<1 ↑『岩手日報16面(平成22年9月21日付)』より>
以前 ”『森林軌道』は何処で詠まれたか”において、賢治は1925年1月25日(日曜日)に一本木野の笹森山に登ったりして
『四〇七 森林軌道』
の詩を、また
”寅吉山とは岩手山のことでなかろうか”においては同様
『四〇八〔寅吉山の北のなだらで〕』
の詩をやはり笹森山の頂上で詠んだのではなかろうか、というような推測を述べたことがあった。
そこで、いつの日かこの笹森山に登り、その高みから岩手山の稜線や『学術参考林』を眺めてみたいと思っていた。そうすればこの推測の検証が出来るのではなかろうかと思ったからである。しかし、よくよく調べてみたならば笹森山は今は自衛隊の基地内にあり、簡単には登ることが出来ないであろうと諦めていた。
ところが、先日の岩手日報の記事を見て臍をかんだ。登る機会を失したからだ。
それがこのブログの先頭に掲げた平成22年9月21日付岩手日報の記事「イーハトーブ体感」であり、そこには次のようなことが書いてあった。
網張ビジターセンターの野外講座バスツアー「宮澤賢治の岩手山初登山後100年・その世界観を探る」は20日、滝沢村で開かれた。…(中略)…岩手山と賢治について長年研究を続けている矢羽々一郎さん(77)の解説で巌鷲山追分碑や岩手山神社を見学しながら移動した。
今は陸上自衛隊駐屯地内にあり、賢治が旧制盛岡中学時代に演習で訪れたという笹森山(標高435.8㍍)に登り昼食を取った。目の前に広がる岩手山の頂は望めなかったが、美しい稜線が参加者を魅了した。
矢羽々さんが「賢治の作品は山を題材にしたものが多いが、一番多く登場するのがこの岩手山。ここから見た景色が若かった賢治にとって一番印象に残っていただろう」と紹介。…(以下略)
というものであった。
同紙面の
《2 『雄大な岩手山を目の前に望むことができる笹森山の頂上』》
<『岩手日報16面(平成22年9月21日付)』より>
の写真を見ながら、ここからならば晴れた日などは圧倒的な岩手山が額に迫り、焼走り熔岩流を見霽かすことが出来、『学術参考林』も見下ろすことが出来るだろうなどと想いを巡らした。
そして、矢羽々さんの話によれば、賢治は旧制盛岡中学時代に演習で実際この笹森山を訪れていたということになる。賢治はたしかにこの笹森山に来ていたのだ。
となれば、先の2編の詩を詠んだ1925年1月25日に笹森山の頂上を踏んでいたということは十分にあり得る。もし賢治がこの笹森山の高みに立ったのであれば、『森林軌道』にあるように
裾に岱赭の落葉松の方林を
林道白く連結すれば
と方林を連結する林道が白く際立って見えたことはもちろんのこと、360°の展望が効いたはずだから
南はうるむ雪ぐもを
盛岡の市は沈んで見えず
とか
……鎔岩流の刻みの上に
二つの鬼語が横行する……
と景観を詠むことは自然だったはずだ。
また、同じく笹森山の山頂からならば『〔寅吉山の北のなだらで〕』において
またふもとでは
枝打ちされた緑褐色の松並が
弧線になってうかんでゐる
と詠むことも不自然でない。
この高みからだったならば『学術参考林』を見下ろすことも出来たであろうからである。この詩を詠んだ時期は真冬なればそのナンブアカマツの美林はまさしく「枝打ちされた緑褐色の松並」に見えたであろう。
さらには、笹森山の山頂において岩手山の稜線に目を向ければ、裾野まで続く樹木の生えた指数関数のグラフのような美しい曲線の稜線を、賢治の表現によれば
山稜の樹の昇羃列
が並ぶ稜線を見ることが出来たはずだ。
したがって、宮澤賢治は1925年1月25日におそらく笹森山の頂上を踏んでいたに違いないという推測はそれほど間違ってもいないような気がますますしてきた。
この笹森山を、賢治は初期短編『柳沢』に次のように登場させてもいる。
「あしたは騎兵が実弾射撃に来るさうぢゃないか。どこへ射つのだらう。」
「笹森山、地図を拝見、これです。なあに私等の方は危くありませんよ。」
「しかし弾丸が外れたら困るぜ。」
「なあに、旦那さん。そんたに来ません。そぃつさ騎兵だんすぢゃぃ。」
ふん、あいつはあの首に鬱金を巻きつけた旭川の兵隊上りだな、騎兵だから射的はまづい、それだから大丈夫外れ弾丸は来ない、といふのは変な理窟だ。けれどもしんとしてゐる。みんな少し酔って感心したんだな。
<『校本 宮沢賢治全集 第十一巻』(筑摩書房)より>
こうなればますます『笹森山』に登りたくなってきたのだが…さて。
因みにこの文章の中の”地図”とはおそらく大正元年測図の五万分の一の地図『盛岡』と『沼宮内』であろうから、それらの地図から笹森山周辺を抜粋合成してみると下図のようになる。
《3 笹森山と一本木原(一本木野)》
<大正元年測図の五万分の一の地図『盛岡』と『沼宮内』(陸軍参謀本部)より>
続きの
”『森林軌道』(下書稿(一))”へ移る。
前の
”花巻空襲の出火地点”に戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
以前 ”『森林軌道』は何処で詠まれたか”において、賢治は1925年1月25日(日曜日)に一本木野の笹森山に登ったりして
『四〇七 森林軌道』
の詩を、また
”寅吉山とは岩手山のことでなかろうか”においては同様
『四〇八〔寅吉山の北のなだらで〕』
の詩をやはり笹森山の頂上で詠んだのではなかろうか、というような推測を述べたことがあった。
そこで、いつの日かこの笹森山に登り、その高みから岩手山の稜線や『学術参考林』を眺めてみたいと思っていた。そうすればこの推測の検証が出来るのではなかろうかと思ったからである。しかし、よくよく調べてみたならば笹森山は今は自衛隊の基地内にあり、簡単には登ることが出来ないであろうと諦めていた。
ところが、先日の岩手日報の記事を見て臍をかんだ。登る機会を失したからだ。
それがこのブログの先頭に掲げた平成22年9月21日付岩手日報の記事「イーハトーブ体感」であり、そこには次のようなことが書いてあった。
網張ビジターセンターの野外講座バスツアー「宮澤賢治の岩手山初登山後100年・その世界観を探る」は20日、滝沢村で開かれた。…(中略)…岩手山と賢治について長年研究を続けている矢羽々一郎さん(77)の解説で巌鷲山追分碑や岩手山神社を見学しながら移動した。
今は陸上自衛隊駐屯地内にあり、賢治が旧制盛岡中学時代に演習で訪れたという笹森山(標高435.8㍍)に登り昼食を取った。目の前に広がる岩手山の頂は望めなかったが、美しい稜線が参加者を魅了した。
矢羽々さんが「賢治の作品は山を題材にしたものが多いが、一番多く登場するのがこの岩手山。ここから見た景色が若かった賢治にとって一番印象に残っていただろう」と紹介。…(以下略)
というものであった。
同紙面の
《2 『雄大な岩手山を目の前に望むことができる笹森山の頂上』》
<『岩手日報16面(平成22年9月21日付)』より>
の写真を見ながら、ここからならば晴れた日などは圧倒的な岩手山が額に迫り、焼走り熔岩流を見霽かすことが出来、『学術参考林』も見下ろすことが出来るだろうなどと想いを巡らした。
そして、矢羽々さんの話によれば、賢治は旧制盛岡中学時代に演習で実際この笹森山を訪れていたということになる。賢治はたしかにこの笹森山に来ていたのだ。
となれば、先の2編の詩を詠んだ1925年1月25日に笹森山の頂上を踏んでいたということは十分にあり得る。もし賢治がこの笹森山の高みに立ったのであれば、『森林軌道』にあるように
裾に岱赭の落葉松の方林を
林道白く連結すれば
と方林を連結する林道が白く際立って見えたことはもちろんのこと、360°の展望が効いたはずだから
南はうるむ雪ぐもを
盛岡の市は沈んで見えず
とか
……鎔岩流の刻みの上に
二つの鬼語が横行する……
と景観を詠むことは自然だったはずだ。
また、同じく笹森山の山頂からならば『〔寅吉山の北のなだらで〕』において
またふもとでは
枝打ちされた緑褐色の松並が
弧線になってうかんでゐる
と詠むことも不自然でない。
この高みからだったならば『学術参考林』を見下ろすことも出来たであろうからである。この詩を詠んだ時期は真冬なればそのナンブアカマツの美林はまさしく「枝打ちされた緑褐色の松並」に見えたであろう。
さらには、笹森山の山頂において岩手山の稜線に目を向ければ、裾野まで続く樹木の生えた指数関数のグラフのような美しい曲線の稜線を、賢治の表現によれば
山稜の樹の昇羃列
が並ぶ稜線を見ることが出来たはずだ。
したがって、宮澤賢治は1925年1月25日におそらく笹森山の頂上を踏んでいたに違いないという推測はそれほど間違ってもいないような気がますますしてきた。
この笹森山を、賢治は初期短編『柳沢』に次のように登場させてもいる。
「あしたは騎兵が実弾射撃に来るさうぢゃないか。どこへ射つのだらう。」
「笹森山、地図を拝見、これです。なあに私等の方は危くありませんよ。」
「しかし弾丸が外れたら困るぜ。」
「なあに、旦那さん。そんたに来ません。そぃつさ騎兵だんすぢゃぃ。」
ふん、あいつはあの首に鬱金を巻きつけた旭川の兵隊上りだな、騎兵だから射的はまづい、それだから大丈夫外れ弾丸は来ない、といふのは変な理窟だ。けれどもしんとしてゐる。みんな少し酔って感心したんだな。
<『校本 宮沢賢治全集 第十一巻』(筑摩書房)より>
こうなればますます『笹森山』に登りたくなってきたのだが…さて。
因みにこの文章の中の”地図”とはおそらく大正元年測図の五万分の一の地図『盛岡』と『沼宮内』であろうから、それらの地図から笹森山周辺を抜粋合成してみると下図のようになる。
《3 笹森山と一本木原(一本木野)》
<大正元年測図の五万分の一の地図『盛岡』と『沼宮内』(陸軍参謀本部)より>
続きの
”『森林軌道』(下書稿(一))”へ移る。
前の
”花巻空襲の出火地点”に戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます