ”好き”こそ苦しみと生きる道」

2017-04-12 14:00:00 | 賢治渉猟
 来る4月11日には、NHKEテレで
    先人たちの底力 知恵泉「宮沢賢治 ”好き”こそ苦しみと生きる道」
という番組が夜10時から放送されるということを、地元の方と熊谷にお住まいのお二方から前もって教えていただいていたので、これは必ず観なければならないと思って当日は晩酌もせずに10時迄緊張しながら待っていて、正座しながら神妙に番組を観た。
 すると、そこには斎藤環氏も出演していた。ご承知のように彼は精神科医であり批評家としても活躍している。その彼が、同番組で賢治のことを、
   賢治は変わった人で、引きこもり的、コミュニケーション下手
であるなどと述べていた。おっ、なかなかはっきり言うじゃないかと私は思ったが、外でもない斎藤氏は「社会的引きこもり」についての研究の第一人者ということを仄聞していたのでその発言に説得力があった。しかも、斎藤氏は盛岡一高卒で賢治の後輩なので、当然賢治についてはよく知っているはずだから、なおさらにであった。
 実は、斎藤氏は同番組の中で
   賢治はニートであり、パラサイトだ。
ということも断定していた。そして私も、ここ10年ほどかけて「羅須地人協会時代」の賢治を検証作業を続けてきた結果はまさにその通りであるということを確信していた。しかし、従前はこのようなことを公の場で断言することは憚られてきたというのも実態だ。だから同番組を観ながら私はこれは賢治に関しては画期的な番組であると、時代は賢治の受容の仕方を少しずつ変えているのだと、従前の「賢治像」は確実に変容しつつあるのだということを肌で感じることができた。これからは、賢治に関しても恐れることなく真実を公の場で語っていってよい時代に入ってのだと心の中で抃舞した。

 だからこの番組を岩田純蔵先生(賢治の妹シゲの長男で、私の大学時代の恩師)が天国からもし観ていたならば、きっと安堵しているに違いないと私は思いを馳せた。なぜならば、今から約半世紀も前のこととなってしまったが、恩師の岩田先生が私達を前にして、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだがそのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
という意味のことを嘆いたことがあるからである。しかし、やっと時代はかつてとは違って、賢治に関してもそろそろ正直に語ってよい時代になりつつありますと、私は天国にいる恩師にお伝えした。

 なお、番組の最後の方で
   クリエイティブな孤独
という一言が語られていたが、これが賢治の創作活動の源泉となっていたのだろうと、だからこそあんな沢山の素晴らしい作品を生み出せたのだろうと私も推し量るとともに、確かにそうなんだよなと何となく独りごちてしまった。

 とまれ、この番組を観ての私の結論は、
   ・賢治の文学的才能はやはりずば抜けていた。
ということと、一方では   
   ・賢治の生き様をこれほどまでに褒め過ぎなくてもいいのだ。
とうことであった。

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【宣伝】 来る4月110日(土)、『賢治の広場』(花巻市上町・岩田ビル)において「宮沢賢治・花巻市民の会」主催『第三回 宮沢賢治カフェ』が開催されます。
 午後2時から1時間半程度で、その内容については2部構成で、
  ・第1部 おはなし「羅須地人協会時代の宮沢賢治」 鈴木守
  ・第2部 賢治作品の朗読 「葡萄水」「山の晨明に関する童話風の構想」 ざしきぼっこの会
というものです。
 第1部 「羅須地人協会時代の宮沢賢治」につきましては、私鈴木守が、拙著『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』を主に、併せて『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』も資料として用いながら、「羅須地人協会時代の賢治」の真実に迫りたいと思っております。

 なお、これらの二著につきましては当日お越しの方々には謹呈いたしますので、皆様どうぞお越し下さい。


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