例の通りあのオヤマボクチに似た蕾が咲いていないかなと思って出掛けた9月18日であったが、相変わらず蕾は固くてがっくり。ところが、とても嬉しいこともあり。それは次のような花が胡四王山にいま咲いていたからである。
それはまさかと思ったウメバチソウであった。ウメバチソウ(梅鉢草)はユキノシタ科 ウメバチソウ属の多年草とのことである。
《1 》(平成22年9月18日撮影)
《2 》(平成22年9月18日撮影)
《3 》(平成22年9月18日撮影)
《4 》(平成22年9月18日撮影)
宮澤賢治はウメバチソウがとても、いやかなり好きだったのではなかろうかと思っていた。
例えば賢治は
1.『鹿踊りのはじまり』では
ところがあんまり一生けん命あるいたあとは、どうもなんだかお腹がいっぱいのような気がするのです。そこで嘉十も、おしまいに栃の団子をとちの実のくらい残しました。
「こいづば鹿さ呉でやべか。それ、鹿、来て喰」と嘉十はひとりごとのように言って、それをうめばちそうの白い花の下に置きました。それから荷物をまたしょって、ゆっくりゆっくり歩きだしました。
6匹の鹿が嘉十の残していった栃の団子と手拭いを見つけ、ウメバチソウの下に置かれた栃の団子を食べる楽しみを後に残しながら、先ずは手拭いのところに1匹ずつ行ってその様子を見、それを仲間たちに報告する。
六番目がにわかに首をりんとあげてうたいました。
「ぎんがぎがの
すすぎの底でそっこりと
咲ぐうめばぢの
愛(え)どしおえどし。」
鹿はそれからみんな、みじかく笛のように鳴いてはねあがり、はげしくはげしくまわりました
<『注文の多い料理店』の「鹿踊りのはじまり」(宮澤賢治著、角川文庫)より>
のように。あるいは、
2.『早池峰山巓(春と修羅 第二集)』では
よろこびと寒さとに泣くやうにしながら
たゞいっしんに登ってくる
…向ふではあたらしいぼそぼその雲が
まっ白な火になって燃える…
ここはこけももとはなさくうめばちさう
かすかな岩の輻射もあれば
雲のレモンのにほひもする
<『宮澤賢治全集三』(筑摩書房)より>
のように。そして
3.『十力の金剛石』では
「わからないねい。こんなにきれいなんだもの。ね、ごらん、こっちのうめばちそうなどはまるで虹のようだよ。むくむく虹が湧いてるようだよ。ああそうだ、ダイヤモンドの露が一つぶはいってるんだ。」
ほんとうにそのうめばちそうは、ぷりりぷりりふるえていましたので、その花の中の一つぶのダイヤモンドは、まるで叫び出す位に橙や緑や美しくかがやき、うめばちそうの花びらにチカチカ映って云うようもなく立派でした。
その時丁度風が来ましたのでうめばちそうはからだを少し曲げてパラリとダイアモンドの露をこぼしました。露はちくちくっとおしまいの青光をあげ碧玉の葉の底に沈んで行きました。
うめばちそうはブリリンと起きあがってもう一ぺんサッサッと光りました。金剛石の強い光の粉がまだはなびらに残ってでも居たのでしょうか。そして空のはちすずめのめぐりも叫びもにわかにはげしくはげしくなりました。うめばちそうはまるで花びらも萼もはねとばすばかり高く鋭く叫びました。
<『ポラーノの広場』の「十力の金剛石」(新潮文庫)より>
のようにウメバチソウを登場させているからだ。
賢治が大好きだったとはいえ、まさかそのウメバチソウが胡四王山にあるとは思いもよらなかった。
きっと賢治は早池峰山や岩手山だけでなく、この身近な胡四王山でも沢山の”うめばぢそう”をかつて何度もじっくりと眺めていたに違いない。
続きの
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それはまさかと思ったウメバチソウであった。ウメバチソウ(梅鉢草)はユキノシタ科 ウメバチソウ属の多年草とのことである。
《1 》(平成22年9月18日撮影)
《2 》(平成22年9月18日撮影)
《3 》(平成22年9月18日撮影)
《4 》(平成22年9月18日撮影)
宮澤賢治はウメバチソウがとても、いやかなり好きだったのではなかろうかと思っていた。
例えば賢治は
1.『鹿踊りのはじまり』では
ところがあんまり一生けん命あるいたあとは、どうもなんだかお腹がいっぱいのような気がするのです。そこで嘉十も、おしまいに栃の団子をとちの実のくらい残しました。
「こいづば鹿さ呉でやべか。それ、鹿、来て喰」と嘉十はひとりごとのように言って、それをうめばちそうの白い花の下に置きました。それから荷物をまたしょって、ゆっくりゆっくり歩きだしました。
6匹の鹿が嘉十の残していった栃の団子と手拭いを見つけ、ウメバチソウの下に置かれた栃の団子を食べる楽しみを後に残しながら、先ずは手拭いのところに1匹ずつ行ってその様子を見、それを仲間たちに報告する。
六番目がにわかに首をりんとあげてうたいました。
「ぎんがぎがの
すすぎの底でそっこりと
咲ぐうめばぢの
愛(え)どしおえどし。」
鹿はそれからみんな、みじかく笛のように鳴いてはねあがり、はげしくはげしくまわりました
<『注文の多い料理店』の「鹿踊りのはじまり」(宮澤賢治著、角川文庫)より>
のように。あるいは、
2.『早池峰山巓(春と修羅 第二集)』では
よろこびと寒さとに泣くやうにしながら
たゞいっしんに登ってくる
…向ふではあたらしいぼそぼその雲が
まっ白な火になって燃える…
ここはこけももとはなさくうめばちさう
かすかな岩の輻射もあれば
雲のレモンのにほひもする
<『宮澤賢治全集三』(筑摩書房)より>
のように。そして
3.『十力の金剛石』では
「わからないねい。こんなにきれいなんだもの。ね、ごらん、こっちのうめばちそうなどはまるで虹のようだよ。むくむく虹が湧いてるようだよ。ああそうだ、ダイヤモンドの露が一つぶはいってるんだ。」
ほんとうにそのうめばちそうは、ぷりりぷりりふるえていましたので、その花の中の一つぶのダイヤモンドは、まるで叫び出す位に橙や緑や美しくかがやき、うめばちそうの花びらにチカチカ映って云うようもなく立派でした。
その時丁度風が来ましたのでうめばちそうはからだを少し曲げてパラリとダイアモンドの露をこぼしました。露はちくちくっとおしまいの青光をあげ碧玉の葉の底に沈んで行きました。
うめばちそうはブリリンと起きあがってもう一ぺんサッサッと光りました。金剛石の強い光の粉がまだはなびらに残ってでも居たのでしょうか。そして空のはちすずめのめぐりも叫びもにわかにはげしくはげしくなりました。うめばちそうはまるで花びらも萼もはねとばすばかり高く鋭く叫びました。
<『ポラーノの広場』の「十力の金剛石」(新潮文庫)より>
のようにウメバチソウを登場させているからだ。
賢治が大好きだったとはいえ、まさかそのウメバチソウが胡四王山にあるとは思いもよらなかった。
きっと賢治は早池峰山や岩手山だけでなく、この身近な胡四王山でも沢山の”うめばぢそう”をかつて何度もじっくりと眺めていたに違いない。
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