みちのくの山野草

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2879 賢治、家の光、犬田の相似性(#40)

2012-09-09 09:00:00 | 賢治・卯・家の光の相似性
 ではここからは、下根子桜時代の賢治と犬田の創作活動における相似性について考えてみたい。

1.下根子桜時代の賢治の詩は農民詩?
 さて、「農民詩」について考えているうちに、〝「農民詩」人〟渋谷定輔に話が及び、さらには土田杏村等までに関心が至ってしまって大分回り道をしてしまったのだったが、ここに辿り着くまでの道すがら、下根子桜時代の賢治の詩は農民詩であったのではなかろうかということに思い至った。なにしろ詩の鑑賞力の乏しい私であるからその見方にあまり自信はないのだが、下根子桜時代の賢治が詠んだ詩から成るはずの『春と修羅』第三集を通読してみると、その中の多くの詩は「農民詩」のように見える。もちろん、渋谷定輔が詠んだような農民詩と違ってそこには泥の中からの叫びはなく、どちらかというと佐伯郁郎の詠むような「農民詩」というと意味でのそれだが。
『春と修羅』(第一集)
 そういえば、心象スケッチ『春と修羅』(第一集)について草野心平が次のようなことを述べ
 「春と修羅」を通読して先ず第一に感ずることはその透明な色彩と音楽である。語葉の豊富である。その底にしずかで力強い「宮沢賢治」の全貌が横たわっている。
 光と音への異常とも思われる程の鋭い感性によって、彼は山や農場などを彼の心象カメラに映した。
<『宮沢賢治覚書』(草野心平著、講談社)10p~より>
佐藤惣之助が
 《宮澤君のやうに新しく、宮澤君のやうにオリヂナリテーをもつて、君も詩を成したまへ。》
 そこには天文、地質、植物、化學の術語とアラベスクのやうな新後體の鎖が、盡くることなく廻轉してゐた。
 <『宮澤賢治研究』(草野心平編、筑摩書房)212pより>
と述べていたが、では下根子桜時代の賢治が詠んだ『春と修羅』第三集はどのよう評価されているのだろうか。
『春と修羅』第三集
(1) 永瀬清子
 そこには例えば第一集のような煌びやかかさもテクニカルターム等の豊饒の海もなくなり、まさしく永瀬清子が指摘するように
 目に見えるもの、外光的なもの、から、より内面的生活的になり、現実の農村生活の苦渋を浮かべ、その生活に挺身した人の辛苦や共感が主調となっている。
 <『宮澤賢治研究』(草野心平編、筑摩書房)93pより>
であることは、私は永瀬のようにこんなに適切かつ上手く表現はできないが、言われてみればそのとおりだと思う。
 そして、永瀬のこの論考においてこのこと以上に賛同できそうなのことが、この論考のタイトルが「農民詩としての宮澤さんの作品」となっていることからもある程度察せられるように、永瀬は少なくとも賢治の『春と修羅』第三集の詩は農民詩であるととらえていたことである。ただし、永瀬のこの論考は「農民芸術」についての話がその中心であり、タイトルにもある「農民詩」の方に関する言及があまりないことが残念なのだが。
(2) 伊藤克已
 一方で、羅須地人協会員の一人である伊藤克已は「先生と私達―羅須地人協会時代―」で次のようなことを述べている。
 その頃の冬は楽しい集まりの日が多かつた。近村の篤農家や、農学校を卒業して実際家で農業をやつてゐる真面目な人々などが、木炭を担いできたり、餅を背負つてきたりしてお互い先生に迷惑をかけまいと、熱心に遠い雪道を歩いてきたものである。短い期間であつたが、そこで農民講座が開講されたのである。…(略)…或日午後から芸術講座(さう名称づけた訳ではない)を開いた事がある。トルストイやゲーテの芸術定義から始まつて農民芸術や農民詩について語られた。従つて私達はその当時ノートへ羅須地人協会とは書かず、農民芸術学校と書いて自称してゐたものである。
<『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋版、昭和14年発行)396pより>
したがって、この伊藤の証言が正しいとすれば、賢治は当時農民詩についても講義していたと考えられる。
(3) 松永伍一
 なお、松永伍一は「農民詩史における『野良に叫ぶ』の位置という」論考において、賢治もその「農民詩史」の中に位置づけ、
宮沢賢治も「野の師父」「稲作挿話」「倒れかかった稲の間で」「地主」などの秀作を通じて、東北の村を形象化したが、農民それ自身の内部から湧き出てくる自己告白の強烈なエネルギーはやはり欠けているといわねばならない。その視点は、あくまでも農民への同感者・同伴者のもの以外ではなく、そのように、レンズを対象よりはるか上に置くことがかれらにとっては対象に愛をそそぐことを意味していた。
<『野良に叫ぶ 渋谷定輔詩集』(渋谷定輔著、勁草書房)204p~より>
と結論づけている、ということについては以前投稿しておいたところである。

 よって以上の事柄から、下根子桜時代に詠んだ賢治の多くの詩、『春と修羅』第三集の中の多くの詩は「農民詩」のジャンルに入いる、と私がとらえたとしてもあながち全くの的はずれということでもなさそうだ。

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