知れば知るほどますます混迷が深まり、五里霧中をさまよってしまうもの、それが「羅須地人協会」関連であるということをしばしば思い知らされている。そして、あの膨大な『校本宮澤賢治全集』や『新校本宮澤賢治全集』をいくらためつすがめつ探しても、何度か見返してみても私はそこからは全く抜け出せない場合が多い。
一方で、賢治が少なくとも半年は一緒に暮らしたはずの千葉恭なる人物については全く調べられていなかったり、昭和2年の賢治の上京については有り余るほどの証言や資料があるのに全くそれらにはそぐわない形の「現通説」となっていたり(関連して捏造さえも起こっているようだ)、そしてあげくに、検証もされず裏付けもないままに週刊誌のゴシップ記事のような「悪女伝説」が仕立てられてそれがあたかも事実だったかの如くに巷間を跋扈したりしている。
なぜこのようなことが「羅須地人協会」については起こっているのだろうか、その疑問が私の頭の隅にずっと今まで引っかかり続けてきた。
そして新年が明けてこう思った。それは、目の前に見えているのにそんなことはあり得ないと決めつけて、見なかったことにしてきたことが災いしたためだったのではなかろうか、と。
そしてそれは賢治の労農党へのシンパ的行動でも然りだと、私は覚悟した。たまたま、昨年末にあの父政次郎の証言を知ったからには、目を背けることはもう止めよう。
そこで、このことに関してこれからゆるりゆるりと調べていきたい。
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一方で、賢治が少なくとも半年は一緒に暮らしたはずの千葉恭なる人物については全く調べられていなかったり、昭和2年の賢治の上京については有り余るほどの証言や資料があるのに全くそれらにはそぐわない形の「現通説」となっていたり(関連して捏造さえも起こっているようだ)、そしてあげくに、検証もされず裏付けもないままに週刊誌のゴシップ記事のような「悪女伝説」が仕立てられてそれがあたかも事実だったかの如くに巷間を跋扈したりしている。
なぜこのようなことが「羅須地人協会」については起こっているのだろうか、その疑問が私の頭の隅にずっと今まで引っかかり続けてきた。
そして新年が明けてこう思った。それは、目の前に見えているのにそんなことはあり得ないと決めつけて、見なかったことにしてきたことが災いしたためだったのではなかろうか、と。
そしてそれは賢治の労農党へのシンパ的行動でも然りだと、私は覚悟した。たまたま、昨年末にあの父政次郎の証言を知ったからには、目を背けることはもう止めよう。
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