《創られた賢治から愛すべき賢治に》
ここまで私なりに「人間宮澤賢治」を自分の手と足で検証してきた結果、もちろん賢治の『春と修羅 第一集』とかはこれからも誰にも詠めないものだろうし、『やまなし』とか『おきなぐさ』そして『よだかの星』や『銀河鉄道の夜』はこれからもこよなく私が愛する童話であり続けるものと確信できた。さりながら、『グスコーブドリの伝記』や『春と修羅 第三集』、とりわけ『雨ニモマケズ』に対する私の評価は一変してしまった。そしてまた同時に、石川理紀之助や伊藤ちゑそして高瀬露等の実践と比して「人間宮澤賢治」がより勝っていた点は一体なんなのだろうかということが私にはわからなくなってしまった。なぜならば、実は事の真相は
・羅須地人協会で行った賢治の実践は農聖石川と比べれば取りたてて褒めそやされるものでもない。
・昭和3年6月頃の逃避行をしていたとも思えるような賢治とその頃にあの『二葉保育園』でスラム保育に献身していたちゑとでは比べものにならない。
・賢治が聖人君子に祭り上げられる一方で露がとんでもない冤罪を着せられてしまったが、実際の露はまさに聖女であった。
ということを私は知ってしまったからだ。巷間いわれている賢治像はそのほとんどが創りあげられたものであると言わざるを得ないことを私は知ってしまった。・昭和3年6月頃の逃避行をしていたとも思えるような賢治とその頃にあの『二葉保育園』でスラム保育に献身していたちゑとでは比べものにならない。
・賢治が聖人君子に祭り上げられる一方で露がとんでもない冤罪を着せられてしまったが、実際の露はまさに聖女であった。
かつて尊敬する人物はと問われた場合に私は間髪をいれず、『それは宮澤賢治です。なぜならば、破滅的で微分的な生き方をした啄木などとは違って、賢治は求道的で積分的な生き方をしたからです』と答えていたのだがそのような私はもはやいない。少し言い方を換えれば、もし私がかつて接してきた賢治像が創られたものでなかったならばもっと素直に賢治に接してこれたのにという悔しい想いがあり、正直騙されたという想いがないわけでもない。だから、そのような想いをする若者がもう今後は出てきてほしくない。
そもそも『真実は隠せない』はずだ。真実は隠すべきものでもなければ、何時までも隠しおおせるものでもないからだ。だから、いま巷間流布している創られた賢治像は逆に宮澤賢治を実は貶めているものでしかないと私には思えてしまう。
もうそろそろ、《創られた賢治から愛すべき賢治に》という時代になってもいいのではなかろうか。
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