「羅須地人協会時代」の12月に賢治がここにいたのはほぼたった二日間だけだった。
『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』等に依れば、「羅須地人協会時代(大正15年4月1日~昭和3年8月10日)の12月に賢治が花巻にいたことが読み取れる記載は、大正15年の12月1日と同2日しかない。つまり、大正15年の12月に賢治は二日間下根子桜にいたことは確かだろう。ところが、昭和2年の12月に賢治 . . . 本文を読む
《上鍋倉の秋のみのり》
なお、この他にも賢治に関することではおかしいことが幾つかあるが、特に最近になって気付いたのが、
⑻ 校本全集の昭和8年9月20日の、つまり賢治終焉前日の定説、
九月二〇日(水) 前夜の冷気がきつかったか、呼吸が苦しくなり、容態は急変した。花巻病院より来診があり、急性肺炎とのことである。…投稿者略…
夜七時ころ、農家の人が肥料のことで相談にきた。どこの人か家の者 . . . 本文を読む
猫の額の我が家の庭にもうっすらと雪。
《1 》(2023年11月30日撮影)
《2 》(2023年11月30日撮影)
《3 》(2023年11月30日撮影)
《4 》(2023年11月30日撮影)
《5 》(2023年11月30日撮影)
《6 》(2023年11月30日撮影)
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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究 . . . 本文を読む